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(回答先: 餓鬼を撲滅することが「国家再生」の鍵となる。 投稿者 考察者K 日時 2008 年 4 月 19 日 22:39:36)
心筋梗塞という病気がある。
心臓の周囲の血管に血栓が出来て血が正常に流れず、心臓の筋肉に栄養が行き渡らずに壊死をしてしまうという性質の病気である。
現在の技術ではつまった血管を広げて固定するバルーン(カテーテル手術)をするか、血管バイパスを形成するという措置をする。
仮に、つまった部分を切り取って前後をつなげられるのなら、その様にしたいところだろう。
「金の餓鬼」というのは「そのような血栓と同じ」である。
銭の亡者が「通貨の流れを妨げ」て「ワーキングプアのような人を生み出す」
極論すれば「銭の餓鬼」こそが「諸悪の要因であり、間接的な殺人犯」であり、国家を破産させる「癌の病巣」と言えるだろう。
現在の日本において「60歳の時点で金融資産を5億円以上持っていれば、ほとんど、何の心配もなく老後を暮らせる」と思う。
日本人の平均寿命から考えて90歳まで生きるとして「年収1000万円で30年分でも3億円、しかも、国民年金などの公的年金も受け取れる」
Kは相続時には「金融資産は一億円以上は100%課税で良い」と主張しているので、ここに2億円を確保しても「5億円以上をため込んだ時点で非国民であり、社会の癌」と認定して良いと言うことになる。
繰り返すが「使用目的がある銭」と「貯めるという目的の銭」では「全く性質が異なる」
「貯める」と言う事が目的とされた時点で「銭の亡者NO1を目指す」という「餓鬼」に成り果てているのである。すでに人間ではなく妖怪であり、血管の血栓である。
それでも「人生の楽しみ方は人それぞれとして尊重されるべきで、金持ちNO1を目指すという楽しみかたがあっても良い」という意見はあるだろう。
それも一理ある。
しかし、それならば「相続税精算制度(無制限の相続は廃止して上限規制をすると言う制度)」に賛成しなければならない。
個人の人生の楽しみかたは自由であって良い。
しかし、人生が終わったら「アイテムは場に返還する」ことを約束した上での事である。
自分の人生を思う存分楽しむためには「場が破壊されないルール」を形成する必要がある。
人生を送っているのは「自分一人ではなく、他人も送っている」のである。