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(上の続き)
宮本武蔵の自画像はかなり知られていると思う。大小の太刀を軽く握り(指は開いている)、フワッとした立ち姿。芯があるようで全体がリラックスしている。
高岡氏はこの姿形から一瞬の内に凄まじい斬撃を繰り出す。その最終形のニ葉の写真がある(ほとんど宙に浮いている)。素人目で見ても「見事」と思える。本人も言っているが対戦相手がいれば一瞬のうちに右剣で心臓を貫かれていただろう。
本人の体感覚では「その瞬間、フッと”意識のスイッチ”が抜けたかに感じるより早く…私の身体はその場から消えすべては終わっていたのです!」ということになる。
高岡氏の経歴も普通ではない。父は武術家で、小さいころから寝物語に「闘い」ということについて聞かされてきた。子ども同士のケンカもやり、当時の野犬や野良猫との闘いもあった。十代二十代と空手、剣術、合気などさまざまな武術の稽古に励んだ。
そんな折ひょんなことから、やくざ同士の抗争(出入り)に助っ人として参加した。本人は素手で参加したが、相手は刃物やピストルも持ち出したという。だが、本人はかすり傷一つ負わず、相手にも大けがも負わせず、修羅場をくぐり抜けた。
ここから高岡理論が始まる。
内田樹氏も神戸の大学の定年退職を間近に控えて、今後は専業の武術家(合気道)として道場を開くという。
この二氏とも東大というアカデミズムの出身ということがまた面白い。頭もあるから自分の実体験を理論化することもできるしそれをやっているようだ。
閉口するのは文章が長たらしく読んでいてイライラすること。分厚いところは読み飛ばしてしまう。まだ理論形成の途上にあるのかもしれない。やがて枯淡の域に達するとシンプルで分かりやすい体系が出てくるかもしれない。
といっても武術の心得のない素人の理解力には限界もある。
いずれにしても思うのはこのようなアカデミズムの出身者が、武術をものにしそういう立場から物を言い出していることは素晴らしいことと思う。
何か21世紀日本の新しい曙光として認識したいのだ。
(付記)
武術家ではないが、隆慶一郎も東大出身である。彼の書くものを見ると剣客とも思える見事な書きぶりである。彼の曾祖父はやはり武術家で全国を修行して渡り歩いたという。最後は郷里・松代に返り、侠客としてそこを収めた。
親類縁者からは総すかんを食ったが、幼い隆一郎とはウマがあったのだと。隆一郎も自由人としての曾祖父の血脈を引いているのだろう。
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