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(回答先: コレクターの罠 投稿者 日 日時 2009 年 6 月 01 日 07:16:41)
感じて拭えぬ違和感同じくあり
その内容は明快にして単純
字面云々以前に笑い話として処理される
そもそも内容そのものに魅かれもせぬのに何故
そのような変換ツールの存在さえ解っていて尚
そこまで露骨につきまとう理由はないように思える
変換ツールそのものに対して何か怒れる事があるのなら別だが
感じるのはただ私怨めいたもののみ
そこに付随する理由もまた不必要なほど執拗で難解
暴走の原因は処理能力の遅滞または欠陥に依る思考停止
くだらぬ「怒り」を持続させる為に
「理」性が働くことなどない
どう聞いても屈折した内容
戸惑うのも正常故に致し方無い
最近ここの常連者にも思う
精神は大丈夫かと
人間はその魂の歴史に於いて様々な
動植物を輪廻し渡り歩いて今がある
この地球に降り注ぎ蒔かれた生命の種
どれ程の深遠なる憶いと共に散った実か
不幸にもこの地球上の生命進化の過程に
肉体が進化し魂が輪廻する段階に於いて
他の生物を補食し命を繋ぎ止めて来た流れがある
気の遠くなるほどの長き先史
「獣の血」とはそうした時代の名残
動物本能に根ざした争いを好む血を指す
長く魂の記憶に刻まれたその名残は今に続く
漸く消去される時を
あるべき人間社会に迎えていたが
この迷いの最中に再び
人は獣としての血に戻りかけている
感情と欲望と力のままに野を駆け
もっとも莫迦な生き物として君臨している
かつて滅んだ恐竜以上に破壊的
それら獣の記憶を人に留めてしまわぬよう
古から多くの誓いが戒めとして打立てられ
それは代々教えとして守られてきた
幾度となくそうした教えは戦火の度に消え
しかし魂の輪廻は然るべくして回転し
今もその教えは然るべき地に守られている
時に「まった」は無く
既に人は「何変われぬ物」としての地位に
身を長らえて久しい
そうした見地から世を見れば
実にどれもばか騒ぎのくだらぬ話
「怒り」など実に無意味なものだ
唱える自身の正当性など何処にも無い
漠然とした何かに依存して張り付き
己の積もり積もった鬱憤を
弱者に対して晴らしているに過ぎない
人の世の醜さ汚さとは
己をただ乗り越える為だけにある
武士の魂ともいうべき脇差し
何をもって命より大事という
それはその世において
人を生かすが為だけに
活人剣
腰の刀は鞘に修まりて一体
剣先に統ぶ力は何をか成さん
何にも囚われる事なく
ただ小我を斬る為だけに腰にある
眼前を見つめるも
意識は常に腰から離さない
感情支配出来ぬまま獣と同様に
欲にかまけた無意味な「怒り」にまかせて
人は暴走を繰り返している
今や人間とは姿と名ばかり
暴走が怒りを生み 怒りはまた暴走を生む
いくつもの戦争に我々が垣間見たものは何だったか
それらがなんら生かされず今日あるのは何故か
忌まわしき日常に変わり果てた人の姿
怒りが齎すのは深い悲しみの痕跡
欲望が次に齎すものは絶望だけである
欲望が無ければ希望は常に眼前に輝く
私憤めいた私文は人を貶めるのみ
喚起促す側の内容もまた注目される
莫迦も狂人も自らに正義ありと言う
正義なるは誰の胸に依存するものか
異存に狂ったもの同士
依存に狂ったもの同士
道理の上に結ばれる
「我が怒り消えぬのは何故」
「我が収まり誰が付けるのか」
何納めるまで収拾はつかないとする
その者の能力の限界をただ知り嘆く
故に諦めは必要
生まれ変わるには必ず避けては通れぬ道
鏡に映せば事足りる
怒りに朽ちていくその身の有り様揺るぎないのは
誰がそうしている訳でなく
自らでそうしている
自身の無力さ嘆く者
自身の力の何を知る
