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小説 新昆類 (1) 【日経小説大賞応募投稿 第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
第1回日本経済新聞小説大賞応募 2005年12月31日
2006年10月18日発表
【第1次予選落選】
第1次予選落選となりましたので、校正と推敲のうえ、ブログに掲載させていただきます。
458枚の長編ですので、連載というかたちにさせていだだきました。
この小説を、2006年3月21日、朝方、最後の「日々雑感」を更新して、買い物に出かけ、
スーパーマーケットの駐車場で亡くなった
【新じねん】おーるさんに捧げます。
【新じねん】
http://csx.jp/~gabana/index.html
【新じねん保存サイト】
http://oriharu.net/gabana_n/
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■2006/03/23 (木) 追悼、おーるさん
きっこの日記
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20060323
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【おーるさんの最終図解】 安晋会を核とするライブドア浸透相関図 【新じねん・日々雑感】
http://www.asyura2.com/0601/livedoor1/msg/659.html
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新昆類
エピローグ
追われていた。大人の女に追われていた。女は少年の名前を連呼している。少年は山道
を逃げている。山道は丘の野原に出たが行き止まりだった。下は崖だった。向こうから大
人の女が走ってくる。女は少年を育ててくれた母の姉だった。その叔母を少年は、ばあち
ゃんと呼んでいた。叔母の長い髪は怒髪天のように風に乱舞していた。少年は叔母に追わ
れる理由がわからなかった。優しい叔母が突然、恐ろしい鬼になって、少年を追ってくる
理由がわかならかった。叔母の名前はミツ子と村から呼ばれていた。夢だった。
増録村にある日、巨大な壁ができた。村の少年たちは里に出ようとよじ登っている。誰
かがボウジボッタッレの仕業だと言った。村は暗黒につつまれていた。いやオカンジメの
仕業だと誰かが言った。村を閉じこめる壁ができたのは、山頂のデイアラ神社、裏外壁と
横の木枠の中に一列の並んで納まっていた神社の刀を盗んだからだと少年は思った。それ
はブリキでつくられた刀だった。山頂は村のこどもたちの遊び場だった。おらたちが村に
呪いを呼びこんだんだべか? 神さまの罰だっぺか? 高くでかい壁ができたのは、おら
たちのせいなんだべか? くりかえし、何度も夢をみた。
そこからは暗い山道だった。幼児は後ろ髪を引かれるように里をふりかえる。なだらか
な三月の田園、大地が遠くの山並みまで広がっていた。さあ、とミツ子が幼児をうながし
た。急な山道を登る。道の幅は狭かった。樹木の根っこが階段になっていた。だいじょう
か、ミツ子が幼児に声をかける。幼児がうなずく。登りきったところからは、なだらかな
山道が暗い奥へと続いている。陽光は高い樹木の群れ、枝と葉の繁みによって閉ざされて
いる。山は静寂が広がり独特の音を発していた。木と木が話している音だと幼児は思った。
幼児はまだ四歳であったが考えていた。ばあちゃん、おらを連れて何処へ行くんだべか?
このあいだ里にきて、母ちゃんだよとおらの前に笑顔で立った人のところだんべ、そう
幼児は予測していた。突然、上空で不気味な音がした。枝と枝の間を黒いものが飛んでい
く。猿か、むささびだんべ、そうミツ子が幼児に声をかけた。山に呑まれていく......
恐怖の信号が幼児のからだに走った。幼児は叔母の手をにぎった。
「さあ、行くべ」
ミツ子は幼児の手を引き、高い杉林、枝と枝の間にある洞窟のような小道を歩き、山を
抜けていった。幼児の名前は泥荒。東から西へと山道は続き、やがて二人の前の向こうに
あふれる光が見えた。まぶしかった。青い空が見えてきた。二人を迎えたのは増録村の情
景だった。
最終更新日 2006年11月14日 06時49分17秒
