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(回答先: シュレディンガーの方程式には、自然界の原理が凝縮されている 投稿者 短足鰐 日時 2008 年 7 月 04 日 20:11:57)
哲学の側が物理学の側を指図して、物理学が進展したという事例は見たことも聞いたこともない。高級な哲学だからといって、その哲学から物理学を指導したり、評価したりできると考える向きがあるなら、それは甚だしい思い上がりである。
逆に生きた現代哲学は、最新の物理学の成果を積極的に取り入れていかなければならないと思う。それがないものは、死んだ哲学であり、博物館で観賞するための化石哲学である。
たとえば、さる天才的な哲学者があるサゼッションをして物理学の進展を促す場合があることは排除しない。しかしこれは、ある才能のインスピレーションであり、その才能がたまたま哲学者だったということに過ぎない(と考えるべきである)。哲学の力によるものではなく、その才能は物理学者の素養もあったと言うべきである。
実際に世の中には物理学者と哲学者の両方をやっている人物もいる。
哲学が物理学者のものの見方・自然観に影響を与えることはある。アインシュタインはスピノザの、ボーアはキルケゴールの影響を受けたとされる。ちなみにアインシュタインは物理学的自然観の実在派(リアリズム)で、ボーアは実証派(ポジティズム)である。
竹内薫氏によると、次に区分けされる。
▽モノ的世界観=実在論:プラトン、アインシュタイン、シュレディンガー、ボーム
▽コト的世界観=実証論:ボーア、ハイゼンベルグ、ボルン、ホーキング、ファインマン
ここにある哲学者が登場し、その高尚な哲学から、自然の本性は複素数(または密度行列)でしか表せない、と言いながら、素朴実在の世界へ実数に変換するのは、デタラメ、イカサマであると言うとき、これはただ本人の理解能力の問題であり、哲学とは何の関係もない。本人の無能さに高級哲学という外皮を着せて、自らと世間を欺いているのだ。
物理学の問題は、物理学自身が決着をつけていく課題である。その決め手になるのは自然界の原理と良く合致している(正確に近似している)かどうかであり、さる偉い哲学者の言説に沿っているかどうかではない。量子力学が、自然の原理と合致しているからこそ、携帯電話やIT技術に広く応用され実用に供されているのである。
町田茂氏の数式を一切使わない『量子力学の反乱』は、現代物理学の最新の知見を踏まえた哲学書にもなっていると思う。一読されたい。(前回引用した部分にだけ、一箇所、数式を使っている)。
【訂正】先の投稿、「プランク乗数」はもちろん「プランク定数」です。
また、「(4)式は波動を表す式である」とあるのは舌足らずなので、次のように修正します。
「波動方程式(微分形式)を解くことによって波動を表す式(4)のexpの[]内のパラメータが確定した」。