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平和をたずねて:南京−沈黙の深い淵から/2 「だから、堪えて下さい」(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/08/wara2/msg/217.html
投稿者 gataro 日時 2008 年 4 月 19 日 21:25:43: KbIx4LOvH6Ccw
 

(回答先: 平和をたずねて:南京−沈黙の深い淵から/1 記憶の封印を解く(毎日新聞) 投稿者 gataro 日時 2008 年 4 月 19 日 21:23:02)

http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/news/20080326ddp041040026000c.html

平和をたずねて:南京−沈黙の深い淵から/2 「だから、堪えて下さい」

 市町村の出征者名簿などをもとに、私が暮らす福岡県内で南京戦の参加兵士を捜した。大半が故人か対話困難な状態で、ひと月余りかけてようやく有料老人ホームに暮らす92歳の老人にたどり着いた。戦車隊員として、南京陥落翌日の昭和12(1937)年12月14日から9日間、南京城内に滞在した人だ。

 「上海に上陸すると敵の死体がゴロゴロしててね。知らんで毛布かけて寝とったら、朝見たら死体の上でしてね」

 「食料は現地調達が主でしたな。後方から持ってこれる状態じゃなかったですもん」

 「面白いこと? ありましたな。面白いことと言えば……当時は話してはいけないこととか。食料の徴発に行ってね。姑娘(クーニャン)あたりを追いかけて。姑娘徴発はやっぱあったですねえ。そげん堅物ばかりじゃなかですから」

 話し始めて30分後、日中戦争全般についての私の問いに、当時兵隊たちが姑娘徴発と呼んだ強姦(ごうかん)の話まで飛び出した。これなら話してくれるかもしれない。そう思って「南京ではいろいろあったと聞きますが」と切り出した。すると、サッと顔色が変わり、ゆったりした口調が早口になった。

 「私は全然知りません。百人斬(ぎ)りとか、揚子江に浮かべて殺したとか言いますが、見たこともない。そんなことあったら文書に残ってるはずです。何にも知りません」

 後は何を聞いても延々と話をそらされ続けた。

 再挑戦を期して帰ろうとすると、元陸軍士官を主な読者とする雑誌に載った彼の投稿を見せられた。そこには戦車隊の慰霊祭で彼の先輩が読んだ祭文が引用されていた。

 《パール博士の「日本無罪論」の正しさを確信するとともに大東亜戦争の目的が、日本国の自存自衛のための聖戦と東南アジア諸国を解放する戦いであったという大義名分を確認したい》と。

 南京戦後、彼は幹部候補生学校に入り、敗戦時には中尉となっている。「自分はこういう立場で生きてきた。だからあきらめてくれ」。そんな声が聞こえた気がした。

 創価学会青年部熊本県反戦出版委員会が29年前にまとめた「揚子江が哭(な)いている」という証言集がある。強姦して殺した女性の肉を「牛肉」と戦友に偽られて食べた話や、生きながら妊婦の腹を割いて胎児を取り出した体験など、熊本の第6師団の元兵士たちによる加害証言が収められている。

 聞き取りの中心になった玉井保人さん(64)によると、捜し出した元兵士は100人。しかし会ってくれたのは半数で、取材が進むとさらに脱落していったという。

 「熊本で第6師団といえば、世界最強とか無敵とか、強さばかり語られていました。だから最初は皆さん、我かく戦えりといった感じでね。でも我々が食い下がるから、そんなこと聞くなら、もう話さんと。戦友に確認するからと別れた後、全て自分の思い違いだったと証言を翻した人もいます。飛び出した者だけ銃殺すれば弾をほとんど使わずに殺せて合理的だから、100人、200人と家の中に捕虜を詰め込んで火をつけたと言っていた人でね。戦友から圧力がかかったんでしょうね。あまりにあからさまなひょう変に、逆に生々しさを感じましたよ」

 結局、収録できたのは17人にとどまっている。

 「(南京の)下関(シャーカン)から筏(いかだ)のようなものに乗って逃げ出した敵さんが、ようけ撃たれよったと聞いた」。元戦車隊の老人がそう話してくれたのは6回目に有料ホームを訪ねた時だ。首の試し斬りを見たこともこの時初めて明かした。「南京陥落後に攻めた徐州では、麦畑の中を戦車に乗ってだいぶんひき殺しました」とも。ただ突っ込んで聞くと口をつぐんでしまう。

 「民衆のこととか、これまで聞きたいというもんはおらんかったし、家族にも話したことないです。パンパンやりおうて陥落させたと、それだけ。あなたがこうして来て、尋ねられるからちらほら言いますけど、あんまり実情は話したくないです。やっぱり、いい行いはしとらんですけんね。自分の家族があんな目にあうと思うたら、戦争はされんなあと。それだけ。だから、堪(こら)えとって下さい」

 やはり、これが限界なのか。【福岡賢正】<次回は4月2日に掲載予定>

毎日新聞 2008年3月26日 西部朝刊

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