★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK38 > 870.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 宮本顕治氏死去(愛媛新聞) 投稿者 熊野孤道 日時 2007 年 7 月 20 日 14:05:53)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20070718AS1K1800318072007.html
春秋(7/19)
ミヤケンと聞いて亡くなった宮本顕治・日本共産党元議長が思い浮かぶのはどれくらいから上の世代だろうか。より年長だと、共産党指導者として強い印象を残すのはトッキュウこと徳田球一氏かもしれないが、ある世代には宮本氏こそ共産党と一体の存在だ。
▼1929年に雑誌の懸賞で、芥川龍之介の文学を論評した『敗北の文学』が第一席入選して宮本氏は世に出た。第二席は小林秀雄の『様々なる意匠』だった。そのころを振り返って「私は、まだプロレタリア前衛として全生活を革命運動に投げ込むには至っていなかった」と戦後に書いている。
▼もう一つ宮本氏の名が世間に知られる契機になった、9歳年上の作家・中条百合子との結婚のときには「お互いの運命が党と労働者階級の波瀾(はらん)と苦難にみちた道にむすびつけられていることを覚悟していた」(『百合子追想』)。政治信条で結ばれた夫婦の愛情物語は共産主義のこわもてのイメージを随分和らげた。
▼東西冷戦下、日本の左右両翼が対決した時代、宮本氏が一方の旗頭だった時代は過ぎ去って遠い。それとともに「『犠牲』というものはそれを義務感以上の理性と感情をもって遂行することを当然と考え、そのように努力してきた」(同)と自己の行動について言い切れる政治家も過去のものになっていくようだ。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK38掲示板
フォローアップ: