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(回答先: Re: お気の毒ですが、アバタも笑くぼ、というところでしょう。 投稿者 短足鰐 日時 2008 年 7 月 03 日 20:00:22)
短足鰐さん、レスをありがとうございます。
>松浦「原理的に物象性は蓋然性を持たぬ絶対概念であり」。「絶対概念」とはどこの誰が持ち出し、どこでオーソライズされているのか。日本のどのレベルで、世界のどこで? 「原理的」とは科学的範疇でか、哲学的範疇でか。後者で原理的などという考え方が成立するのか?
>こういう言葉は「教祖」のいう言葉です(スタイルもそうです)。言い換えれば「与太話」です。
手許の哲学辞典では二項並存的な組成様式を有する概念を「相対概念」と表記することはあっても、「絶対概念」に触れている項目はやはり見つかりませんでした。物象性を「絶対概念」なるもので説明しようとすると蓋然性を持たぬ(=外延しない)となり、トートロジーを免れ得ないのは宿命的ですし、さらに、プロセスを特定するような原理の発見は哲学の範疇を超えているのかも知れません。
>小生は「悪文」(岩淵悦太郎)だと断じます。
>強調しておきたいのは、松浦氏の量子力学把握はメチャメチャなのです。波動方程式を持ち出したのは、結果としてコケ脅しになっているのです(阿修羅を理系の人間が読むことは想定外だったのでしょう)。だから内容的にも日本語的にも「悪文」なのです。(まぁ、貴方とやりあっても仕方ありませんがね)
松浦氏の主張の背景に揺らぎは見てとれないものの、かなり省略がなされているために難解ではあることは否めませんが、多義的で誤解を生じ易いのが「悪文」の典型とするならば、それに相当するかどうかは疑問に思います。
量子力学に関してはど素人の私には、メチャメチャと謂われても皆目見当がつきませんので、言及を避けたいと思います。しかし、短足鰐さんのご指摘からは「ソーカル事件」が想起されますが、門外漢が科学を論じたり科学を援用したりする場合にはその教訓を肝に銘じておくべきだとは思っています。
>哲学を勉強したいなら、文献を渉猟すればよろしいでしょう。彼岸楼さんが、一日も早く松浦呪縛から解き放たれ、覚醒されることを望みます。(ウナギ投資事件も、壮大な舞台装置に、まんまと引っかかっているのです)
今となっては私にとっての哲学は学部時代の習い事にすぎません。ただし、哲学は基本的に論考の学と捉えていますが、それがインターネットで開示されることは今の世なればこその可能性であり、新鮮なものに映ったことは確かです。
ところで、私が松浦さんの言説が信頼できると感じたのは、科学や哲学に纏わる時評ではなく、【深い敬意を表します。この人達の中に真の公益を見出す思いがする。 投稿者 松浦 日時 2007 年 9 月 20 日】の中で示された見識に接したことによります。これにも異論・反論はあるかも知れませんが、少なくとも「教祖的」物言いや「与太話」とは決めつけられないコモンセンスのエッセンスが凝縮された考察であると思っています。と同時に、憲法が有する制限規範性を人々が自覚し、その賦活に資するにはどうしたらよいのか、そんな課題を主権者である我々に提示しているようにも想われます。
Auf Wiedersehen.
<参考URL>
深い敬意を表します。この人達の中に真の公益を見出す思いがする。 投稿者 松浦 日時 2007 年 9 月 20 日
http://www.asyura2.com/07/senkyo42/msg/213.html