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(回答先: これが、本気なのだろうから、ホントに始末に悪い。 投稿者 考察者K 日時 2009 年 1 月 01 日 21:42:07)
ある国有地がある。結構ゴミが捨てられているが、「ゴミ捨てるな」の表示はない。
そこにゴミを捨てた外人さんがいて、それを見たKは注意した。
K「やたらとゴミを捨ててはいけません。」
そこに、やってきた、自称人権主義者のWさんが異を唱えます。
W「外人だからといって注意しているのかい?それは差別じゃないのか?」
K「必ずしも、そうではないですが・・・」
W「外人さんは、ゴミ袋買うのも大変なんだから、少しくらい大目に見てあげたら良いだろう。誰にだって、ゴミを捨てる権利はあるんだ。ここは、国有地なんだから、掃除するのは国がやるんだから」
K「日本国がやるということは、日本国民が負担しているのでしょう。」
W「そうだよ、しかし、外人さんだって、税金は負担している。日本人ならゴミを捨てて良くて、外人さんなら捨てては駄目というのでは、差別であり、そんな考えだと、日本人と外人さんの間で対立になる。」
K「日本人であっても、本来ゴミは決められたゴミ袋を買って、それに入れて、決められた場所に出すべきですが、現在は失業者も多くて、ゴミ袋も買えない人もいるでしょうが、外国人は自分で日本に来て暮らしているのです。日本でしか暮らせない日本人と、全く同じに扱うのはどうでしょう?」
W「同じに扱わなければ差別だろう。」
K「よく考えてもらいたいのですが、日本に暮らす日本人が、政治の失政によって、ホームレスとか失業者とか貧困になって、ゴミ袋も買えないけど、生きていればゴミも出るので、仕方ないので、ここにゴミを捨てたとします。Wさんは、どう思います?」
W「失政は国にも責任があるから、仕方ないかな、ここは国有地だから、国が掃除するだろうしね。」
K「では、ゴミ袋を買って、ゴミを捨てる気なら捨てられる人が、少しでも節約するために、ここにゴミを捨てたら、どう思います?」
W「まあ、感心できることではないね。ゴミは極力出さずに済ませる生活を考えるべきだがね。」
K「では、ゴミ袋を買える外人さんだったら?」
W「外人さんは、決死の思いで日本に仕事に来ているのだから、多少は大目に見てあげるべきだろうね、彼らの頑張りで、日本人の人も安い買い物が出来たりするのだろう。」
K「Wさんは、賽銭泥棒をどう思います?」
W「急に、話が変わるね、まあ、泥棒というのだから、いけないことだろうね」
K「人は誰でも幸福を追求する権利がありますよね?」
W「あるだろうが、泥棒をしてまでのものではないよ。」
K「そうですね、法律に明文化されている、されていないに関わらず、常識的に判断した上で、他人に不利益をもたらす行為によって、自分の幸福を追求する自由まではないと考えるのが妥当ですよね。」
W「まあ、そうだろうね」
K「赤信号、みんなで渡れば怖くないとも言いますが、罰せられる罰せられないに関係なくルール違反は、感心できませんよね。」
W「まあ、そうだろうね」
K「労働者にとって、自分の利益のために、他人の利益を害する行為をすると、結局は、労働者全体の不利益となって、回り回って、最終的には自分に不利益をもたらします。」
W「良く分からないが、そのようなこともあるかもしれないね」
K「サービス残業、低賃金ダンピング労働は労働者全体に不利益をもたらしますので、国籍、出身国を問わず、大目に見るのは間違いです。」
W「・・・・・」
K「また、集団への帰属というものによって、誰でも公平に扱わなければ差別というのも間違いです。」
W「それは、差別意識の始まりだろう」
K「一般のお客さんと、得意客、株主、従業員で販売価格が異なれば、差別ですか?一概には言い切れませんが、一般的企業の商店などでは、通常価格、お得意様限定セール、株主優待価格、従業員価格などの設定があったりしますよね。」
W「良いことか悪いことかは別にして、資本主義的なことだ。」
