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(回答先: 中日春秋(7月19日)(中日新聞) 投稿者 熊野孤道 日時 2007 年 7 月 19 日 19:55:38)
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/chijiku/ren018200707190818.html
コラム地軸2007年07月19日(木)付 愛媛新聞
宮本顕治氏死去
共産党の大御所、宮本顕治氏が亡くなった。戦前の獄中では「非転向」を貫き、戦後約四十年間にわたり共産党を指導してきた。「ミヤケン」とも呼ばれ、いかにも「不屈の闘士」らしい、党内外で大きかった存在感を思う▲
「極左主義」から転換した戦後の党再建で中心的役割を担い、一九五八年に書記長就任。委員長、議長と最高ポストを歴任し「宮本体制」を確立した。国内では地道な党勢拡大や選挙重視の「現実・柔軟路線」を追求するとともに、対外的には「自主独立路線」を通した▲
やはり、それ抜きに語れないのが二五年から三年間を過ごした旧制松山高校時代だろう。自ら八五年に著した「回想の人びと」(新日本出版社)で「とくに、私の生涯に決定的な影響をあたえた共産主義運動の道への、青春のめざめをはぐくんでくれた松山は、第二の故郷の感がある」と書いている▲
柔道部の仲間、新任校長排斥のストライキ、同人雑誌の創刊、社会科学研究会の活動などをつづっており「躍動した青春の日々」をほうふつとさせる。また「どこのメッチェン(乙女)がどうのと、高校生らしい話題にも熱をあげた」とも▲
芥川竜之介を批評した文芸評論「『敗北』の文学」が雑誌「改造」の懸賞で一位入選して脚光を浴びるのはその数年後のことになる。文芸家としての才能にも秘めたものがあったようだ▲
九七年の党大会で名誉議長となり、第一線を退いて久しい。九十八歳の大往生は、文字通り波瀾(はらん)万丈の歩みだったろう。
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