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(回答先: 後々に、「全体主義の発露」を象徴する出来事とみられるようななるかもしれない。 投稿者 乃依 日時 2009 年 1 月 06 日 07:36:15)
引用先の副島氏の意見も読ませていただきましたが、副島氏は、「終わっていますね。」
以前の9条ネットに対する共産党の対応と全く同じレベルの「嫉妬とやっかみによる評価」によって、善意の行動を貶めるような評価をしているとしか思えません。
自分のやっていること以外は「すべて、裏があり、陰謀がある」というような色眼鏡で物事を捉えようとして、相互不信を増長するような「輩」は、これから先の社会では「役に立たない存在」となるでしょう。
仮に、「全体主義の発露」であり「隷属化」だったとして、では、何を、どのようにすれば良いと思われているのでしょう?
企業の生産調整によって、失業した派遣労働者や非正規社員達は「この際、見殺しにして、明日の革命のための人柱としての犠牲者になってもらおう」とでも主張されるのでしょうか?
間違っても、そんなことは考えていないのでしょうが、人のやることを非難するのは簡単ですが、対案の伴わない非難では「何の解決にもなりません。」
三国志時代の「話」では「案が出来ないうちは、軍師は会議を病欠した」とも伝えられていますが、意見の主張には「覚悟」も大切でしょう。
気付ける人なら、気付けるでしょうが、Kはほとんどの主張で「対案」を含めて主張してきています。
今回の「終わった」という意見にも「それは、含まれています。」
まあ、気付けない人と、気付こうとしない人では、分からないでしょうが・・・
すべての、回答は、自らの中に見つけるしかないのです。