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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007082102042745.html
極寒と飢え再現400枚 シベリア抑留、封印の記憶解き…
2007年8月21日 夕刊
終戦直後、ソ連軍によって大勢の旧日本軍将兵らがシベリアに強制連行された。その「極寒と飢えの地獄」を知ってもらおうと、元抑留者の山下静夫さん(89)=兵庫県明石市=がこの夏、画文集「シベリア抑留1450日」(東京堂出版)を出版した。山下さんの絵画は東京都千代田区で開かれている「シベリア抑留者絵画展」でも展示されている。
「こんな所で死ねるもんか、という思いだけだったな」。山下さんは、自宅の書斎の机で約三十年前に描いたボールペン画を手に取ってつぶやいた。細かい線で丁寧に描かれた絵は色あせず、シベリアでの過酷な日々を生々しく訴えかける。
一九四五(昭和二十)年八月、二十七歳の山下さんは旧満州(中国東北部)で主計軍曹として終戦を迎え、ソ連軍の捕虜に。同年十二月、シベリアの収容所に送り込まれた。真冬は零下五五度にもなる猛烈な寒さの中、鉄道建設の重労働に四年間耐えた。
四九年九月に帰国できたが、ソ連帰りという理由だけで共産主義者と決めつけられ、就職にも苦しんだ。だから「シベリアのことは絶対に話すまい」と、長い間口を閉ざしていた。
転機は二十五年後の七四年。ある新聞が公募したシベリア抑留の体験記で一位に当選した手記を読んだときだ。「病院での入院生活ばかり書かれていて、あまりにも軽い印象を受けた」。封印していた記憶を一気に解き放ち、十カ月でリポート用紙二百六十枚の手記を書き上げた。
もともと絵描きが趣味の山下さんは、手記に挿絵をつけたくなった。明石の住まいから勤め先の大阪までの往復四時間の電車内がアトリエ。画材道具はB6サイズ(縦一八・二センチ、横一二・八センチ)のケント紙に黒のボールペンだった。
きゃしゃな体にこたえた大木の伐採と運搬作業、凍死した仲間の悲劇、ひもじい収容所生活…。最初の一年半は「毎日が『明日生きていられるか』と思っていた」ほど特に悲惨だった。
ロシア人の上官と結託した日本人捕虜が、ただでさえ少ない食糧を搾取。それを知った山下さんが上官に直訴すると、昼夜休みなく重労働を科せられ、重い肺炎を患った。一週間、ベッドで生死の境をさまよった。
脳裏にあるフィルムを一枚一枚印画紙に焼き付けるように夢中でペンを走らせ、四百枚を七年余りで描き切った。これらの手記と絵が今回初めて画文集にまとめられた。
今は脊髄(せきずい)を痛め、絵を描くことから遠ざかっている山下さんが静かに話す。「私の絵を見て、シベリアで私たちが経験したことを知ってほしい。そして戦争は終わった後も残酷だということを感じてほしい」
「シベリア抑留者絵画展」は東京都千代田区九段南の九段生涯学習館で二十三日まで。同日はソ連のスターリンがシベリア強制連行の極秘指令を出して六十二年に当たる。二十二日午後には山下さんが会場を訪れる予定。問い合わせは千代田・人権ネットワーク=電080(3383)1926=へ。 (菊谷隆文)
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