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小説 新昆類 (2) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
1
女と幼児が増録の山に入ったという波動はすぐさま、山全体へ、植物情報体となって伝
えられた。増録の山頂にあるデイアラ神社のイチョウの樹木が小刻みに振動し枝がゆれる。
葉がざわざわと音をたてる。音信は高原山中腹にある寺山修司寺のイチョウの大木に送ら
れた。山の樹木は生命体でもあった。高原山は過去と未来を規定し人間の運命も左右して
いた。そして高原山の畏怖とは古よりの隠された伝承にあった。
「野に伏し、山に伏し、我、木霊と言霊の残響の裂け目より、現れ出ん。役小角(えんの
おずね)五行陰陽道の古来、修験。空と海と山岳よりの密なる教え、修行に司どる寺山の
修司なり。我の修司は豊穣の山より与えられん。「修」「司」より得た霊応、験(しるし)
の力、内密を、親、兄弟といえでも、一切他言してはならぬ。我、山と野の自然智衆、真
言の本と行なり。日、月、火、水、木、金、土の道を陰陽暗黒歩行せん。山と野にて、朝
を迎えん地下人に仏在り。山は豊穣の源泉と源態なり。我、生と死の裂け目、表徴なりて、
恐山と木霊する高原山の寺山にて仏とともに在り」
近世まで修行を司る下野国山岳修験道の道場、それが高原山の寺山修司寺だった。
明治元年、古来よりの日本宗教を壊滅崩壊せんと、明治維新政府がイギリス帝国の命令
により、「神仏分離令」を布告した。これにより、修験道は生存の危機に突入した。明治
維新とは、イギリス帝国の工作によって成立した代物だった。坂本龍馬もイギリスの政治
工作員であった。植民地政策を貫徹するイギリス情報機関によって、徳川幕府転覆のプロ
グラムが秘密裏に起動していった。それに乗ったのが岩倉具視だった。岩倉具視の陰謀計
画を実行したのが、テロリスト山県有朋と伊藤博文だった。幕末の孝明天皇と皇太子であ
った睦仁親王は、山県有朋と伊藤博文によって暗殺された。ここで万世一系天皇の血の系
譜は切断されてしまった。明治天皇にすり替わったのは長州の大室寅之祐だった。嘘と欺
瞞を隠蔽するため、大室寅之祐は強権による絶対天皇制の現人神、近代の大帝、近代の神
となった。
大室寅之祐を睦仁親王に代わる「玉」として長州から連れてきたのが三条実美だった。
三条実美と岩倉具視こそはクーデターによって、長州とともに明治維新革命政府を樹立し、
万世一系の古来よりの天皇、血の系譜を切断した公卿だった。大室寅之祐は天皇の血を継
承していない成り上がり者だった。成り上がり者はおのれの歴史を嘘で記述していく。強
権の明治維新政府が南朝後醍醐天皇系譜を大々的に教育勅語として、国家神道を貫徹した
のは、大室寅之祐を近代の帝、大日本帝国軍の神とするためだった。
明治、大正、昭和へと日本破壊は計画的に進行し、大日本帝国はイギリス帝国の代理機
関として東アジアの侵略戦争立国になり、強権により支配貫徹された軍隊国家となった。民
衆は強権によって虐殺され、戦争に狩り出され、その結末がヒロシマ・ナガサキへのアメ
リカ軍による原爆投下だった。大室寅之祐王朝は21世紀の現在の「平成」まで続いてい
る。その基礎をつくったのが高原山を支配したテロリスト山県有朋だった。
高原山の寺山修司寺は、真言宗智山派へ所属することを選択し、山県有朋による高原山
修験道壊滅と高原山支配、明治維新政府の日本破壊、宗教弾圧の近代暗黒時代を生き延び
ることができた。
悲惨なのは寺院よりも神社だった。強権によって明治元年から、全国の神官は神社から
追放され一掃された。神社を守ろうと追放に抗った神官は、長州黒百人組によって暗殺さ
れた。明治維新政府の大室寅之祐王朝国家神道建設は計画的に江戸時代まであった神社を
潰していった。全国の神官と全国四割の神社が明治維新政府によって消滅させられた。残
された神社には、明治維新政府から派遣された神官が居座った。神社の頂点に明治維新政
府が創設した靖国神社の祖が居座った。その祖こそ大室寅之祐である。
江戸時代までの神社研究は禁止された。こうして明治に大室寅之祐王朝国家神道は強権
によって成立したのであった。昭和の敗戦後も神社研究はマッカサーによって禁止された。
イギリス帝国が明治維新クーデターによって擁立させた大室寅之祐王朝を第二次大戦後も
日本の象徴として守るためであった。その象徴とは日本破壊だった。
日本の寺院と神社は徳川幕藩体制によって守られてきた。明治からの近代とは日本破壊
