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(回答先: 死刑制度の存廃を議論する上で、考察者Kさんの観点は一面的なものです。 投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 11 月 30 日 12:50:42)
>ダイナモさん どうもです。
ダイナモさんの主張はおおむね了解しました。
その上で、Kの主張を反論とさせていただきましょう。
>【「プラスの効果」が誰にとってのプラスの効果なのか不明なのですがおそらく国民にとってだろうと推測します。あるいは被告にとってのプラスの効果も含まれるのかもしれません。また被害者遺族にとってのプラスの効果も含まれるかもしれません。間違っていたら御指摘下さい。】
まあ、基本的には「大多数の善良なる市民」強いては「平均たる全人類」のプラス効果を意識していますが、現状では「被害者遺族を含めた日本国民の全体」の利であり、犯罪者および犯罪者の家族は対象外とした「他の全員」とも言い換えても結構です。
なぜ、犯罪者および家族が除かれるのかと言えば、「自己責任の因果応報」という理由があり「目には目を、歯には歯を」の考えの下で「死には死をもって償うのが妥当」と思うという理由です。
無論、死には即座に死をもって報いろとまでは言いません。情状は考慮されるべきであり、事件の背景、人間性なども総合的に「判断するべき」とは思います。
>【考察者Kさんの観点は一面的なものです。なぜなら死刑制度存廃をめぐる問題は功利的な議論には収まらないスケールを持っているからです。言い換えるならば、死刑制度を廃止したことによって、プラスマイナスゼロの効果しかなかったとしても死刑制度を廃止する理由はあり得るからです。】
決して一面的なものと「本人は思っていません。」むしろ「一面的であり思考停止状況なのは死刑廃止論者の方」と思っています。
論証として「現場での射殺、もしくは正当防衛、さらには国防のための殺人行為はやむなしと認めながらの死刑廃止はご都合主義でしかない」と主張させていただきましょう。
現場での緊急的判断が裁判という司法制度に信頼されるという理由は見いだせず、基本的には「事件進行時は、犯罪者より被害者の人権が重視されている」のに「犯罪者が捕獲された瞬間から、犯人の人権が最大限に保護される」のは不合理と考えます。
【功利的な議論には収まらないスケールを持っている】というのは、議論逃れの言い訳か、説明ができない「宗教観・人生観・倫理観」の類が予測されますが、結局は「合理性が説明できない」ということの言い訳にしか過ぎません。つまりは「根拠は、自分の中の主観的正義感しかない。」ということであり、合理的な説明責任の放棄をせざるを得ないという状況を「自分自身をも誤魔化す」という事でしょう。
ハッキリ言いますと「合理的説明はできない」のではなく「事実上、理由はない」のです。あるのは「宗教観」とか「人権意識」とかいう「自分の思い」だけということです。
>【プラスマイナスゼロの効果しかなかったとしても死刑制度を廃止する理由はあり得るからです。】
確かに、プラマイ効果がゼロであるなら、Kも死刑制度存続にこだわるつもりはありません。
例を書いておきますが、部屋の模様替えをやたらとしたがる人がいますが、タンスの位置が多少動いても、窓を遮るというような「明らかなマイナス効果」でも見あたらなければ、気分が一新されるだけでも「プラスの効果はある。」のですから、そんなことに反対する気もありません。
しかし、プラマイセロとは思えないから反対しているのでしょう。
>【死刑制度の存廃をめぐる議論はこれまで少なくとも約30年に渡って行なわれてきたと認識しています。こうした膨大の議論の中で、死刑の犯罪抑止効果、冤罪の危険性、被害者遺族の応報感情への考え方、など考えられるあらゆる側面について議題として取り上げられてきたのです。そして今日に至るにも議論は平行線をたどっているのが現状です。したがって従来の議論を繰り返しても水掛け論になることは目に見えています。そのような無駄なことは行ないません。】
少なくとも、Kよりは知識を持っていそうです。
死刑廃止論にはKの知らない理由付けがある気がしますので、水掛け論になるとは限りません。Kの意見は「ほとんどがKの頭で処理されたものであり、Kは本格的に研究もしていませんし、死刑廃止論の専門書などを読んでもいません。」
素人考えの「自分の意見を書いているだけ」ですから、知識は恐ろしく貧弱です。
さらに言えば、死刑存続が絶対正義と強弁する気もサラサラありません。
そんな、浅学非才のKに対し、早々に見切りを付けるのは間違いでしょうし、Kごときを説得できないようでは「先は暗い」と思われます。
もっとも、Kを説得したところで「なんの成果も期待できません。」ので、無駄な時間を費やす事を回避するのは「立派な判断」でもあります。
>【死刑制度をめぐる議論は人権をめぐる議論に帰着するものと考えます。人権は数ある思想の中の一つの思想であると私は考えています。呉智永さんのように人権思想を批判する人もいますが。明治維新後の富国強兵・脱亜入欧の政策の中で日本は欧米から人権思想を取り入れました。当時はごく表面的なもの過ぎませんでしたがアジア太平洋戦争の敗北により、米国の統治化のもと現在の人権思想が憲法に明記され、国民もこれを受け入れ現在に至っています。明確な人権思想が米国から移植されたことで、日本国民は大きな恩恵を受けることになりました。たとえ例外的な事例があったとしてもです。】
