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第56回 薄れ行く記憶と歴史認識 大日本帝国滅亡60年の意味 (2005/11/16)
http://www.asyura2.com/08/senkyo56/msg/626.html
投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 23:02:31: Dh66aZsq5vxts
 

(回答先: 立花隆さんの「メディア ソシオ-ポリティクス」の海外アーカイブを阿修羅のスレッドでまとめて保存してくれないかと、。 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 05 日 18:06:37)

第56回 薄れ行く記憶と歴史認識 大日本帝国滅亡60年の意味 (2005/11/16)
http://web.archive.org/web/20051231032541/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051117_60year/

2005年11月16日

 ゼミの学生たちといっしょに作ったNHKスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」のための解説とリンク集のページ「サイ」が大ブレークして、すでにアクセス数は軽く60万を超えている(実はページを開いてしばらくの間、カウンターが動いていなかったので、実数はそれより大きい)。テレビの影響力の大きさをつくづく感じさせられた。

 私は、インターネットのパワーは、リンクにありと考えていたので、今回のリンク集作りの前から、学生たちと、サイエンスとテクノロジの世界を広く知るための、さまざまなリンク集を集めたページを作ろうとしていた。それを基本的に我々の力だけで作ろうとしていたのだが、我々のページにこれだけ大量の人々が来てくれたのを見て考えが変わった。

 こういうエネルギーをうまく呼びこんで、外部の人々とのコラボ体制を組織することができたら同じことをずっと大きなスケールで実現できそうと考えて、学生たちといろいろ策を練りはじめている。学生たちと作っている「サイ」のページに、その基本アイデアはのっている。その計画をこれから逐次実現していくつもりでいるので、興味がある方はときどき中をのぞいて、できればいろいろと協力していただきたい。

 
日本の近現代史を明治を通して考えてみる
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 この話はこのあたりで止め、話をずっと前のところに戻す。

 高級官僚たちとの集まりで、日本の近現代史について話をしたというエピソード(第52回)のつづきである。

 今年は、明治138年目にあたり、それは日本が近代国家になって、138年ということを意味するが、そのうちの55年間は、日本が「大日本帝国」を名乗っていた時代だというあたりまで、この前述べた。

 日本が大日本帝国だった時代と、そうでなかった時代(より古い方向にもより新しい方向にもそういう時代がある)は、全く異質の時代である。

 いまの日本に、大日本帝国の臣民だった人々がどれだけいるかというと、もはや、社会の少数者になってしまっている。

 今年は戦後60年だが、それは大日本帝国が滅亡して60年ということを意味する。つまり帝国滅亡時ゼロ歳だった人がすでに60歳になっているわけだから、大日本帝国臣民だった人は絶対的少数者になってしまっている。

 
next: 薄れていく大日本帝国時代の…
http://web.archive.org/web/20051204040743/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051117_60year/index1.html

薄れていく大日本帝国時代の記憶と歴史認識
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 私は終戦時5歳だから、幼児の5年間だけ大日本帝国の臣民だった経験を有する少数者の側に入る。

 しかも、そのほとんどを私は北京ですごしたので、まさに帝国の臣民そのものであった経験を持つことになった。──いまの若い人には、おそらくこの文章が何を意味するのかよくわからないだろうが、帝国というのは、異民族国家を従属国家として、あるいは植民地、半植民地として丸ごと支配してしまう巨大国家、超国家を意味するのである。

 私より年上のオールドジェネレーションの人々はみな帝国の臣民であった時代を体験しているわけだが、その人が帝国時代も本国にとどまっていた体験しかなければ(日本人の大半がそうだった)、日本が帝国であった時代を本当に知っていたことにはならない。

 海外の日本の植民地、あるいは半植民地状態の地域に一定期間生活して、異民族を支配する特権階級の側に立つ経験がないと、帝国以前(あるいは以後)の時代との差異がわからないということである。