だった。
はるか遠い昔、高原山には鬼人が住んでいたという。鬼人とは縄文人の蝦夷だった。高
原山は黒曜石の生産地であり工房があった。黒曜石は天然のガラスで、矢尻やナイフへと
加工される。狩猟にはなくてはならない道具だった。高原山の黒曜石は坂東各地や峠を越
え会津地方にまで行き渡っている。
大和朝廷は坂東各地や下野国に、新羅人、高句麗人を送り込んでいった。
江戸時代に那須湯津上村で発見された那須国造碑には、先祖が公氏という滅んだ中国後漢
王朝の血統にあり、持統三(六八九)年、直韋堤が野国那須評(こおり)の長官に任命され
た、と刻まれている。そして、持統天皇が藤原京に遷都した翌年の文武四(七〇〇)年、
直韋堤が死去し、その子、意斯麻呂が建碑したと彫られている。
那須湯津上村の百姓が開墾した畑から那須国造碑を発見したという知らせは、領主であっ
た水戸藩主二代目の徳川光圀に上奏された。徳川光圀はただちに那須湯津上村へと馬に乗り
駆けていった。後を追う家臣団。那須国造碑は徳川光圀に衝撃を与えた。徳川光圀はそこで
古来からの声を聞いたのだった。日本古代の文物に光圀は憑依されてしまった。光圀は家来
に那須国造碑の永久保存を命じた。水戸に帰ると徳川光圀は「大日本史」の編纂に傾注して
いった。
下野国は渡来人国造によって、律令制度が整備されていった。天武二(六七三)年には、
すでに下野薬師寺創建されたとされている。続日本書紀には持統元(六八七)年に新羅人
が朝廷から下野国開墾に送りこまれている記事がある。霊亀二(七一六)年には、下野国
などの高麗人を武蔵国に移し、高麗郡を設置という記事がある。渡来人は国造りの屯田兵
だった。
日本書紀には景行天皇の項に、武内宿禰による日高見国の蝦夷報告がある。
「武内宿禰東國より還りまゐきて奏言(まう)さく、東夷中、日高見國有り。其の國人男
女並に椎結(かみをあげ)、身を文(もとろ)げて、人と為り勇桿(いさみたけ)し。是
を総べて蝦夷(えみし)と曰ふ。亦土地(くに)沃壌(こ)えて曠し。撃ちて取るべし」
撃ちて取るべし、それは蝦夷の土地を奪い、そこに渡来人による水田稲作を広げ、土地
を奪われる原住民の抵抗という荒魂を静め、無抵抗な良民とする精神支配の仏教を布教さ
せることであった。水田稲作には労働力が必要である。律令制度とは水田稲作開墾と仏教
布教の国づくりだった。
原野を開墾し水を土地に流すためには集約労働力としての奴隷が必要だった。水田稲作
開墾とは徹底して人間の労働による自然への造形である。山野と原野を切り開きそこに水
の排水と排出をコントロールするという人工と工作の強靭な意思貫徹である。軍事と造作
の律令制度とは社会主義制度でもあった。坂東と陸奥そして出羽には屯田兵が送り込まれ、
奴隷となった蝦夷は水田稲作開墾の労働力として大和朝廷の支配地へと送り込まれた。ス
ターリンの命令によって住民まるごと遠地へと国替えさせられる、それと類似したことが
展開されていった。
和銅二(七〇九)年、右大臣藤原不比等の命令で、高原山の鬼人たる蝦夷を退治したの
が、下野国府軍と派遣された大和朝廷軍だった。総大将は下野国造の渡来人下毛野古麻呂
だった。彼は大宝一(七○一)年、「日本」という国号を定めた大宝律令を、藤原不比等
とともに編纂している。彼は天武天皇死後、持統天皇に仕え、藤原不比等の信任あつく、
陸奥国建設の前線基地下野国を統治すると同時に兵部卿に任命され、東国である坂東を律
令制度の要として抑えていた。
朝廷軍との戦に敗北した高原山の蝦夷は、再び高原山に暮らすことを許されず、下毛野
古麻呂によって帝都に連行され、奈良平城京建設のための奴隷労働の俘虜とされた。帝都
に凱旋した下毛野古麻呂は元明天皇から、式部卿正四位下という、現在でいえば国務大臣
級という高い地位を授かった。しかしまもなく平城京建設を指揮するおり、突然倒れ、病
死してしまった。朝廷内で下毛野古麻呂式部卿の病死は、坂東蝦夷の聖地である高原山の
怨霊に呪われ祟られたという噂が流れた。
和銅三(七一〇)年、元明天皇が平城京に遷都すると鬼怒一族は、九州、四国や西国の
水田稲作造りの奴隷俘虜として各地国造に引き取られていった。
蝦夷や隼人の奴隷俘虜労働によって建設された奈良平城宮は、和銅三(七一〇)年から
延暦三(七八四)年までの大和朝廷の帝都となった。奈良は百済語で故郷を意味する、渡
来人の都だった。
藤原不比等が六十三歳で死去した養老四(七二〇)年、不比等の子、二男の藤原房前は
