http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/474.html
Tweet |
(回答先: 高岡英夫氏は武術の達人と見受けられる 投稿者 仁王像 日時 2011 年 2 月 05 日 16:40:33)
少年時代に、くみ取り屋にも達人がいたことを見てとったのは只者ではない。達人とも思える高岡氏が絵画などから読み取った江戸時代の人々の身体能力にも注目すべきである。これについては批判もあるようだが、武術の心得がない素人判断で即退けられるものでもなかろう(別に鵜呑みにしなくてもよいが)。
武術家ではない一般の職人・仕事人・庶民の中にも体捌きの達人がいた。日々の労働や当時の生活様式のなかで培われたものと思う。このような人々は内臓感覚にも優れ、口での表現力は苦手だったかもしれないが物事の本性を見抜く力は持っていたのではないかと思われる。
「意識のかたち」高岡英夫/講談社‘95年から抜粋
<江戸時代はジンブレイドの社会だった>
・結論から言えば、武蔵以降の江戸時代は、正にジンブレイド全盛の時代であったのだ。“剣客”“武芸者”と言われる人たちは元より、舞手、芸人、花魁に到るまで、その大半をなす人々が、ジンブレイド〔下半身の体捌きに関する骨筋系〕を所有していたのだ。
武蔵の伝書の記載絵、浮世絵、さまざまなその他の絵画に描かれているそれらの人々からは、紛れもなくジンブレイドの存在がありありと読み取れるのだ。
そして何と驚くことに、江戸時代の庶民を描いた何点かの絵からは、町々に暮らす一般の庶民にもジンブレイドが広がっていた事実が観て取れるのだ。
たとえば洗濯をする女、赤子をあやす女、米俵をかつぎ運ぶ男、…等々、それらは生活の正に真っ只中の大衆の内部に、今日、各専門分野における極め付きの天才や名人・達人にしか見られぬ身体意識の構造が、普遍的、一般的、当り前のものとして存在した証拠を物の見事に付き付けてくるものばかりなのだ。
・浮世絵がなぜにそこまで西洋人に感動を与えることができたのか。それは浮世絵のモデルである人物自体の“身体意識”の豊かさ、深さと、それを充分に認識し表現することのできた絵師の側の“身体意識”の豊かさ、深さを西洋人達が自身の“身体意識”の能力をもって直観することができたからに他ならないのです。
くみ取り屋>
・私が幼稚園か小学校に行っていた頃(昭和20年代から30年代前半)、くみ取り屋の中に、二人の達人がいた。一人は50歳ぐらいの痩せぎすの背も小さい担ぎ手、もう一人は」30代後半の長身の担ぎ手。
この二人が実に素晴しく見事な働きをする。おそらく両方で100キロ近くもある屎尿を担いで、やっと通れるか否かの狭い通路を、いとも軽々とまるで羽毛の生えたかのごとき足取りで行く。他の担ぎ手は一歩一歩重量を支える度に身体中に力がみなぎりブルッと下半身が震える。が、この二人はまるでレベルが違う動きをしていた。
(付記)
ここで初代若乃花の話を思い出した。ある力士が化粧回しを作った、「力抜山」と書いてある。その力士はどうもしっくりこないと考えこんでいたが、「力」という字を取ったらどうだとポツリと言った。そこで「抜山」と作り直した。確かにこの方がこの語句に込められた内容が凝縮されて迫力があるものになる。
このような人たちは、内蔵感覚で判断を下したのだろう。口で理由を説明しようとしてもおそらくうまくは説明できなかったのだろう。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。