 私は、子供ながらにではあるが、そういう身分にあることの意味を実感的に知っている。

 そういう体験がある人とない人とでは、中国や韓国の人々がよく口にする「歴史認識」の問題の受け取り方がまるでちがってくる。外国で絶対的支配者の側に立つことを経験したことがない人々には、おそらく、支配される側に立たされた人々の気持ちがまるでわからないだろうと思う。

 歴史認識の問題とは、基本的に、日本が大日本帝国時代に従服者、絶対支配者としてなしてきた数々の行為について問われるものだが、大日本帝国時代の記憶を残す人々が、すでに絶対少数者となり、これからもっともっと少数者となっていこうとしているだけに、それを問う側と問われる側の認識と理解の齟齬はこれからひどくなる一方だろう。

 
我々の日本は「『ポスト大日本帝国』としての日本」
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 先に紹介した12月はじめに文藝春秋から出る「天皇と東大」は、大日本帝国が生まれてから滅亡するまでを描いた本なので、副題を「大日本帝国の生と死」にした。

 すでに戦後60年を経過したために、いまや大日本帝国が存続していた時間よりも大日本帝国が滅亡したあとの時間のほうが長いことになってしまった。

 若い人は、いまさら大日本帝国時代の日本を語ることに現代的価値は何もないと思うかもしれないが、私は今こそそれを語るべき時代だと思っている。

 
next: 我々の日本は…
http://web.archive.org/web/20051126164951/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051117_60year/index2.html

 我々の日本は「『ポスト大日本帝国』としての日本」であり、あらゆる意味で大日本帝国の遺産(正の遺産、負の遺産とも)を引きずっており、それから逃れるすべはないからである。

 大日本帝国を滅亡させたことで、我々がどれほどのものを失ったか、おそらく若い人には想像もつかないだろう。試みに、日本史地図帳を見て、戦争がはじまる直前、日本がどれだけ多くの国土を持っていたかを確認してみるとよい。台湾も、韓国も、北朝鮮も、樺太も、広大な南洋諸島も日本の領土(ないし国際連盟の信託委任統治領)だったのである。そして、本州の3倍以上もある満州が、日本の植民地同様の国としてあったのである。

 
現実の歴史展開は為政者の政治選択でどうにでも変わる
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 もし、日本があの愚かな戦争をせずにすませていたら、日本は今日全くちがった国であったろう。

 第2次世界大戦において、ヨーロッパ諸国とアメリカだけがあの恐るべき消耗戦を戦い、日本が局外中立の第三国という立場を貫くことができたら、あるいは、日本が独伊と組む枢軸国の側に立たず、むしろ米英と組む連合国の側に立っていて、第2次世界大戦を勝者の立場で終えていたら、日本は戦後世界において、世界有数の超大国の一つになっていただろう。

 ──もちろん、そうなったら、歴史の全面的書き換えということになるから、その後の現実と同列には論じられないし、そもそも現実の歴史展開として、どちらがよかったかという価値評価とは全く別の話になる。しかし、あの頃日本の政治指導者たちが別の選択をしていたら、別の歴史展開が明白にあったのだということは、やはり認識しておくべきだろう。

 現実に起きた歴史だけを絶対視する立場に立ってしまうと、このようなことは考えてみることすら愚かと思うかもしれない。しかし現実の歴史展開というものは、どの時点においても、運命論的に決定されたものではなく、そのときどきの為政者の政治選択によって、どのようにでも変わりうるものである。

 いくつかの歴史の曲がり角において、ときの政治権力を握っていた愚かな政治指導者たちの愚かな政治選択によって(同時にそのような政治権力者に権力を握らせたままにしておいた国民の愚かな選択によって)、我々の歴史はあのような展開をたどってしまったのである。それは決して動かせない宿命などでは全くなかった。

 
next: 60年という年月が…
http://web.archive.org/web/20051126165015/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051117_60year/index3.html

60年という年月が一国の体制にもたらす変化の大きさとは
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 国家百年の計を考えるときには、当然のことながら、その前提として、百年のタイムスケールで過去の歴史を見すえることが必要になってくる。