高原山の怨霊を封鎖するため祈願したという。神亀元年(七二四)年、行基は、鬼怒
一族の荒魂が復活せぬよう、高原山剣が峰の麓に法楽寺を建てた。
不比等の長女宮子は文武天皇の側室となり聖武天皇を生んだ。若い女に産ませた不比等
の娘、光明子は聖武天皇の妃となった。長男の武智麻呂(南家)、次男の房前(北家)、
三男の宇合(式家)、四男の麻呂(京家)はいずれも朝廷の要職に着いている。
不比等が死去し、房前が高原山の怨霊封鎖の祈願勤行をした年、九州で隼人の反乱、東
北で蝦夷が反乱した。行基が高原山に法楽寺を建てた年には、東北日高見の蝦夷が再び反
乱をした。藤原不比等の三男藤原宇合が持節大将軍に命ぜられ、坂東から三万人の兵士を
徴用し、朝廷派遣軍は陸奥国建設、蝦夷討伐の前線基地として多賀城を設置した。大和朝
廷の藤原一族は高原山の怨霊を恐れていた。藤原不比等死去の真相は、平城京に潜入して
いた高原山の鬼怒一族による暗殺であったからである。鬼怒一族は平城京建設に奴隷俘虜
として従事していたので、藤原不比等邸の構造を把握していた。
藤原不比等の死は病死として朝廷内で発表された。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 06時30分33秒
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小説 新昆類 (3) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
不比等死後、不比等の地位だった右大臣になり名実共に政権トップとなった長屋王は、
行基と藤原一族の陰謀におとしめられてしまった。天平一(七二九)年、長屋王は聖武天
皇を呪術で呪ったという嫌疑をかけられ、自決した。不比等の子、光明子が妃から聖武天
皇の皇后となることによって、藤原四兄弟による宮廷での地位は固まり、藤原一族は権力
を把握した。そして藤原一族の陰謀に加担した行基は大和仏教の統帥僧侶へと上昇してい
った。
東北、出羽国と陸奥国の蝦夷を統治するためには、坂東、下野国の蝦夷反乱は壊滅され
ている必要があった。下野国の北部は陸奥道への入り口であり、ここが安全でなくては、
多賀城に東山道や東海道から万余の軍隊を派兵することはできない。下野国は奥州侵略の
前線基地だった。各村からは家族ごと農民が、蝦夷の領域であった地帯へ、屯田兵として
入植させられていった。蝦夷への遠征のたびに、若い男は兵士として動員され、下野国は
疲弊し、たびたび飢饉に襲われていた。前線基地での百姓反乱は、どんな小さな動きでも
許されなかった。百姓を監視する役割が高句麗・新羅から移植してきた渡来人屯田兵だっ
た。屯田兵によって河川周辺の土地を奪われ、山奥へと蝦夷は追われていった。渡来人に
とって蝦夷は意味不明の不気味な山岳の鬼だった。
鬼とは古来から日本列島に居住していた縄文人だった。そして朝廷軍の軍神、坂上田村
麻呂のルーツは、「おもいかね」として神話に登場する公孫氏だった。2世紀後半、後漢
の地方官だった公孫度が遼東に国を築く。公孫氏は朝鮮半島まで浸透していくが、やがて
公孫氏は魏に滅ぼされた。逃れた一族は朝鮮半島の南部へとやってきた。そこで伽耶諸国
を創建する。公孫氏は金属の生産と加工に優れた技術を持っていた。さらには軍事技術が
あった。やがて公孫氏は伽耶諸国から日本列島に移住を開始する。そして歴代朝廷軍の主
力勢力となっていった。公孫氏坂上田村麻呂の系譜は、アテルイの反乱から二百五十年後
に勃発した前九年合戦で、安倍貞任、藤原経清ら安倍一族軍を鎮圧した、陸奥守源頼義と
その子八幡太郎義家に流れていた。渡来人系譜源氏の奥州征伐への執着は、源頼朝による
奥州藤原氏平泉炎上によって帰結した。
雄大な高原山を拝める盆地には木幡神社があった。延暦十四(七九五)年、蝦夷征伐に
向かう坂上田村麻呂によって創建されたという。この地と古代那須国を結ぶ佐久山街道の
豊田には坂上田村麻呂の将軍塚がある。豊田将軍塚は、坂上田村麻呂将軍が宿泊したと伝
えられる、由緒ある場所とされている。そこで坂上田村麻呂は、延暦十四(七九
五)年、鬼怒一族に暗殺されたという異史がある。その伝承によると将軍塚は田村麻呂の
墓であるというのだ。田村麻呂の暗殺に驚愕した朝廷は、田村麻呂の死を隠蔽し、彼の弟
を田村麻呂将軍として祭り上げた。朝廷の自作自演が必要だったのは、東北蝦夷征服
の最後の切り札が田村麻呂将軍であったからである。朝廷軍は東北蝦夷征伐の遠征軍を派