Kも人権擁護は大切だと思いますし、敗戦の結果として手に入れた「人権憲法である日本国憲法」は日本国民に大きな恩恵をもたらしたとは思っています。
しかし、本来、この恩恵を受けるべきは「このルールを守り、尊重しようとする人であり
、基本的に犯罪者というのはルールから逸脱した人であるとも考えています。」
>【もともとアジアには人権思想は存在せず、現在、人権を形だけでも保障している国々は例外なく、近代になってから欧米の人権思想を取り込んだものです。したがって日本も含めてアジア諸国での人権思想は欧米からの借り物であり、根本において欧米より人権に対して重きを置かない傾向がみられます。日本も例外ではなく、昨年12月18日の国連総会本会議で死刑執行停止決議が採択されましたが、日本は先進国の中では米国とならんで唯一決議に反対しました。世界の大多数が死刑制度を廃止する中で、日本政府の国際社会に対する死刑制度をめぐる姿勢は挑戦的ですらあります。日本政府は中国や朝鮮民主主義人民共和国などと共同署名した、死刑制度を今後も維持するという口上書を国連に提出しています。その論拠として持ち出しているのが国内世論の多数が死刑制度に賛成だからというものです。】
この辺の経過はKも承知していますが、死刑廃止論の「理屈」はよく知りません。
つい最近も
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2007/11/post_eb29.html
にも書いてある「廃止勧告を受けた」のも承知していますが、理屈も分からないのに「廃止に賛同するのはバカだ」と思っています。
しかし、議論内容は「研究していません。」ので不勉強であることは自覚しています。
>【人権思想が欧米からの借り物だから欧米の流れに追従する必要はない、といった主張は説得力を持ちません。日本文化のあらゆる側面においてほとんど全ては中国、朝鮮、欧米からの借り物です。それを日本文化だと錯覚しているにすぎません。】
確かに、現在の日本の文化の源流はダイナモさんのおっしゃる通りですが、それらが混ざり合った結果として「現在の日本文化があるのも確かです。」
「戦争放棄の憲法を掲げているのは日本だけ」といわれていますし、国民が武器の所持をしていないのも日本くらいとも言われ、最近は少々怪しいですが、世界一治安の良い国は日本とも言われていました。
その日本の国民世論の多数が「死刑存続を支持しているのも事実」でしょう。
日本のやり方に干渉する方が間違っていると思いますが、まあ、日本の多数派が認めるのなら、Kもルールには従うしかありません。
>【欧米の人権思想で優れた考え方があるのならそれを日本が取り込むことには何ら問題とするべきことではなく、むしろ積極的に行なうべきです。】
正論ですが、それには「優れている事の証明」も必要です。
「時代に逆行する行為」とか「欧米の思想」というのは理由ではないのです。
>【世界の流れが死刑制度廃止に向かっているが、日本は日本独自の道を行くべきだといった主張は偏狭な一国主義であり、国際社会の中の一国が取るべき姿勢ではありません。】
程度問題もあるでしょうが、理不尽で不合理な制度に「無闇に流される」というのは愚か者のする事です。
以前に小泉氏の人気が高く、郵政選挙の多数決では小泉氏の圧倒的勝利になりましたが、現在では小泉路線は否定されつつあるのも事実です。
Kは「合理性を無視した感覚論に流されるのは、アホの極致だ」と考えていますから、世界の流れがどうのこうのと言うのは「無意味と思っています。」
ただし、世界の流れがある以上は「Kの見落としがある可能性」もあるとも思っています。
>【相対的に遅れを取ってしまった日本に国際的で先進的な人権思想を取り入れ、死刑制度廃止に向かうことは本来ならば自然なことであるはずのものなのです。】
犯罪者の「行き過ぎた人権保護」を先進的な人権思想とは思えませんし、ルール無視の無法者をルールで守る必要性も見いだせません。
仮に「誰がどう見ても冤罪の可能性がなく、更正の可能性もなく、生かしておいても脱走の危険があり、食費等の税金の負担だけかさむ」という場合には「そんなものは人間ではなく、害虫です。」
百害あって一利なしの存在を「保護」する意味はないと思います。
>【多数の終身刑の者たちを国民の税金で養うことは税金の無駄遣いだ、と主張する人が必ず現れます。そのような人には、税金が惜しくて殺してしまえという発想はあまりにも人の命を軽く見る発想だといってあげましょう。】
人間の資格がない害虫のような存在の「命を重く考える理由などない。」と思います。
仮に、国際社会が「日本の死刑廃止を強要してくるのなら。お宅の国で引き取って保護してくれ、仮に脱走して、再び日本に害をもたらすなら、その時には責任を持って賠償してくれ」と交渉するのが妥当でしょう。
多分ですが、死刑廃止論告が死刑存続国の死刑囚を全て引き取って面倒を見ることになったら、死刑廃止論国は「少しずつ死刑存続に変わるという気がします。」
このKの考えが正しいと仮定すれば、死刑廃止論は「自己満足的間違った人権擁護」であり、合理性は全くないということになるでしょう。
ハッキリ言いますが、犯罪者たる迷える子羊を受け入れる教会も「限度を超せば見捨てる事になる」と思っています。
どうにもこうにも救いようのないバカは増加の一途をたどり、極刑をもって駆除しなければ「善良な市民の負担になり」そんなバカは「人類の足手まといにしかならない」という結論は、いずれ、世界の最新の「ルールを遵守する人の人権保護になる。」と思っています。
悪人に施しを与えられるのも、裕福な人のおごりだろうと考えています。