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(回答先: 集団という社会・組織は「必要」ですよ。 投稿者 考察者K 日時 2009 年 1 月 01 日 17:11:12)
社会組織が必要だからといって今の日本国というような国家が必要であるかあるいは妥当な組織であるかは又別問題でしょう。
私の考えでは組織としては大き過ぎます。
もっと小さな単位で自治的な組織を作りその上のゆるやかなネットワークで結ぶべきです。
国という巨大な単位で金を集めてその金を使って様々な政策を実行する事は無駄遣いをする可能性を大きくしてしまうのです。
一般の国民のチェックも働きにくいです。
それで戦争を始めたりするのです。
>集団という社会・組織は「必要」ですよ。
その事と国家が必要かどうかは別問題。
>勘違いしてもらっては困るのですが、人間というのは集団で生活する動物です。
>「適材適所」「セーフティネット」という言葉でも分かるはずですが、人間には得手>不得手もあり、一定の集団に属することで「生きるすべ」があるのです。
その集団の単位はできるだけ小さな単位で自立するように持っていくべきです。
>「国家」という単位が適切か否かは問題もあるでしょうが、
それが分かっているのならその事をもっと掘り下げるべきではないですか?
>その集団に帰属するのなら、その集団を「みんなで良くしていく」という「集団貢
>献」は必要になるのです。
まず世界という集団をよくする事を考え。その上ででは日本はどうすべきか?という順番で考えるべきです。
>>【日本人を幸せにする為に外国人の幸福追求の権利は制限する?】
>何度も書いていますが、外国人ということだけで、差別するのなら、それは正しくは>ありません。
>しかし、集団である限りは、将来的に「集団の利益になる人材と、利益にならない人>材」は同一に扱うのも誤りでしょう。
外国人が日本で働いて商品やサービスを日本人に安く提供する事は日本人の為になるのでは?金を受け取る事だけしか貴方は見ていないのではないですか?
>集団の仲間が餓死する状況下で、集団の将来に貢献する「帰属しないよそ者」の方の>人権を保護するというのは狂気の沙汰です。
日本人が餓死する問題は外国人が来ようが来まいが解決すべき問題でしょう。
外国人を排除したからといってその分の雇用を経営者が行わなければ状況は同じです。
経営者の良心をあてにするワケにはいかないでしょう。
日本人労働者を完全雇用する事は外国人労働者の有無に関わらず政治が解決すべき課題です。
その無関係な2つの事を無理やりこじつけ的にリンクさせるのは間違いです。
対立を煽らないで下さい。
>ここに異を唱えるのは、集団にとっては「売国奴」であり「裏切り者」ですから、異>を唱えるのは自由ですが、自らが集団から排除されることを覚悟する必要がありま>>す。
外国人労働者が来る事が日本人労働者の失業に直結しないのに外国人労働者の排除に異論を唱えたら売国奴とは貴方も随分と非論理的な右翼ですね。
排他的な精神の塊だ。
>基本的に「外国人の出稼ぎ人」は、金持ちの作ったシステムを利用して、自らも「金>持ちになろう」という考えの下に、金持ちの作ったシステムを追認・後押しする行為>をしている「労働者にとっては裏切り者」です。
より有利な条件で働きたいだけですよ。
それは世界の全ての労働者に認められるべき権利です。
>金持ちの作ったシステムを利用して「金持ちから、富を奪う」というのと、金持ちの>作ったシステムの延長線上に乗って、「他の貧乏人の富を自分の物にする。」の差は>理解できるでしょうか?
彼等は労働をしてしかるべき対価を稼いでいるのだからドロボウ呼ばわりはやめた方がいいですよ。
>誰にでも、外国人であっても「幸福を追求する権利」はあるでしょう。
>しかし、それは「無制限の条件下」においてではなく、他の庶民の生存権を脅かして>もいけないし、他人の国の「労働者の不利益の上に構築する自由までは無い」のです。
彼等が生存を脅かしているのではなく資本主義の制度が生存を脅かしているのです。
利潤追求の為に物が売れなくなったら労働者の生活を犠牲にしてもいいという。
>この一線を越えた自由を過去に行使したのが、「資本家層」です。
>この意味を、良く考えてもらいたいのですが、「資本主義の歪みを利用して、幸福を>追求するという考え方が、他の労働者を不幸にする原因」なのです。
労働者を不幸にするのは資本主義であって外国人労働者ではありません。
>「幸福を追求する自由」を行使するなら、「金持ちの富を奪え返す」もしくは「他の>労働者の不利益につながらない」という考えの延長線上に構築するのが正しい道だと>思っています。
もちろん、税制や雇用政策などの改革で貧乏人が最低限の生活を送れるようにしなければなりません。
>さらにいえば、「集団に骨を埋める気もない。腰掛けバイト」によって「先住権を持>っている集団帰属者の生存権が脅かされる」のなら、その腰掛けバイトが「集団の帰>属者によって生存権を脅かされる」のも、必然的な流れとなります。
外国人労働者が日本人労働者の生存権を脅かすという事は証明されていません。
労働市場は椅子取りゲームのような単純なモデルでは説明できません。
>無論、その流れが「良い流れ」という気はありません。
>本来なら、よその集団の出稼ぎ労働者であっても、受け入れられるような体制の構築>をするのが、良いことです。
その通りです。
その事を追求しようと言っているのです。
>しかし、現行では、集団のシステムを構築しているのは「自己の利益を追求している>資本家層」であるのが、現実なのです。
>困っている人がいたら、受け入れて助けられる社会を構築してもいない社会におい>>て、受け入れる「状況であるか?ないのか?」も全く考えずに受け入れろと主張され>るのは「10人乗りの救助ヘリに20人乗せろと主張して、足を引っ張るエセ人権主>義者」という論証は以前にも行いました。
受け入れる事ができる体制を構築すべきだと言っているのです。
それも考えずに安易に排除を主張する事に異議を唱えているのです。
いや、別に今の体制では受け入れる事ができないと言っているのではないですよ。
>「頭脳労働」も立派な社会貢献ですが、「頭脳労働をするフリ」をするだけなら、そ>れは、社会貢献でもないでもなく、単なる迷惑な「自己満足」でしかありません。
世界人民との連帯を構築しなければどのみち我々にいい世界はやって来ないでしょう。