兵するたび敗北していた。この地は東北反乱の蝦夷と切っても切れない関係にあった。木
幡神社には朱色の業火に焼かれ、逃げ惑う鬼たちの地獄絵が本殿の内壁に描かれている。
その鬼こそ高原山の縄文人である鬼怒一族とされている。木幡神社は大和朝廷軍が滅ぼし
た鬼怒一族の怨霊を永遠に封じ込めるための呪術神社とされているが、異史によると木幡
神社も鬼怒一族の社であったというのだ。鬼怒一族は社を未来永劫に残すために、坂上田
村麻呂将軍によって創建されという風説を下野全土に流した。蝦夷の知恵だった。
前九年の役より二十五年後、頼義の子八幡太郎義家が奥州清原氏の内乱に介入した
のが、後三年の役だった。この後三年の役が東国における源氏の覇権と、武家の頭領と
しての地位を固めた。
坂上田村麻呂系譜である、源氏の関東、東北支配を許すまじと、奥州アテルイの系譜で
ある安倍一族の反乱に呼応し、高原山鬼怒一族の同盟軍でもある八溝山の蝦夷岩獄一
族は、北坂東蝦夷の部族反乱を八幡太郎義家源氏軍に対して起こした。下野、常陸、奥
州にまたがる山脈こそ八溝山だった。
鬼怒一族も八溝山に入り、北坂東蝦夷山岳ゲリラ軍の中枢を担ったのだが、源氏の家来
である那須貞信軍の亀裂な謀略によって、八溝山蝦夷軍は鎮圧されてしまった。那須貞信
は相模国から遠征軍を募り、総勢五千の鎮圧軍を形成した。八溝山の蝦夷討伐によって那
須貞信は朝廷から源氏の一党として那須国を与えられた。那須貞信は新興那須家の祖とな
った。
新興那須氏二代目の那須資道は、八幡太郎義家の家来として、奥州征伐「後三年の役」
に従軍している。新興那須家の「那須国」は、源氏による奥州侵略の要基地となった。
平家と源氏の「屋島の合戦」で、義経に命じられ、海の小船、平家の女房が持つ扇を射
止めたのが、弓で有名な那須与一。古来よりの那須国を奪った、貞信の系譜である。
敗北し、屈辱的に殺された八溝山蝦夷軍の大将、岩獄丸は怨霊となった。
木幡神社には八幡太郎義家が、奥州征伐へ向かう途中、戦勝祈願している。
「鷲の棲む深山には、概ての鳥は棲むものか、同じき源氏と申せども、八幡太郎は恐ろし
や」(白河法皇)
白河法皇は源氏の頭角を恐れた。八幡太郎義家は白河法皇の陰謀によって、力を削がれ、
孤立化していった。最後は病死した。鬼怒一族の怨霊にやられたのだろうと白河法皇は、
院政の御所で薄く笑ったという。
「下野の高原山、その山が見下ろす里、木幡神社は源氏の軍神、坂上田村麻呂が奥州蝦夷
征伐祈願のため、建てたというが、実はのう……鬼怒一族が建てた怨霊社であるとか、結
界に入った蝦夷討伐の覇者は、復讐の霊に呪われるという、恐ろしや、木幡神社の云われ
をけして源氏に教えてはならぬ、宮廷の公卿にも知らせてはならぬぞえ」
白河法皇は言葉に出さす自分を戒めた。
鎌倉幕府を開いた源頼朝も那須野が原の狩のおり、先祖ゆかりの木幡神社に祈願したと
いう。その後、源頼朝はある日、相模川から鎌倉への帰途落馬し、御所で死んだ。
「もののふの矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原」(源実朝)
兄、頼家が追放されたあとを継ぎ、鎌倉幕府三代将軍になった源実朝も那須が原での狩
のおり、先祖ゆかりの木幡神社に祈願した。
その後、実朝は、兄頼家の子である公暁に、鶴岡八幡宮の社前で正月拝賀の際暗殺され
た。公暁は、北条義時ら幕臣に実朝が父のかたきであると聞かされていた。兄弟を皆殺し
にした源頼朝の征夷大将軍系譜は消滅した。院政の後鳥羽上皇は、鬼怒一族の怨霊とは恐
ろしや、木幡神社に祈願するたび源氏が死んでいく……鬼怒一族を味方に引き入れなけれ
ばならぬ。かつて朝廷が滅ぼした山の民蝦夷を味方にせねばならぬと胸で誓った。そして
後鳥羽上皇は、今が鎌倉幕府打倒の好機と、京都守護伊賀光季を討ち、執権北条義時追討
の宣旨を発令し承久の乱を起こしたのだが、鎌倉幕府軍に敗退してしまった。後鳥羽上皇
は隠岐に流された。後鳥羽上皇の意思を蘇らせたのが後醍醐天皇だった。
高原山と八溝山の源氏への怨霊をおそれた鎌倉幕府北条執権は、自らを平氏の出自であ
ると宣言するようになっていた。鎌倉幕府最後の執権である北条高時を裏切ったのが、
源氏の出自である足利尊氏だった。
奈良時代に高原山から農耕奴隷として西国各地に流された鬼怒一族の末裔は、鎌倉時代
末期になり、後醍醐天皇による北条鎌倉幕府打倒の綸旨に応じ、後醍醐天皇の王子である
大塔宮が指揮する山岳ゲリラ軍に参加し、安芸の山の民である有留一族と共に、みごと北
