★阿修羅♪ > 議論28 > 502.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 私の死刑制度廃止の理由は単純明快です。 投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 11 月 29 日 16:54:17)
>ダイナモさん どうもです。
回答には感謝しておきますが、犯罪抑止面、被害者の信条面に触れられていないのが「一方の方向からしか見ていない」という意味で、合理性が感じられません。
多くの死刑廃止論者は「人が人を裁く不完全性」と「犯罪者の人権面」から、死刑廃止を主張されている中での、憲法判断からの考察ですが、確か、以前にもお聞きしましたよね。
憲法判断的には「日本では一応の処理が済んでいます」ので、残酷かどうかを争ってもあまり意味はありませんが、死刑になる犯罪者は「ほとんどの場合、被害者に残酷な仕打ちをした。」のはご理解できますよね?
基本的に死刑廃止の綺麗事は「外国製」です。
戦争という手段を廃止しないで、国益のためには戦争という行為で「相手の国の人を殺すことを容認しながら、死刑には反対」とする。
ハッキリ言って「偽善も良いとこ」です。
正当防衛でもなんでも、人を殺す事を認めていながら、死刑だけ廃止というのは「ご都合主義」というのがKの考えですが、そこを譲っても、死刑を廃して「利になる理屈がない。」
エセ人権主義者の「私は残酷ではなく、慈悲深いという自己満足のポーズ」としか思えないのです。
終身刑にすれば「生涯を養う費用が発生し、税負担が増える」
一般的に「極刑が無くなれば、犯罪の抑止効果が弱くなる。」
少なくとも、この2つの弊害は「予測される」のに、プラスの効果はほとんど無い。
冤罪は「裁判制度の問題」でしかなく
「社会制度が弱者切り捨てなので、死刑犯罪者にも犯罪に走ったわけがある。」などという擁護論展開するのは価値がない。
まあ、進むべき方向性とすれば「誰でも犯罪に走らずとも最低の文化的生活が営める社会システムを構築した上で、犯罪の撲滅を模索すべき」ではあるが、それでも、減少しつつも凶悪犯罪は無くならないと推測できます。
「言い訳ができない状況下で、冤罪の可能性のない犯罪者」でも「死刑廃止者は擁護しようとする」のだろう。
なんなら、ある閉じられた空間を作り、武器を持った被害者の関係者と「丸腰の犯罪者」を一定期間を同居させて「仇討ちの機会を与えれば良い。」
被害者の関係者で「希望者」は全員参加自由として、犯罪者は一定時間逃げ切れたら「死刑は免れる」
残酷かどうかは「被害者の関係者」が判断することであり、国が強制をしたわけではなく、国が死刑と判断したわけでもない。
全ては、犯罪者の行った自己責任の下に因果応報が返ってくるだけであるが、10人の凶悪犯罪者がいて「何人くらいが、死なずに済むのだろう?」
少なくとも、思考停止の外国の綺麗事に日本が振り回されるのは間違っていると思っています。