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(回答先: コレクターの罠 投稿者 日 日時 2009 年 6 月 01 日 07:16:41)
日殿の主張はよく理解できるものの、双方のすれ違いの根幹には、石工氏の邪悪性を見抜いているかどうかの違いが存在するようだ。
貨幣の魔術の邪悪性を見抜いている人は、多分千人に一人。阿修羅の読者で石工氏の邪悪性を見抜いている人間は、多分数人。この中に日殿が含まれていないようなのは残念至極。
「国宝」などの偽りの価値を付加されたものはさておき、作者が丹誠込めて作り上げた作品には、作者の分身とも言うべき魂が宿っていると考える。言論も同様である。それゆえ、邪悪な欲望で作品の魂を破壊する行為は決して座視できない。
>湯呑み茶碗を叩き割ってもその作者が生きていられる様に。 一体誰にとって改竄されては困るのか?
女性の身体に物理的な傷を付けずに強姦することは可能。何かが減るわけでもない。もちろんこのような論理で強姦を正当化することはできない。強姦によって女性の尊厳と人格と魂がひどく侵害されるからだ。
邪悪な欲望によって魂が込められた茶碗を叩き割ることは、作者と茶碗とこの茶碗を愛する人達の魂が侵害される。石工氏の自動改竄行為は魂が宿った言論に対する強姦行為だ。そこには、石工氏の邪悪な欲望があるゆえ、小生は石工氏を断罪する。
ちなみに、小生は知識のコレクターなどでは決してない。行動の基として知識を吸収し、分析している。この点に関しては、「サバイバーたれ」の日殿との共通点はあるだろう。
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