 今年は明治138年などと妙なことから話を始めたのは、歴史を正しく見るためには、そのような時間尺の変更を自由自在に行いながら、歴史を別の角度から見ることが必要だということがわかってほしいと思ったからだ。

 ということで、もう少し似たようなことをやってみる。

 今年、戦後60年ということは、大日本帝国が滅亡して、国家の体制が全く変革されてから60年ということだが、同じように国家の体制が根本的に変革された明治維新から60年目の年(つまり明治60年にあたる年)というと、どのあたりかというと、1927年で、昭和2年ということになる。

 その前後の状況をながめてみると、60年という年月が、一国の体制にもたらす変化の大きさの意味のようなものが見えてくる。

 
明治維新当時の弱小国が第一次大戦後は五大強国に
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 明治維新の頃、日本は世界で誰からも注目されていない、地球の果ての一小国にすぎなかった。

 明治元年は、産業革命100年で、フランス革命80年(ルソーの社会契約論100年)。ついでにいっておけば、カントの「純粋理性批判」80年で、マルクスの「共産党宣言」20年、ダーウィンの「種の起源」10年にあたる。しかし当時の日本には、そんな書物の存在することすら知る人が誰一人いなかったわけで、文化的に、日本は世界の最前線から一まわりも二まわりも、いや、何十まわりも遅れていた。

 ついでにいっておけば、明治維新は、アヘン戦争28年にあたり、中国大陸の帝国主義は分割がはじまっていた。同時に、イギリスがインドのムガール帝国を滅ぼして、直接統治にのりだして10年目にもあたっており、ヨーロッパの列強諸国が、世界を帝国主義的に分割統治していく、帝国主義の時代の初期課程にもあたっていた。

 遅れに遅れて出発した日本は、一心に文明開化に邁進し、富国強兵につとめた結果、急速に、国力の点でヨーロッパ列強に追いついていく。

 1894、5年の日清戦争で、台湾を植民地として入手し、帝国主義国家の仲間入りを果たす。

 1904、5年の日露戦争では、遼東半島を手に入れ、韓国に対する支配権を手に入れ(1910年に併合)、満州鉄道を手に入れて、満州に手をのばし、本格的な帝国主義国家になっていった。明治22年(1889年)に日本が大日本帝国を名乗ったときには、帝国の実体はなきに等しかったが、日露戦争が終わった頃には、名実共に帝国になっていた。

 日露戦争が終わった時点で、日本は八大強国の一つにかぞえられるようになり、第一次世界大戦の後は、五大強国の一つにかぞえられていた。

 
next: 過去よりも遠く…
http://web.archive.org/web/20051126165039/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051117_60year/index4.html

過去よりも遠く国連の常任理事国になれない現代の日本
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 第一次世界大戦に日本は参戦したが、日本は英米側に立ち、熱い戦争を行ったのは、中国大陸におけるドイツの拠点(膠州湾、山東半島、青島)に対してであって、あとは、参戦国に対する物資補給に力を注いだから、日本は大戦中、未曾有の経済的成功をおさめた。

 それまで入超基調であった貿易収支はたちまち大幅な出超に転じ、世界的に船舶が払底するなかで、日本の海運業は驚くほどの盛況を示し、貿易黒字を上まわるほどの利益をあげた。ために、戦争前15億円余の債務国だった日本は、一挙に約3億円の黒字国となった。日本の正貨保有高は、3億円台から、20億円台になるという、驚くほどの上昇ぶりだった。

 経済大国になった日本の国際的地位も上がり、第一次世界大戦後の国際関係の基本を決めたヴェルサイユ条約の締結にあたっては、日本は主役のひとりとなり、その延長上に作られた国際連盟(1920年)においては、日本が文句なしの常任理事国となった。

 いまだに国連の常任理事国になれない現代の日本より、この当時の日本のほうが、国際社会において、はるかに高いポジションを獲得していたのである。

 このころ日本は、世界三大強国にかぞえられていたから、ワシントン会議(1921、2年)も、ロンドン軍縮会議(1930年)も、日本を三極のひとつに遇しながら開かれた。

