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(回答先: 労働時間だけを抜き出して単純比較しても意味がないと思います 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2008 年 1 月 18 日 00:24:10)
>最大多数の最大幸福さん どうもです。
簡単に言って、昔話から「おじいさんは山に芝刈り、おばあさんは川に洗濯に行くのです。」
最小単位と言える「2人の共生社会」においても、人は「自分が出来る役割を果たす」という努力をすべきでしょう。
対価賃金が得られる労働と、対価賃金が得られない労働という労働があるのですが、人は互いに「相手の自由時間を増やす」と言う事を「共生社会では考える」べきでしょう。
「情けは人のためならず」
誤解している人も多いのですが、「情け」を掛けてあげられる社会は「重要」ですが「情け」に寄生してしまう人を奨励する社会では「正直者がバカを見る」だけです。
どのような形の労働であっても「社会のために自分の自由時間を削って、少しでも貢献しよう」という気持ちを育てるという必要性があります。
総体としての「自由時間」を増やす事と、特定の個人の自由時間を増やすのは別の問題です。
「働けない人」の「生活保障」と「働く気のない人」の「生活保障」は別でしょう。
共生社会においては「過去・現在・未来のいずれかにおいて、共生社会の一員として自分の役割を見つけ、それを実践してくれる事を参加」というのでしょう。
逆の意味においては「その人の参加によって、他の人の自由時間の増大に少しでも役立つ」と言う事ですが、労働意欲のない人の増加は「真面目な人の労働時間の増加に繋がるだけ」でしょう。
このような人を「参加している」とは言いません。「寄生している」と言います。
自分の「自由時間」のみを大切にして「他人の自由時間は減っても良い」もしくは「他人の自由時間は考えない」という自己中心的な考えを育てると「共生社会は崩壊する」でしょう。
「共生社会」を支えるのは「参加者全員の努力」であり「支える気のない人は不要」でしょう。