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(回答先: 「共生社会」では単なる「寄生者」は必要としないのです。 投稿者 考察者K 日時 2008 年 1 月 18 日 06:40:44)
Kさんのおっしゃることも、よくわかります。
「単なる寄生者」は、よくない。 このことは、わたしも同感です。
悩ましいのは、「単なる寄生者」と「対価賃金が得られない労働の労働者(?)」の区別ですよねぇ〜。
ざっくりイメージで言えば、「毎日、食って飲んで寝るだけ」とか「テレビゲームしてるだけ」というのは、
「単なる寄生者」の位置づけになるんでしょうね。
それで、家族を支えるための家事や育児をする人は、「対価賃金が得られない労働の労働者」ですかね。
こういった、わかりやすい例の場合は、まだ区別可能と言えますが、往年のあっしらさんのように、
ほぼ一日中、阿修羅に常駐して、書き込みを続けているような人は、どう処遇したらいいのだろう?(笑)
阿修羅も、テレビゲームと変わらないようなものであるから、「単なる寄生者」なのか、
多くの人々に刺激や知識を与えるという有為な活動であるから、「対価賃金が得られない労働」と、
認めても良いのか。
こういった、微妙な判断を迫られる事例が、続出しそうである。
「人は、何らかの社会貢献に参加すべきである」
そのこと自体は、わたしも異論はない。
しかし、通貨配分をする際に、どういった判断基準を用いるのか?
その判断基準を政府が決めるということで、本当に、良いのか?
「給付対象を絞る」という選択を取った場合には、こういったことが問題になって来るのだろう。
わたしは、このような百家争鳴を招く政策を取るよりは、たとえ「真性の単なる寄生者」を喜ばせるだけのリスクが、
あったとしても、全員一律に配る方が、スッキリするのではないかと思っています。
一生、「ぐうたら」だけやっているのも、意外と、けっこう重労働なんじゃないかな(笑)
高収入の寄生者ならともかく、わずかなBI収入だけの寄生者を長い期間続けるような選択をする人が、
どう考えても、そんなに大量に発生するとは思えないのである。