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(回答先: 高岡英夫氏は武術の達人と見受けられる 投稿者 仁王像 日時 2011 年 2 月 05 日 16:40:33)
高岡氏によると、相撲は江戸時代を最盛期として明治以降、レベルが各段と落ちてきたという。スピードの千代の富士でも初代の若乃花や栃錦にはかなわないだろうと分析している。八百長メールが発覚したが、国技としての相撲はもやはその水準を維持できなくなっている時代なのかもしれない。
素人解説を加えれば、日常生活の体の使い方・捌(さば)き方が昔とは著しく違ってきている。端的に便利になった。トイレの様式の違い、座る生活からイス生活への変化。なんでも道具やクスリに依存する。三砂ちづるさんによると、若い女性でも尿モレが増えていると。昔の女性は月経血のコントロールもできる身体能力を備えていたと。
相撲界に入ってくる若者も体は大きいかもしれないが、基本的な内臓系を含む身体操作能力の土台そのものが著しく低下してきていると思われる。相撲は古来武芸でもあり武道でもある歴史を持つとされる。武術のレベル低下と同じ社会的背景があり、もはや絶望的に思えるのである。相撲自体、昔より「面白い」勝負がきわめて少なくなっていると思う(大相撲になっての水入りなど最近は全く見かけない)。
スポーツ化した剣道や柔道は”パチンコ剣道”や”雑巾ダンス”などと揶揄されてきたが、相撲もまた一井の興行的格闘技と変わるところのないレベルにまで退化してしまったのではないか。だとすればこのこと自体で、もはや「国技」という資格は失っている。
このような実態が野球賭博やメール八百長を生み出していると思われるので根は深く、当面を糊塗しても根本解決はよほど困難だと思われる。
ここ十数年外国人横綱が席捲しきたが、品格の問題も絶えず問われてきた(副島隆彦は相撲は格闘技なんだから、強ければ良いので品格など問題ではないなどと乱暴な意見を吐いている)。相撲には武術的要素(「礼」も伴う)もあったからこそ一般人とは違う品性も備えた関取として尊敬心も自然と湧いてきたのだと思う。
この民族はもはや大成する見込みのある人材を供給できないほどに身体能力が衰えてきているのではないだろうか。外国人力士が多くなれば、日本の伝統的文化という側面はどうしても阻害されてくるだろう。
とはいえ高岡氏は21世紀初頭に三人の若き天才、イチロー、武豊、羽生善治を見出し2000年を退化の歴史の最下点とした振り子の振り戻しに期待をかけている。
(同前書から抜粋)
<日本人―その退化の歴史>
この双葉山と大鵬・栃錦・初代若乃花とが戦ったら、どちらが強いと思いますか? 双葉山の前では栃若も赤子みたいなものでしょう。あの大鵬ですら子供扱いをされると考えてよいでしょう。
栃若や大鵬のそれは“動き”であり、“働き”であり“技”であった。それに対して双葉山のそれは、もはや“働き”や“技”ですらなく、それを超えた“身体”そのものの違いであり“身体を統御する意識の在り方”そのものの違いであったこと。
― 相撲という文化はここ半世紀の間に“退化”した、ということが言えるわけですね。しかもその退化の仕方は激烈であると。
T (相撲が退化したのは)幕末から明治にかけての時代でしょう。つまりは江戸時代が最高だったのです。
(相撲が日本文化の代表するものとしその他の)江戸時代にも存在していて現在まで存続している文化種目では、その退化の様相は相撲と同じく、具体的なパフォーマンスのレベルの低下として現われています。
こうした退化は、武術、能、茶、日本画に始まり…ほとんどの伝統文化に観察することができます。
― 現代の日本の相撲が“本当に深く豊かな内容を持っていない”というのは、現代日本人全体が“身体意識”の薄い身体と身体活動をしか持っていないからなのだ、ということなのですね!
T 双葉山の“超絶的な身体”を思い出して下さい。…
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