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最近、集団ストーカーの被害者が急増しているという気がする。
阿修羅にも何人かお見えになっているようだ。
断定はしないが、ほとんどの人は「被害妄想」だと思われる。
前に、Kは「とんでもない奴(くだんの人)」の話を書いたが、その人、村内に知らぬ者がいないほどの変人との「噂」が出回っているらしいが、本人も「非常に噂に過敏」である。
そいつなら「集団ストーカー」の概念を知れば、自分も被害者だとか思い込むだろう。
何でも、ともかく色々な場所で「そいつの変人ぶりが話題になる」ようである。
Kは時たま、そいつに「このような噂があるらしいから、身を正せ」とモロに言ってやるが、そいつは「我が身を振り返ろうとはせず、うわさ話をすることを問題視しているが、人の口に戸は立てられないのだから、うわさ話の話題提供をしないようにする方が現実的な対処方法」と諭すのだが、いっこうに分からない。
単に自分の奇異な行動パターンは崩したくないが、うわさ話の主にはなりたくないと「勝手な事をほざくだけ」である。
多分であるが、間違った人権意識があり。「その人に、その人の価値観が狂っている」とモロに指摘しづらくしてしまっている。
「言葉狩り」と「他人の自由の尊重(個人の尊重)」というものだ。
その事が、その者の「自己修正の機会を奪い去っている」のであろう。
その事によって、周りは「指摘をしないで、噂をする」という事になる。
一定期間「風呂に入らない生活」を送れば、異臭が漂う。
その人が街に出れば、周囲が避けて通るだろう。
OLが2人いれば「チロチロと見ながら、陰口を言い合うだろう」
親切な人がいれば「あんた臭いよ、風呂は入りなさいよ」と言ってくれるかもしれないが、風呂に入らないという個人の自由に配意すれば「大きなお世話」とも言える。
集団ストーカーというのはそのような構造の産物ではないだろうか?