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(回答先: 香月とシベリアシリーズ 投稿者 新世紀人 日時 2007 年 8 月 21 日 16:06:08)
ロシア・ドイツ的な臭いの強いものである。
元々は家畜を飼う遊牧民族の考えに由来しているだろう。
収容者や抑留者を"家畜"と看做して使役する思想が奥に潜んでいると考えるのだ。
帝政ロシアにおいて存在したシベリア流刑が始まりではあろうが、
イデオロギー的意味が付与されたものになってしまった。
旧共産圏では一般的に見られるものとなってしまった。
これの変態がベトナムによって行われたのが「ボート・ピープル」であると私は考えている。
即ち、カンボジアに軍事侵攻中のベトナムは収容所を作って兵力を其処に割く事は難しく、食料の供給も難しい為に反政府的な国民がボートを使って脱出をする事を実は"容認"していたのだと考えている。
またカンボジアのポル・ポト政権による「大量虐殺?」を大々的に非難していたベトナムはその手前、反政府的・反体制的国民を大量に処刑する事は出来なかった。
従ってボート・ピープルによるの解決を選んだのだろう。
所謂カンボジアのポル・ポト政権の大量虐殺は、米国やベトナムによる宣伝により誇大に報じられた可能性はあるだろう。実数は数千人から数万人との説があったようだ。
ポル・ポト軍の敵対者であったロン・ノル前政権は大変な強権抑圧政権であり、激しい弾圧・虐殺をおこなったようである。それに対する復讐として主にロン・ノル政権の官僚・軍人・支持者を行ったのであれば、被害者の実数的にも合致するように思えるのである。
シベリア抑留はソ連の対日参戦による「人的資源の戦利品」を目指したものであると考えている。
ソ連の戦後復興に人手が必要だったのだ。
米軍だけの兵力だけではとても朝鮮半島と満州の日本の勢力を掃除できるブルドーザ箒の力としては全く足りなかった。
チャイナの国民党軍も共産党軍も日本軍に対して奪回の力は全く持ってはいなかった。
それで、ソ連軍の参戦が実は要請された筈なのだ。
満州をソ連に与える事は米英は認めなかったのであろう。
そうであれば、ソ連としては参戦の代償として北方領土と満州の日本財貨だけではなく取れるものは取りたいとの思いで「シベリア抑留」を考えたのではないか。
米英等は暗黙のうちに是を認めていた筈なのだ。
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