条鎌倉幕府軍を敗退させる一翼を担った。しかし、山岳ゲリラ軍の将軍である大塔宮は朝
廷内の陰謀により、足利尊氏軍に引き渡され、鎌倉に送られてしまい、足利尊氏の弟であ
る足利直義の命令によって暗殺されてしまった。大塔宮を鎌倉から奪還し、山岳ゲリラ軍
の再建を計画していた鬼怒一族と有留一族は、大塔宮の死により展望を喪失し、西国に帰
還した。やがて朝廷が分裂し後醍醐天皇と足利尊氏の内戦が勃発した。鬼怒一族と有留一
族は吉野の山に入り、今度は楠木正成軍に加わる。しかし楠木正成軍は足利軍に敗れてし
まう。生き残った有留一族は一度四国に逃れ、そこから安芸の故郷に帰還。鬼怒一族は足
利軍による敗軍残党狩りを恐れながら流民となって西国を脱出し、坂東下野北部に向かっ
た。坂上田村麻呂将軍塚があり鬼怒一族の聖地高原山を拝める豊田村を開拓し住み着いた
という。豊田村の東には裏高原山の塩原から箒川が流れていた。箒川は那須国の那珂川へ
と合流する。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 06時19分57秒
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小説 新昆類 (4) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
デイアラ神社には巨大なイチョウの幹がふたつあった。そのイチョウの大木は、北鎌倉
の縁切り寺、東慶寺境内にある後醍醐天皇皇女用堂尼の墓、それを見守るイチョウの銀杏
を、東慶寺の尼僧が広い集め、旅に出て、日本各地の寺院や神社に植えたひとつであると
いう成田村の伝説がある。豊かな田園地帯の成田村は増録村の隣にあった。増録村は豊田
村の人間が、第2次世界大戦後、開墾していった地図には載っていない山に閉ざされた
ちいさな村だった。
山はひとつの国境でもあった。成田村の子供たちの遊び場は平地の田んぼや畑だった。
誰も山に遊びに入らなかった。デイアラ神社は増録村の子供たちに占有された遊び場とな
っていた。東に那須郡野崎の豊田村、西に塩谷郡矢板の成田村があった。豊田村も成田村
も豊かな田園地帯だった。戦後、豊田村と成田村は町村合併で矢板市に編入された。
デイアラ神社は成田村の神社だった。成田村には矢板と喜連川を結ぶ街道が通っていた。
成田村と喜連川の河戸村の境付近にに宮田という地点があった。その宮田からデイアラ神
社に登る山道がある。入り口には石の草木塔があった。その草木塔に刻まれた文字から判
別すると、デイアラ神社は、江戸時代の安永九(一七八〇)年十一月に、干支庚子の「二
十三夜供養」とし成田村の女たちによって創建された。女たちが造作した神社なので、掘
っ立て小屋だった。二十三夜供養とは、村の女たちの講でもあり、デイアラ神社は講の場
所でもあった。よく旅の尼僧が宿泊し、講に集まってきた村の女たちに、古来からの言い
伝えや、江戸の様子などを伝えたらしい。
天明元年(一七八二年)秋が深まり、山が紅葉に染まった日、北鎌倉の東慶寺の尼僧が
デイアラ神社に訪れた。その夜、村の女たちは、尼僧の歓迎に食べ物を持ち寄り、二十三
夜講を開いた。尼僧は村の女たちに、昔の話をした。
村の女たちが尼僧から聞いたところによると、遥かな昔、高原山の鬼人を、元正天皇の
時代、藤原不比等さまの命令で大和朝廷軍が退治したそうな。しかし、日本書紀が完成し
た年、藤原不比等さまは、平城京に密かに潜入していた高原鬼人である鬼怒一族の毒矢に
よって殺されてしまったそうな。朝廷は大いに悲しんだが、都に潜入していた鬼怒一族は、
坂上田村麻呂将軍さまの先祖である朝廷軍の東漢氏によって、ことごとく捕まり処刑され
たそうな。不比等さま死後、隼人と蝦夷という鬼退治戦争は、朝廷と平城京安泰の柱とな
ったそうな。
不比等さまの子、藤原房前さまは高原山の怨霊を鎮めるため、平城京の僧を鬼怒一族の
里である高原山に派遣し鬼人の怨霊を封じ込めるための大祈願を勤行したそうな。奥州国
造りの最大拠点たる多賀城(宮城県多賀城市)が完成した七二四年、平城京の僧侶行基さ
まは、高原山周辺に国家仏教と水田稲作を普及させる精神的支配の拠点として
高原山剣ガ峰の麓に法楽寺を造営したそうな。
寺院と神社は鬼の怨霊を封鎖する霊的結界であると尼僧は村の女たちに話した。そして
寺院と神社を子孫代々至るまで守ることが、家を守る女の勤めです、と説教した。
「どうか、国の安泰祈願のため各地にある寺院・神社の境内に私が育てたイチョウの木
