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(回答先: ある「ビジネスモデル」を考えてみる 投稿者 そのまんま西 日時 2008 年 2 月 14 日 00:58:23)
>そのまんま西さん どうもです。
この投稿を見て、第一感として感じたのは「方向性とすれば間違っていない。でも、食の安全の基準とは何だろう?」でした。
前にも同じような事を書いたのですが
「中国食材の安全不安」というのは「一時的な流行のようなもの」とKは思っています。
>【毒入りギョーザ新展開 第2の毒物“日本で付着”(日刊ゲンダイ) ジリノフスキー松田】
http://www.asyura2.com/07/news6/msg/293.html
というような事実も解明されてきましたが、「中国産より地元(日本)産の方が安全」というような考えは「偏見によるイメージ」だとKは考えています。
今回の「毒入り餃子事件」がどのように決着するとしても基本的には「本質は何も変わらない」のですが、「商品の安全性は、製造過程、加工過程、輸送過程によって変化していく」のですが、「生産地と安全性は直接的には関連性がない」のだろうと思っています。
誤解を招くと困るので補足しますが「公害のある地域」というような産地ですと「安全性に問題は出てきます。」
汚染地域というような特殊な状況とか「製造過程で農薬を過度に使用している」というような場合には別ですが、中国産であるから「危険」というのは「偏見」でしょう。
中国産の肩を持つ気は「微塵もありません」が
>【国民の多くが「たとえ価格が若干高いとしても、できれば ”より安全な食品を消費していきたい”」と考えるようになってきていることも事実である。】
としても、値元に近いところで生産された食品が「安全性が高い」という根拠は非常に稀薄だろうと考えます。
「顔が見える人が生産している」というのは根拠ではなく、イメージでしょう。
極端な例をあげれば「信頼している妻に毒を盛られて毒殺される」という事だってあるのです。
仮に、今現在は「技術的な要因によって、日本産より中国産の方が安全性が低い」という事であっても「未熟や、不完全」というのは是正されれば「論拠が失われる」と言う事になるのです。
地産地消というのは「方向性として正しい」と思いますが、「安全性」という論拠とは切り離して考えないと、仮に「毒入り餃子は日本で毒が入れられた」とかの結論が出されたりすると行き詰まると思っています。
一時的なブームに依存するような「方策は持続性が期待できない」と考えています。