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(回答先: 【国際通貨物語(その2)】 通貨の興亡 投稿者 ミスター第二分類 日時 2009 年 9 月 29 日 21:22:06)
http://ameblo.jp/chikarablog/entry-10095383835.html#main
【国際通貨物語(その3)】 幻のナチスドイツの国際通貨戦略
2008年05月10日(土) 00時33分02秒
歴史には裏がある。
そもそも、こうした米英対立の根因は、ブレトンウッズ会議からさこのぼること10年前、第二世界大戦前の1930年代初めに早くも観察することができる。
1930年代初頭とはいうまでもなく、1929年に起こった大恐慌のさなか、主な国々が「ブロック経済」確立へ向け動いた時期である。
米国は、世界最大市場を閉ざした。
他方、英国は、息のかかった連邦諸国に号令し、域内関税を低めるかわり、外へ向けては壁を高くした。
かような米国と英国という2つのアングロサクソン国家同士の対立の結果、世界経済は分断された。
そこで漁夫の利を得ようとしたのがナチスドイツである。
ドイツは、英米の対立を横目に、国家間の貿易収支尻を相殺決済する清算同盟の拡大に熱心であった。
ナチスドイツのポーランド侵攻によって第二世界大戦の火蓋がきって落とされる5年前の1934年9月末に、ナチス・ドイツの経済相シャハトは「為替清算協定の集大成」となる「新計画」を発表、そのシャハト構想の延長上に、ナチス・ドイツは中南米諸国と同種の協定を結んでいった。
これはドル決済網に対する露骨な挑戦であった。
米国はこれに脅威を感じ「米州銀行構想」を検討した。「米州銀行構想」は、マルク決済システムから中南米ドル圏を防衛する目的を帯びたものだった。
そして、これがホワイト案の原点となった。ブレトンウッズにおける戦後国際通貨体制の基本図式が戦前のナチス・ドイツへの対抗軸に端を発しているのは歴史の織り成す連鎖の妙を感じる。
ナチスのシャハトが構想した通貨戦略が今日の国際通貨体制の出発点であったとも言えるのはなんとも歴史のアイロニーである。
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(コメント)
ドル決済網イコール、ドル経済圏と言えるでしょう。
また、第2次世界大戦の前からドイツと通貨を巡る争いが起きていた事に驚かれる人もいることでしょう。