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(回答先: それほど、日本国が嫌いならば「日本人を辞めるしかない」のでは? 投稿者 考察者K 日時 2008 年 7 月 09 日 07:07:35)
返信ありがとうございます。ちょっと歯痛で考えがまとまりにくかったので、遅くなりました。基本的にテンポは遅いのですが…。
日本という国が好きかということと、国旗国歌の問題はちょっと違うと思います。
君が代を歌わず起立しないぐらいで、式典の妨害になるとも思えません。
現場を混乱させているのは、教育法、教育方針などをころころと変える文部科学省です。
ゆとり教育が悪いなどと叩いていますが、知識詰め込みをやめて、自分で考えさせる力をつけようというのが当初の目的だったように思います。
仮にゆとり教育を始める前のテスト内容を変えずにやっているのなら、いい成績が取れないのは当たり前です。
(これは、仮説ですが。テストの内容がゆとり教育施行以前と以後、またはゆとり教育をやめてからのテスト内容が変わっているかどうか私にはわかりません)
>言葉巧みに「日頃の教育の全てが国歌隷属の子供」を育てるかのような印象誘導を行っている文章です。
これは、誤解です。教育者の一番大事な仕事は普段の教育にある、と言う意味です。
卒業式などの式典を行うことだけが教師の仕事ではないということです。
>式典のために「教育がある訳ではない」
と、あなたが言っているのと同じです。
私も歌を歌うことが国家の命令に絶対服従の精神を育てるとまでは思いません。
国旗国歌はただの始まり、きっかけに過ぎないということです。
周りに合わせることも大事ですが、自分の信念で行動することも大事です。常識の範囲内で。
「よど号ハイジャック犯」や「浅間山荘の立てこもり連合赤軍」などの、右翼・左翼に限らず、テロは何の関係もない一般市民などを巻き込むのでよくありませんし、他人に迷惑をかけるような行き過ぎた行為はよくありませんが、
なぜ教師が反対しているかということが大事なんだと思います。
それが理解できれば、ただ自分の我を通そうとしているのではない、とわかると思います。
確かに意見が対立した場合は、なんらかの方法で決めなければなりません。
しかし、多数決で決定したからと言って、多数決による決定に、必ずしも少数派が決定に服従する必要はないと思います。
私が少数派なら(内容によっては)可能な範囲で協力はしますが、多様な意見を排除するのはどうかと思います。
戦争の全てに反対しているわけではありません。侵略戦争には反対なだけです。
日本の国土自体が攻撃・侵略された場合は、戦わざるを得ないでしょう。嫌ですが。
(自作自演テロ、及びテロを除く。ウサマ・ビンラディンが911をやった、などと言って、アフガニスタンとイラクを攻撃されても困りますから)
日本が他国を侵略する可能性については、現状では、あるともないとも断言できませんが…。
大日本帝国の時代の日本は大正10年には国家予算の49%を軍事費に使っていたようです。
(旧日本軍兵士・故武富登巳男氏(2002年84歳で亡くなった小竹町御徳の「兵士・庶民の戦争資料館」館長)の「旧日本軍の実態」講演録より)
(北朝鮮の場合、相当数が餓死するのは政府の責任ということになるのでしょうか。それとも、日本政府が経済制裁を行ったせいでしょうか)
(アフガニスタンとイラクにおいては、アメリカに攻撃される以前に経済制裁を受けていました。その影響でアフガニスタン・イラク国民には餓死者・餓死寸前の者が出ている状態でしたhttp://www.jca.apc.org/stopUSwar/Afghan/5warcrime_in_afghan.htm)
しかし、大勢の人間が餓死する状況だからといって、負けるのがわかりきっているのに戦争を仕掛けるというのは愚かだと思います。
生き延びる為とはいえ、自分の身が可愛いがために他国に侵略するというのは、強盗殺人犯と変わりません。
どちらにせよ、政治権力の圧力を受けることなく、多様な意見が交わされる自由な環境を望みます。