の種を植えておくれ、これが後醍醐天皇皇女用堂尼様の遺言でありました。鬼の怨霊が地
獄から復活しないように、日本各地にあるお寺では早朝から毎日、日本安泰祈願の勤行を
しています。朝廷と仏教こそが日本を毎日、守っているのです。私ども鎌倉の東慶寺の尼
僧は後醍醐天皇皇女さまの遺言を守り、こうして日本各地の寺院と神社の境内に銀杏を植
える旅に出ているのです。また下野国は東慶寺を開山されました北条時宗夫人覚山尼さま
と縁が深い場所でした。どうか、皆々様方、家の安泰は天皇様と仏様が毎日、守っている
と念じていただき、信仰の礎が何処にあるかを、一日に一回は思ってくださいますよう。
生きとし生きるもの、草木、ひとつひとつに神と仏は宿っていますに、皆様方の心のなか
に神と仏は宿っております」
村の女たちは、月夜の晩の二十三夜講で、ありがたく尼僧の教えを聞いた。
「これは後醍醐天皇皇女様の松ヶ岡御所の銀杏です。地に植え、オスとメスの木が生長す
れば銀杏が実り食べられます。明日の朝、食と泊まらせてもらったお礼に、この神社の境
内に植えましょう。どうか大切に育ててください」
尼僧は村の女たちに言葉を残し、翌朝、行基ゆかりの高原山へと向かっていった。尼僧
の旅の目的は高原山の山岳密教、修験道寺山修司寺の境内に銀杏を植えてくることで
もあった。修験道の聖地高原山は女人禁制だった。
尼僧は後醍醐天皇皇女様松ヶ岡御所の銀杏を山伏に渡し、寺山修司寺の境内に銀杏を
植えてほしいと託し、会津藩へと北をめざし旅立っていった。
デイアラ神社境内に植えられた銀杏は、奇跡的に芽出し、やがてオスとメス、二本のイ
チョウの木となって成長していった。デイアラ神社は泥荒神社と漢字で書く。泥の水田に
つかっての田植えや草取りは、百姓にとってつらく骨がおれる荒い重労働だった。「泥荒」
の意味は労働にあると村人は思っていた。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 06時06分48秒
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小説 新昆類 (5) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
2
昭和二十八(一九五三)年三月末、朝鮮戦争のまっだなか、泥荒は東京の調布飛行場近
くの都営住宅で産まれた。木造の長屋だった。その年、ソ連邦のスターリンが死んだ。ス
ターリン暴落が日本経済を襲ったという。泥荒という名前を付けたのは、父のノブだった。
泥荒は三番目の男の子だった。故郷の神社の名を子供につけたのである。ノブは占領軍憲
兵隊員が監視する機関銃を造る工場で働いていた。ノブは旋盤工だった。ある日、叫び
ながら家を飛び出し、調布の田園を走っていったと母のテルは言う。気が弱いノブは、何
者かの監視下の労働に、もはや耐えれなかったのだろう。そしてノブは精神病院に入院
した。
昭和三十(一九五五)年、朝鮮戦争は終結した。それを期に日本共産党は地下・非合法
活動から、再び街頭に登場し、分裂していた左右社会党も、日本社会党として統一されて
いった。さらに保守党のつらなりは、闇の巨大資金によって、自由民主党として合流して
いく。日本経済がこの戦争によって、復興し、昭和初期の経済を越えたことは、言うまで
もない。この時期の青春像のトーンは絶望であった。
泥荒は二歳になっていた。いつも都営住宅、長屋の濡縁から、調布飛行場の飛び立つ飛
行機を見ていた。いまだ彼の記憶装置は作動していなかった。その瞳はただブッラクホー
ルとして、草原が広がる飛行場の風景を吸い込んでいた。長屋の木造都営住宅の濡縁で、
泥荒は五十年代の空気を吸っている。その表情は魚のようでもあり、蛇のようでもあった。
内部というものが欠落し、すっぽねけているように、ただ濡縁から外をながめていた。飛
行機の爆音が泥荒のちいさな体を揺さぶっていた。
その年、八月に泥荒はテルの姉であるミツ子にあずけられることになった。ノブの発病
により生活が行き詰ったからである。テルは日雇い労働のニコヨンの仕事をしながら、ノ
ブの退院を待つことにした。長男のトモユキは調布小学校に入学したばかりなので、手元
に置くことにした。次男のヨシヒコはすでにノブの実家に預けてきた。
「姉さん、どうかよろしくお願いします。あの人が良くなったら、必ずこの子を迎えに行
きますので……」
そうテルは、栃木県北部からやってきたミツ子に頭を下げた。
