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(回答先: おっしゃることも、よくわかりますが、その区別が、なかなか難しいですよね 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2008 年 1 月 19 日 00:31:11)
>最大多数の最大幸福さん どうもです。
昨日は泊まりの会議兼新年会でして、先ほど帰宅です。
「主婦の労働」は「労働」で良いだろうと思います。
古い戦闘形式では「前線の戦士」のために「後方支援部隊」があり、食料などの調達・輸送をしていましたが、この部隊があって、全体が機能したのです。
「縁の下の力持ち」という意味での労働は評価されるべきでしょう。残念ながら現状では十分に評価されているとは言えない部分もありますが、「妻が家事をしてくれるので、夫が心おきなく働ける(逆もあり得ます)」のなら、立派な社会貢献であり、「持ち場のやるべき仕事はこなされている」と言えます。
「あっしらさん」の例ですが、Kは頭脳労働を否定していません。
仮に半分以上は「あっしらさんの趣味・自己満足」が動機であったとしても、「示される考察等によって、社会に貢献する意味がある」のなら、「有意義」ですからセーフと考えます。
「教師」という職業がありますが、「自分の知識を活用し、それによって、社会の向かうべき道」を考え、自分個人の物としてではなく「社会に対して教え、示し、対話する」というのは「人として、社会貢献をしている」のでしょうし「共生社会へ参加している」と判断されると思われます。
もっとも、現状では「無報酬」となっています。
多分ですが、あっしらさんは「無報酬でもやっていける人(他に十分な報酬獲得の手段があった)」のでしょうが、「本気で社会を良くしよう」との頭脳労働は「あっても良く」
その手の人なら「ベーシックインカム」による救済対象でも良いでしょう。
問題は「自分の事しか考えない、仕事嫌いの怠け者」です。
極端に言えば「あらゆる社会貢献を損」と考える思考性を有している人です。
自分の持ちうる時間は「全て自分のためだけに使用したい」という根本的な考え方です。
個人主義という一つの考え方があります。それ自体は「間違ってはいない」でしょう。
しかし、そのためには「共生社会」から離れるという選択肢を選ぶ必要性があるだろうと思います。
なぜなら、「共生社会」においては「みんなが共生する社会なのだから、みんなで支え合う」のが原則となるでしょう。
端的に言うと「共生社会」の「価値観」の中では「行きすぎた個人主義者は腐ったリンゴ」と言う事です。
その思想は間違ってはいなくとも「共生社会」の価値観とは相容れないのです。
で、腐ったリンゴは「放置すれば周りのリンゴも腐らせていく」のです。
「共生社会」側からすれば「共生社会になんら貢献していない人の生活保障を、何でする必要がある?」と言う事になるでしょう。
「共生社会」とすれば「共生社会の存続に対して、全く逆行するであろう。怠惰の奨励」をする事は「自分自身(共生社会そのもの)を否定する行為」となるのです。
「受けた恩を仇で返す」という怠惰者を増加させるようなBIは問題があると考えられます。