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古来より使われてきた手法に「離間の計」というのがある。
BIは「出来る出来ないの問題ではなく」
真面目に働く労働者の「怠惰の増加」の心配を払拭できない。
それだけで、現状からの「枝分かれした未来」の行き先にはなり得ない。
仮に、今後、未来において「BIが実践される」にしても、それには「まだ、いくつかの分岐点をクリアした先」の事である。
とてもではないが、一足飛びに「BI」に至るわけがない。
誰が考えたって「BIは乞食奨励法」であり「共生社会の価値観を破壊する政策」である。
「やってみなければ分からない。」は無責任者の言い分であり、「確定していない未来なので反証不能であるだけ」という詭弁の一種でしかない。
とりあえず必要なのは「職業を求める人」の全ての「雇用化」と
「最低賃金の底上げ(生活難民の救済)」であり、BIなどという「机上の戯言(空論にもなっていない)」に「憑かれても」、庶民の分裂を生むだけだと気付けなければならない。
「他者依存は、一度、陥ったら取り返しが付かない憑き物となる。」
何度か書いているが「乞食は3日やったらやめられない」
共生社会の中で「共に支え合う」という気持ちがなくなり「別の価値観」に取り憑かれるからである。
一般的に言う「責任感」とか「プライド」とか「人並み」とか「恥」という「憑き物(=価値観)」が綺麗サッパリ落ちてしまうからである。
身に纏う着物も「憑き物の一種」である。
「このファッションが良い」
「この色が良い」
しかし、価値観が変化して「見栄」という「憑き物」が落ちただけで、「暑い時には、軽犯罪法で逮捕されなければ、裸が良い」に決まっているし、実際に「夫のいない時の妻、とか風呂上がりの夫」、の「だらしない着衣こそ」が、「一番楽」な格好だから「人目を気にしない(見栄という憑き物が落ちれば)」のならば「その格好になる」のである。
「政府が保障してくれるのだから、寄生しよう」と「意地もしくは根性」と表現されるような「他人への迷惑」だけはさけよういう「良心もしくは正義感」というような物を維持するのを「諦めた時」に「人は変わる」のだと推測する。
共生社会では「受けた恩は返す」という「最低限の意地」で価値観が形成されている。
「他人の施しは受けない。」仮に受けた場合は「返す」
一宿一飯の義によって「命を賭けた出入りにも参加する」という事にもなる。
無論、任侠という価値観が「正しい」とは言わない。
こんな「意地」は憑き物でしかない。
しかし、共生社会を維持するためには必要な「価値観」でもある。
BIは「共生社会だからこそ実行可能」となる政策であり。
まさに「机上の戯言」であるから「隙間に潜めた魍魎」のような存在である。(理解できなければ「魍魎のハコ(漢字が出ない)」を見て下さい。)
いずれにしても、今は「BIなどという戯言」と戯れている時ではない。