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(回答先: 極寒と飢え再現400枚 シベリア抑留、封印の記憶解き…(東京新聞夕刊) 投稿者 新世紀人 日時 2007 年 8 月 21 日 16:01:45)
http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/tayori/2004/tayori_07/tayori_syosai07_10.html
「没後30年 香月泰男展」 第1回
香月とシベリアシリーズ
香月泰男といえばシベリア・シリーズ、シベリア・シリーズといえば香月泰男と、この二者はほとんど同義語と言えるかのように不即不離に語られます。おそらく、明治以降の洋画史において、画家が描き出した一連の作品の中で、これほど著名なシリーズはないと断言できましょう。でも、香月が亡くなって既に30年、香月とシベリア・シリーズをこの展覧会で初めて知るという幸運を9月に持つという方も多いと思われます。そこで今回は、その概略を述べてみましょう。
香月は明治44年山口県生まれ。東京美術学校に学び、在学中から梅原龍三郎率いる国画会に出品し、卒業後は教職に就く傍ら制作に励み、国画奨励賞、さらには文展特選と順風の活動を展開し、将来を嘱望されていました。しかし、昭和17年末に召集を受け、翌年満州ハイラルへ出征、そして終戦を奉天で迎えるのですが、ここでソ連軍に捕らわれ、22年5月に無事帰国するまで、シベリアの三カ所の収容所に収監され、強制労働を強いられます。極寒と辛苦の中で数多くの仲間が死んでいきます。その思いを戦後キャンバスに綴った作品群が、全57作のシベリア・シリーズなのです。
シベリア抑留というと常に思い浮かぶもう一人の画家がいます。香月と同年生まれの、本県大聖寺出身の画家森本仁平氏です。氏の場合は、朝鮮で教員を勤めるさなか、現地召集を受けて出征、8月、ソ連軍に武装解除され、シベリアへ強制連行されるのですが、途中脱走、約1000キロの山岳地帯を踏破して家族と合流し、その後釜山港から日本へ帰還するという大変な経験をなさっていました。以前、森本氏に香月のシベリア・シリーズ、どう思 われますかと尋ねたことがあります。その森本氏も今年の春天寿を全うされました。6月17日から7月19日まで、第3展示室で〈追悼森本仁平展〉を開催いたします。祈りの絵画とでもいうべき、その静謐な風景作品をご堪能いただければ幸いです。
さて、本題に戻りますと、香月がシベリア・シリーズを本格的に描き出したのは、昭和34年以降、つまり終戦後15年ほど経ってからのことでした。なぜ、帰国後直ぐではなかったのでしょうか。それは、シベリアでの記憶を絵画化するにあたり、画家の内部で純化し、再構成する時間が必要だったのです。そして、思いを表現するにたる様式の確立。「シベリアを描きながら、私はもう一度シベリアを体験している」。以後生涯シベリアを描き続けることになる、画家の言葉です。
(二木伸一郎 学芸専門員)
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