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(回答先: 戦闘的労働組合も組合を使わない闘争方法も両方発展させればいいと思います。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 2 月 22 日 12:22:21)
>ワヤクチャさん どうもです。
これはKの私感ですが、既存の労組は「進化できない」と感じています。
既に、御用組合として「労使の調整をする」だけの「企業の内部組織」としての役割をするだけの存在です。
方向性とすると「ユニオン系」の戦闘的組合は一つの可能性を持っていますが、過去に国鉄で頑張った千葉動労は失敗したと言えるでしょう。
組合として「組合員の権利を保護できなかった。」という「結果を残せ」ば「大失敗」としか評価できないのです。
組合は進化する必要があります。
しかし「組合」という枠に囚われる限りは「進化しきれない」と考えます。
組合の究極は「全部の労働者の権利保護をする労働者の結集」です。
それは、既に「組合」という概念ではなく、社会環境だろうと思っています。
自分が不利益を受けたら「声を上げる」
その声に「賛同者が集まり」自分自身の経験としての「声を上げる」
その声が「波紋のように広がった末に、同じ境遇の人たちが集まって、組合を形成する」
全ての労働者が「そのような意識になれば」社会環境が変わるでしょう。
「声を上げる」のは変人と思われるのではないか?
「普通の人は、これくらいでは声を上げないのではないか?」
「企業に睨まれたくないから、他の人が声を上げるのを待とう」
労働者が、そんな考えを持っている限りは「本当の意味の労働者の権利確立はない」と考えます。
組合があるから「声を上げられる」のでは「本当の意味での権利確立はできない」という気がします。
そして、今現在は「たった、一人でも、本気で戦えば勝機はあるようになってきています。」
個人であっても「不払い残業の証拠を記録し、良い弁護士に相談すれば、勝てる可能性があるでしょう。」
一人の勝利は「前例となり、後に続く者を出現させる事になる」でしょう。
もちろん、多くの人は「一人で戦い抜けるほど強くはない」でしょう。
ですから、組合の存在意義はないとは言いません。少なくとも「声を上げられる後ろだてくらいにはなり得ます。」
しかし、全ての労働者が「組合の後ろだけを頼らなければ声を上げられない」のなら、そこから先には進めないのです。
誰かが、勇気を持って先鞭を付けなくては「その企業の内部の問題点は浮かび上がってこない」のです。
組合は「あくまで、補助をする組織であり」
組合が「組合という組織を守ろうとした時から、その組合は組合としての機能がなくなっている」と言えるでしょう。
組合は「問題が先にあり」、「その問題を提起する人がいて」、「その問題を解決するために結成されて」、「本当の意味でその問題が解決した」なら解散で良いのだろうと思っています。もっとも、その問題が「本当の意味で解決する事はない」かもしれません。
多少難しい話になっているかもしれません。