 このあたり、ヴェルサイユ条約(1919年)から1928年のパリ不戦条約にいたるまでの10年間は世界が最も平和を楽しむことができた10年間で、日本の国際社会における地位が絶頂に達した時期でもあった。

 
小さなハンドルのきり間違いでどん底に
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 しかし、このあたりから、奢れる日本の大転落が始まる。すなわち、1928年におきた張作霖爆死事件(満州某重大事件)が、やがてそれに引き続いておこる満州事変(1931年)の導火線になるし、それに続く独善的な満州国建国によって、日本は国際社会の孤児となっていく(1933年に満州建国を認めない国際連盟から脱退)。

 経済的にも、日本は1927年、金融恐慌を引き起こし、1930年には、農業恐慌から世界恐慌の波に呑みこまれて、一般的恐慌状態におちいってしまう。そして、国際的にはヴェルサイユ条約破棄を叫んで、世界の孤児たる道を選んだドイツと手を結び(1936年日独防共協定)、中国大陸ではついに盧溝橋事件(1937年)以来なしくずしの全面戦争に突入していく。

 
next: 世界で最も輝かしい…
http://web.archive.org/web/20051126165103/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051117_60year/index5.html

 世界で最も輝かしい成功をおさめていた国が、ほんの数年の間に、みるも無残な失敗を繰り返し、ついに国家をとりかえしのつかない大破綻状態に追い込んでしまう。どこからどこまでと厳密にいうことは困難だが、絶頂から大転落の開始まで、ほんの十年余だと思う。その間に起きた、ほんの小さなハンドルのきり間違いが、やがて、取り返しのつかない大失敗として帰結してくる。

 私は、今の日本が置かれている状況は、まさにこのような、ほんのちょっとしたハンドルのきりちがいが、ゆくゆく国を滅すような恐るべき結末をもたらし得る臨界期にちがいないと思っている。

 
パワーを競い合う角逐期と権力のシャッフル期は交互に訪れる
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 国際社会は、グレートパワーが一定の安定状態の中でパワーを競い合う角逐期と、安定状態が失われて、次の安定状態を求めて次世代パワーがバトルロワイヤル状態で覇権を競い合う権力のシャッフル期が交互にやってくるのだと思っている。

 20世紀の後半は、長らく米ソ二つの超大国がにらみ合う冷戦構造を続けた後、20世紀の終わりにソ連が崩壊した。その後アメリカ一極構造の上に、これが新しい世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー)とアメリカが唱える体制が何度か提案された。しかし、さまざまな不安定要因が出現して、安定状態が壊されるということが何度もおきては、まだ新しい安定状態が見出されない状況がつづいていると総括できると思う。

 その中で日本はどう生きていったらよいのか。誰も明確な指針を指し示さないまま、日本の国内政治体制だけは、小泉首相の05年選挙大勝利による、一種の安定状態が保たれている。

 しかしこれが、本当の安定状態なのかといえば、全くそうは思えない。

 小泉首相は、あとは小泉改革の総仕上げだと称しているが、小泉改革のほとんどが中途半端な仕上がりで、総仕上げどころか、総破綻に終わる可能性も大だし、小泉首相が頼りとしてきたアメリカのブッシュ政権は急速に、アメリカ国内での政治基盤の安定性を失いつつある。

 曙光が見えかけている日本経済にしても、緊急措置として行われてきた日銀の量的緩和措置ですら、解除したくても解除できない状態が続いている。── 下手に解除すると景気の足を引っ張りかねないし、解除が遅れると、過剰流動性がアンコントローラブルになってインフレがおきかねない。

 外交課題も暗礁に乗り上げたままのものが多く、財政改革も、増税以外決め手がないという状況に追い込まれており、見かけ上安定しているかに見える05年体制、意外に突然の破綻に見舞われる可能性大と私は見ている。

 
立花 隆

 評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。

 著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。

 

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