★阿修羅♪ > 雑談専用32 > 486.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 全ては両国間の取り決めでしょう。 こちらの都合で嘘を言う事は許されない。 投稿者 考察者K 日時 2008 年 7 月 19 日 08:02:05)
K殿 領土などという概念は人間が勝手に決めたものです。そして、お互いに主張は異なるものです。私は日本人であり、日本国民である。貴殿が日本国民であれば、当然外務省が主張する内容を理解しうると思う。http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html
『Kからすると「竹島問題というのはとっくに解決済み」と云う問題である。』というのは、違法に実効支配する側の問題である。K殿は朝鮮半島側の主張をされるのであれば、竹島問題、< http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/ >を論破するくらいの覚悟は有りますか?日本人であれば、竹島問題のホームページを読めば、納得できるはずです。
日本の実効支配の証拠としてあげられるのは、1656年明暦2年江戸幕府の松島への渡航許可 を出している。最初に竹島を実効支配したのは日本である。いつ竹島を発見したかは定かではないが、幕府は松島(現・竹島)への渡航許可を1656年に出しているので、少なくともそれ以前に竹島(旧・松島)は日本人の経営支配下に入っていたことを意味する。
また、江戸時代後期に作製された伊能忠敬(1745年―1818年)の「大日本沿海輿地(よち)全図」(伊能図)の中図と小図に桂島として竹島は載っています。http://albatross.soc.shimane-u.ac.jp/src/news/scs40.htm
K殿の根拠のなっている、『此儀ハ 松島ハ竹島ノ隣島ニシテ 松島ノ儀ニ付 是迄掲載セシ書留モ無之 竹島ノ儀ニ付テハ元禄度後ハ暫クノ間 朝鮮ヨリ居留ノ為差遣シ置候処 当時ハ以前ノ如ク無人ト相成 竹木又ハ竹ヨリ太キ葭ヲ産シ 人參等自然ニ生シ 其餘漁
産モ相應ニ有之趣相聞ヘ候事』は、明治政府・外務省出仕の佐田白芽(さだはくぼう)が、朝鮮視察から帰国した1870年に発した公文書である。これを基に韓国は、日本政府は松島(韓国名・獨島)を放棄したと主張する。確かに現在の竹島は昔松島と呼ばれていた。当時はまだ西欧列強は、日本海の地図を完成してはおらず、竹島と鬱陵島の区別もつかず、混乱していた時期でもある。また、維新直後の新政府成立直後の時期における明治政府の認識も、松島・竹島と鬱陵島の区別において混乱していた。まして当時の朝鮮政府には問題意識すら欠如していた可能性もある。
佐田白芽が「竹島・松島、朝鮮付属に相成り候(そうろう)始末」とした2つの島は、存在しないArgonaut(竹島)とDagelet(松島=ここでは鬱陵島)のことであり、現在の竹島(旧・松島、Liancourt Rock、Hornet)のことではないのである。5年後に同氏が発刊した『改訂新鐫朝鮮全図』を見ても、現在の竹島が朝鮮の版図に入っていない事から明らかである。 西欧の地図によって混乱する以前の日本の地図には、竹島の位置や大きさ等が正確かつ詳細に書かれている。