K「これは、その企業・組織から見た貢献度合いとか将来的戦略における囲い込み戦略とか企業の打算などもあるでしょうが、一般的に見ても組織を維持するためには有効と考えられる合理性も持っています。」
W「難しい話だね」
K「つまりは、将来的に、日本の労働力、または、生活を構築するでろう恒常的な消費者として貢献が期待できる国籍的日本人と、腰掛け労働者たる出稼ぎ外国人とを、同一に扱うのも、おかしいのです。」
W「外人と日本人の労働者の対立を煽るような屁理屈だね。」
K「そうではありません。将来、自分の老後の面倒を見てくれるであろう自分の子供と、他人の子供を、完全に同一に扱えというのは、おかしいでしょう。」
W「話が別だね」
K「同じでしょう。視点を変え、単純化して考えてみれば、考え方の理屈は、どれもこれも同じなのです。違うというのが屁理屈なのです。」
W「私は、誰にも差別なく接するようにすべきだと思うよ、そう考えないのは差別主義だと思う。」
K「会費を納めている会員と、入会を勧めても断り続けている非会員を、同じに扱えというのは理屈にも何もなっていないでしょう。」
W「資本主義的な右翼思想だ。」
K「結婚している妻たる女性と、妻以外の一般の女性を、同じに接しろと言う狂気が理解できませんか?」
W「話が違うし、単純化したって誤魔化されはしない。」
K「じゃあ、Wさんは、上司と外人バイトに同じに接しますか?」
W「役職があるから、職場では規律を持って接するが、人としては差別なく、同じように接するべきと思うよ。」
K「では、学校の先輩に対してと、後輩に対しては?」
W「よく、次から次へとポンポンと事例が飛び出すものだが、人生の先輩なら年長者としての敬意は払う必要もあるだろうから、その点は考慮するが、人として、同様に接するように心掛けるのが適切だろうと思うよ。」
K「その敬意という部分が問題なのですが、そこに本質たるコアがあるのですが、誰とも公平に接するというのが妄想であり、欺瞞なのです。」
W「差別主義者の詭弁だね。そもそも、日本国というような国家単位の枠組みに囚われるのが右翼的思想であり、選別排他思想の性根が透けて見えるね。」
K「ともかく、外人はここにゴミを捨てるのは駄目です。」
W「差別ではないか?」
K「ここは、日本の国有地ですから、国籍日本人以外のゴミ捨ては侵略行為です。」
W「世界市民という視点で考えれば、国有地ではなく世界市民共有地とも言い換えられるのではないかな?」
K「では、百歩譲って、そうしたとして、世界市民の視点で、公平に見たときに、ゴミ袋購入能力を有した世界市民が、ズルこいて、ゴミの不法投棄をしたのですから有罪でしょう。」
W「外国人労働者は困っているのだ」
K「世界労働者の立場に立っても、彼らは、資本家層の作り出した不完全なルールを利用して、資本家層に媚びを売って、法外な収入を得ようとしている、抜け駆け労働者です。」
W「労働者同士の対立を招くような意見は言うべきではない。」
K「その意見は、日本の労働者に対してと、外国人労働者に対してと、分けて考えろという過保護に振れています。」
W「日本の労働難民は日本政府が救うべきだ。」
K「日本の国力、税収では、世界の労働難民を救済する力はありません。」
W「世界政府が救済すべきだ。」
K「そんな無い物ねだりをしたって駄目です。」
W「無ければ作れば良い」
K「作る前段として、日本労働者の地位向上を目指し、日本の労働者に有利となる条件整備が必要不可欠になります。」
W「外国人労働者も、その運動に組み入れ協力連帯するべきだ。」
K「労働者に背を向け、自らの利己主義に走り、資産形成を目指している人に、何を期待しているのです?」
W「やって見もせずに、偏見で話をしてはいけない。彼らだって、賃金が増えるのは歓迎しているはずだ。」
K「単なる賃金闘争ではなく、労働者の地位向上という命題は、抜け駆けする労働者の労働力ダンピング販売規制も含まれる。自らそれを行っている者が自分の首を絞めるかもしれない運動に協力すると思うのがアホだ。」
気がつくと2人はゴミの中に埋まっていた。
これこそが、時間の浪費の極致とも言える無駄な議論である。 了