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(回答先: 量子力学と物象化プロセス シュレーディンガーの線形劇場を通して 投稿者 松浦 日時 2008 年 6 月 27 日 16:55:00)
松浦氏は、かなりの教養人と思われるが、本文章は全くわけがわからない。要点と思われるものを摘出すると、
@シュレディンガー方程式の線形性を問題にしているようだが何が問題なのかさっぱりだか分からない
Aシュレディンガーの猫のたとえ話は、明らかに取り違えている
B「科学の方法は過去において一度も定義されたことがなく」とあるが、全く意味不明である
C「コペンハーゲン的解釈は、あまりに概念的に汚い。純粋経験論などあるはずはないのだから」という誰かの言葉を引用しているが、言わんとしていることが全くわからない
D総体として量子力学を疑っている風であるが、その根拠がさっぱり示されていない
>「原理的に物象性は蓋然性を持たぬ絶対概念であり、仮説とは無縁であるために、純粋な物象論が仮説になる可能性も等しく存在しない」。
これは大層な高言である。仮説でない哲学・思想は、天によって天下されるのであろうか。その真実性・信頼性は何によって保証・担保されるのであろうか。「ただ信じる」ことによってのみか。これは宗教でありカルトであろう。(竹内薫氏は、自然科学でさえ、現時点での仮説の集合体である、と謙(へりく)だっているのだ)。
>「物象性が全く解らない人に説明しても意味がないのは自明であり、…自ずと数は限られる」。
これも輪をかけた高言である。松浦氏は、孤高の哲学者・思想家(あるいは科学者)を自認しているのであろうか。
これらの文章はいわゆる悪文である。読んでいると具合が悪くなる人もおいでだろう。文章力が全くない、というのかあるいはご本人の思想が混濁(大混乱)していて表現のしようがないのか、これらが入り混じっている風なハチャメチャな文章である。
相当、後ろにのけぞっている人であることは十二分に確認することができる。
高級言論風の装いに幻惑されたり有り難がったりする御仁もいるのではないだろうか。