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(回答先: Re: マネートリックは邪悪、石工氏も邪悪 投稿者 異論半論 日時 2009 年 5 月 31 日 11:20:36)
異論半論さん、passengerさんは単なる知識のコレクターでは無いとお見受けし、敬意を抱いておりましたので、今回は困惑しております。
それぞれに唯一無二の固有の本物を奪い取る為、それと同等の対価という価値観を人々に植え付け、信じ込ませる事に成功したマネートリック。
その仕組みの中で恵まれた環境に置かれた者はコレクターとなって、国宝級の湯呑み茶碗、ダヴィンチの絵画など優れた物には数億の値を付け購入したりします。作家もそれで恵まれるので、作った権利を守ろうとし、作者の分身であり、人格の延長、はたまた万人の遺産であるとして、作品にはいささかの改良もしてはならない、といいます。
確かに万人にとってそうしたものもあるでしょう。
過去にそうして作者以外の者達が認め、護られて来たものは多々あります。
けれどもそれを作者自身が主張してはならないはず。
言論の場合、改竄し引用した者がいても、その真贋を見極めねばならない主体は作者ではなく、あくまでも読み手です。
それでは万人の幸福には寄与しない。それは支配者コレクターと高付加価値を創造した虚業家達(芸能、スポーツ、芸術、言論も含む)にのみ利するトリックです。
より良く改良すべき物にまで及ぼそうとするその理屈はコレクターの理屈であり、虚業家達を養っています。
人による改竄も自然風化の一部と見ます。
言論に限らず、あらゆるものは風化し、朽ち果てて行きます。
たとえどの様に改竄されようと、純粋なる作者自身の人格とは無関係です。
湯呑み茶碗を叩き割ってもその作者が生きていられる様に。
一体誰にとって改竄されては困るのか?
学術的に?資料的に?
阿修羅も全てを客観的に保存し続けようとする貴重なサイトであり、その事象・情報解析が有意義であることは否定しません。
しかし其処には限界と脆弱性を見ています。
オリジナルと主張するものであっても(それが真実でも)、本物ではない(真理を内在しない)ものが満ち溢れている世の中です。
その真理と真実を混同し、権利を不必要な真実にまで与え、必要な真理が埋没する本末転倒が情報社会に起こっています。
個人の限界から比べ、それを見極めるには情報の数量と深さが無限過ぎます。
それを集団の力で分担すれば個々の血肉にはならず、共有する認識以外は、力とはなり得ません。
その力を集約する間も無く、新たな情報がやって来ます。
しかも歴史は繰り返し、振り出しに戻るすごろくの中で、いつも人々は焦点を、照準を定める事が出来ない。
そうして真理の第一歩は永遠に踏み出されない、ただの学識コレクターが増えて行きます。
抜け落ちたフィルムの一コマの如く、大概の場合、真実と真実の間には飛ばされた真実があり、それをいくら積み重ねても、真理が解明される事は稀です。
当事者以外には知り様の無い、実感が無い、その存在自体が無いのと同じ真実だからです。
そのような手法では真理には手が届かない。ならば、その逆を考えてみます。
真実(事象)が何故にそのように発生するのか、その真理を解明すれば、未来の事象の望むべき方向に向かって照準が定まります。
その照準が定まったら、事象の解明に関わっている時間は、必然減らさざるを得ません。そんな事は二の次になるほど、現実を生きる事になります。
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