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通貨覇権を巡る駆け引きと策略、かくしてドルは機軸通貨となった・・・・【国際通貨物語】----(世田谷徒然日記)
機軸通貨を巡る議論が盛んになっています。IMFとSDRについての動きが活発になっています。日本の某研究所の理事長はSDRが国際通貨になるのは不可能と言っていますが、果たして本当にそうなのでしょうか、実は私はそうは思っていません。
現在のドルと同じような通貨システムが短期間に作れるかと言えば、それは確かに不可能です。
しかしSDRは合成通貨であるが為にドルやユーロの欠点を補完する事ができます。
合成通貨でしかできないメリットを世界は必要としていると私は見ています。
通貨の役割を考察した時、ひとつの通貨が全世界で共通して流通する必要はありません。
各国毎に通貨が存在する事はメリットにもデメリットにもなります。
これらの問題はポンドからドルに機軸通貨が切替わった時期に起こった事をたどると理解しやすいので、その時代に起きた事を解説したブログを紹介します。
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http://ameblo.jp/chikarablog/entry-10095383835.html#main
世田谷徒然日記から
【国際通貨物語(その1)】 幻の国際通貨、ケインズのバンコール
2008年05月10日(土) 00時13分51秒
「バンコール」という名前を知ってる方は、結構国際通貨通かもしれない。
「バンコール(Bancor)」とは、英語のbank(銀行)に、フランス語のor(金)を組み合わせたケインズの造語である。
この新しい国際通貨構想が登場した舞台は、米国のニューイングランドのニューハンプシャー州のほぼ中央にある山あいの小さな村ブレトンウッズにある小高い丘の斜面に建つリゾート、ホテル・マウント・ワシントンにおいてである。
提案者は英国を代表する世界的な経済学者J.M.ケインズ。
英国政府を代表して、ここで1944年から45年にかけて開催されたIMF、世界銀行の設立準備会議に出席、ここで戦後の国際通貨・金融体制の議論に参加した。
この会議で第二次世界大戦後の国際通貨体制について「USドルを基軸通貨」を主張する米国代表のホワイトと、国際決済通通貨として「バンコール」の設立を主張する英国代表ケインズとが激しく渡り合った。
ケインズ案自体は、理論的には間違いなく秀でていたと言われているが、それにも拘らず、第二次世界大戦中の国際的な力関係の結果、結局ホワイト案に敗れ、ケインズ自身はその後2年足らずで無念のうちに死去した。
はやして、ブレトンウッズ会議でケインズ案が採用されていたならば、その後の国際通貨体制の展開が大きく変わっていただろうし、少なくとも、その後の国際通貨制度の混乱がより少なかったろう、と評価する者も少なくない。
ケインズが1943年4月に発表した「国際清算同盟案(Proposal for an International Clearing Union 通称ケインズ案)」は、その直後米国のホワイトが発表した「連合国国際安定基金案(Proposal for an International Stabilization Fund of the United and Associated Nation ホワイト案)」に結局敗れ、ブレトンウッズ会議においてIMF協定が、米国案を骨子として結ばれることになったわけである。そして今日の世銀・IMFに繋がる。
そこには深い歴史的背景がある。(続く)
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