痕に残るは自身の欲深さ
己に足らぬものあれど
気づくも気づかぬフリ
我らは我らなりと
火を囲んで貪る宴
先に進めるものは今こそ先にゆけ
噛む犬と知っていて手を出す者は居ない
しかし百も承知と手を差し出す者も居る
心を解く為とあらば
常に未来を思えばこそ
心ある者はそこに賛同する
注意するのもまた人を憶うからこそなれ
注意の仕方も悪ければ
注意するにも分が悪い
私憤で埋め尽くされたこの掃き溜め
果たして世に何と機能するか
やっている事はマスゴミ同様
不安の種蒔き
寄り付くのはどのような人間か
そしてどのような人間性を育て
どのような未来を想像させるか
人は生まれ変わろうとすれば
その時を限りにして変われる
その志如何で如何様にも
素直さ無くして心改めること等叶わぬ
無意味な迷いの道すがらも
ひとり闘っている者あれば
その熱意と純粋さに惹かれ注目する人物もまた有る
己を救うのは己自身
己を知らずして依存心は消えることはない
神仏の心得たとする者に何迷う事のあるものか
ただ頭を下げ敬い与え身を尽くすだけである
人には幾つもの意識層がある
主体とすべき意識は常に高みに置き
己の心に「あるべき人たるは何か」を問う
意識層の最下段は肉体の意識
昼夜反転し繰り広げられる
人の不可解かつ愚かしさを疑問視すれば
まず己の行動の不可解さを紐解くべき
情とは何か
怒りの本質とは何か
安らぎとは何か
心とは何か
人とは何か
必ずや学びとらん事を願う
高みに於いても尚
常に卑しき人の目線にて
低き人の性分あるを己の中に見て
人を保つ
身の内から得られるものを
外に置き体系化したものが
数多の宗教や学問と称されるもの
今の人はそれら知識と呼ぶものすべて
外から内に吸収するものとしてきた
根幹は心 幹無くせば根無し草となる
長らくそのようにして人は
根無し草としての道に踏み込んでいる
物事の判断の基準を往々に身の外に置けば
怏々とするもすべての解釈は道理に通ずる筈と
多くの迷いの中に善かれと身を置いた
当然だが迷う者の心理から生まれた学問に何の救いもない
結論を有耶無耶のままに難解さだけを際立たせ
権威の利益をそこに隠し通しているだけ
現代人にとっての知識とは何を指すのか
利害が常に絡み付く尊者の権威
細分化され吸収しやすくなったものだけを
服用する処方箋のように身の外に置き
状況に応じて使い分けるだけに過ぎない
用法さえも誤らねば良いものを
誤った知識の活用は
段階において毒にも薬にもなる
「主体とすべき意識」はどこまでも高い位置に設定するべきだ
どこから何一つ借りてこない
自分の目を養うべきである
現代では世の大半がYESと言えば全てが正解としてまかりとおる
それは半分の意見は抹殺されるということでもある
政治も常に半数に分かれて人と人とが争っている
国民一致となってひとつの国を建ちさかしめんと言うのに
常に二つに分かれて争う「対立した構図」を示し続けるのは
如何なる理由有っての事か
純粋に見ればここまでおかしな風景は無い
見慣れて久しければ誰も何も異を唱えない
幼児教育にしてもそうだ
昨今テレビの影響力にもの言わせて
莫迦な著名人らがこぞっては
軽はずみな意見ものものしく
「競争力が優秀な人間を育てる」
などと吐くのを聞いてぞっとした
それで到達したのがこの現代
力がすべてもの言うこの覇者の世
その逆を行く素晴らしき国々の豊かさに目もくれさせない
自然からありのままを感じ取る力とは
どのようにして身に付くだろうか
守破離
一人一人が独自の判断基準とする
心の目を今養わなければならない
そうした繋がりにこそ真の「共感」は介在するのである
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