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多分であるが「情けは人のためならず」という言葉の意味が変化してしまったのだ。
本来、この言葉の意味は
【人に情けをかけておくと,巡り巡って結局は自分のためになる】
という意味である。
このことを「諺の意味」として知っている人は多いのだろう。
クイズとして出されたなら、正解できる人の比率は半数くらいになるというデータもある。
しかし、「諺の意味」も時代として変化する。
すでに現在においては、ほとんどすべてともいえる人が、クイズでは不正解とされる。
【人に情けをかけて助けてやることは,結局はその人のためにならない】
を、正解と「規定してしまっている」のだろう。
言葉遊びでも、比喩的表現ではなく、実践的行動として、そうするのが正しいという「時代に変化した」という経験則と認識が「生まれた。」のだろうと思う。
これは「単に、善意の助けることができる人が少ない」という意味ではない。
国民の中には、まだ、善意のボランティア精神を捨てない人が多くいる。
しかし、その善意の行為に対する、「感謝の気持ち」は間違いなく低下している。
政府が弱者を支援するのは『当たり前』
金持ちは、金が余っているのだから『より大きい負担金を負うのが当然』
暇な人は、困っている人のために『ボランティアをすれば良い』
支援を受ける人たちの中にも、そして、周りで見ている人や評価する人の中の大多数の人の「心の中」に、そのような気持ちが「生まれてしまった。」というのが「時代」の変化である。
言い回し、表現力の未熟さは、読む人の「善意に解釈する読解能力」に頼るしかないのが非常にもどかしいのだが、すでに時代は
【人に情けを施しておいても、巡ることは期待できず、将来、自分のためになるとは思えない】という「善意は立ち消えになる社会」になっているとの「共通認識」が確立されてしまっているのだろう。
以前にも取り上げたことがあるが、今の日本の中で、非常に優れた洞察力を持っているひとの一人である「きっこ」さんが、きっこの予言と思われる文章を「きっこブログ」で公表されている。
【崖の上のビル】
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2008/09/post-7f72.html
この予言を素直に解釈すれば、「現在の世界金融危機は、立ち直るように見えても、結局は破滅に向かい、最後には破綻する。」との解釈になるだろう。
このブログの怖いところは、これは「きっこさんの知識・推理からの予想」ではなく「ビジョンとして見た」という部分である。
意識のある人は、このブログを「良く理解できるまで、繰り返し読んでみるべき」である。
その上で、考えられることは、これは「天からの啓示」以外には解釈のしようがないという気がする。
人には自分の知る知識以上の範囲では「予測」は出来ない。
きっこさんの「この文章を書かれた経緯を素直に受け止めたならば」
これは、きっこさんの「創作」でも「予測」でも「妄想」でもないということで、きっこさんの持っている知識の範囲からでは、生まれない「ビジョン」ということになる。
おそらくは、今日本で一番注目されているブロガーの一人であるきっこさんは「選べれた」のであり、そこには「人間の現在の科学では解明されていない存在の意志」が感じられる。
ということは、きっこさんの予言は当たるのだろうと考えられる。
世界の破綻が迫っている。
その時に「困っている人がいたら、助ける」
「助けられた人は、感謝し、自分も困っている人がいたら助けるように思う。」という「情けが巡っていき、波紋として、広がっていくことによって、善意のネットワークが張り巡らされた社会」はなくなっているのである。
「派遣村」が評判となり、右往左往しているが、こんなものは、商店が「売れそうもない残り物の商品」を提供し、旅館でも個人宅でも「空いている部屋を提供」しようと思うくらいの社会であれば、「何の問題にもなっていなかった」ような出来事だったのかもしれない。
しかし、現実は「金にならない、部屋が汚れる、損だ、泥棒されるかもしれない。」
圧倒的多数の人が、そのように「他人という存在は、隙を見せるのは危険」との意識を持っている。
つまり、不信感が蔓延しているのだろう。
互いに信頼関係が築けず、不信感しか持ち合えない社会において、この危機は回避することは出来ないし、助かる道を見いだすことも出来ないだろう。