「テルも大変だな、私には子供ができなかったので可愛がって育てるよ、それにしても、
東京はなつかしい、やはり田舎と違って活気があるね」
ミツ子はそう言いながら麦茶を飲んだ。
「東京はわたしも姉さんも娘時代に暮らしたところだもんね」
テルが笑顔で答えた。
テルとミツ子の父は治之助、母はサヨと云った。サヨは広島県広島市安佐にある鎌倉寺
山の麓、有留村にある小さな寺の娘であった。治之助は広島県呉の造船会社で働く技術者
の息子だった。治之助の父は有留村の出身だった。治之助とサヨは広島で見合い結婚をし
た。治之助は石炭の鉱山を発見する技術者だった。治之助は、十二人の子供をサヨに産ま
せた。ミツ子は八番目、テルは九番目の娘であった。家族は治之助の赴任で、各地の鉱山
へ転々と移動した。テルが産まれたのは大正九(一九二〇)年二月、しんしんと雪ふる福
島県西白河郡金山村の白川炭坑社宅だった。外からは酒を飲んで歌う坑夫たちの常盤炭坑
節が聞こえてきた。
テルが産まれてすぐ、治之助は白川炭坑の東京本社に戻された。治之助の家族は日暮里
の貸家に住むことになった。テルは日暮里の高等小学校を卒業すると、姉のミツ子のよう
に洋裁店の針子として働いた。ミツ子もテルも二十歳を過ぎたが、若い男は皆、戦争に駆
り出されて恋の縁もなかった。昭和二十年三月十日の東京大空襲で江東区・墨田区・台東
区が炎上し、多くの犠牲者が出た。治之助は「お前たちは疎開した方がいい」と、娘たち
を栃木県太田原の佐久山の薬局に嫁いでいる長女のヤエのところに疎開させた。イネ、ミ
ツ子、テルが佐久山に疎開していった。東京に残った治之助とサヨは五月二十四〜二十五
日にかけての東京大空襲の爆撃で死んだ。ヤエの夫も南太平洋戦線で戦死した。
テルは敗戦を栃木県太田原市佐久山の岡本薬局で迎えた。居候の身分で肩身が狭かった。
姉のイネは、宇都宮連隊の解散によって、陸軍から帰ってきた次郎と見合い結婚をした。
次郎の村は佐久山の隣村である福山だった。長女のヤエに子供がいなかったので、イネと
次郎が店を引き継いだ。ミツ子は隣村の豊田へ後家に入った。ミツ子の相手は十四歳上の
廣次だった。薬売りの商売で、ヤエは妹たちの結婚相手情報を仕込んでいた。
豊田の廣次は先妻のハツエを昭和十九(一九三九)年の八月に失った。ハツエが死んだ
のは四十八歳だった。廣次は四十五歳で三十一歳のミツ子と敗戦の年に再婚をした。廣次
は九人の子供をハツエに産ませたが、大正から昭和にかけて七人の子供を幼児のまま失っ
た。輝(一歳)、寿(二歳)、貢(五歳)マツミ(二歳)、掌(二歳)、昇(三歳)、生
き残ったのは娘のサトとトモエだけだった。サトはトモエの姉だったが、知恵遅れの娘だ
った。廣次がミツ子と再婚したとき、トモエは十四歳の多感な時期だった。どうしてもミ
ツ子を母親として認めたくなかった。
テルは岡本薬局で、岡本薬局製造販売の「神皇丸」という漢方薬つくりや、家事の手伝
いをしていたが、ミツ子が農作業の手伝いに来ないか、と誘ってくれたので、今度は豊田
の廣次の家にお世話になることにした。昭和二十二(一九四七)年、テルは二十七歳にな
っていた。
三十歳を過ぎたら、わたしもミツ子姉さんのように、後家さんに入るしかないと、テル
は覚悟をしていた。春と秋に忙しい農作業の手伝いの仕事も暇になると、テルは矢板の町
に勤めに出ることにした。仕事は木材加工会社「秋木」の製材工員だった。朝、テルは廣
次の家から豊田村の隣村である沢まで歩いていって、沢の停留場から東野バスに乗って、
矢板の町まで通った。沢には佐久山から矢板をつなぐ街道が通っていた。歩いてバスに乗
るたび、テルは早く、東京に戻りたいと願った。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 05時59分04秒
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小説 新昆類 (6) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
テルがノブと出合ったのは沢のバス停留場から豊田の廣次の家に帰る途中だった。ノブ
は矢板の金属会社に旋盤工として勤めていた。ノブは豊田の寛の家から自転車で矢板の町
に通っていた。テルとノブはいつも通勤途中の豊田の道で会っていた。ある日の帰り道、
テルが沢の停留場で降りて歩いていたら、後ろから自転車でノブがやってきた。ノブはテ
ルに帰り道が一緒だから自転車の後ろにある荷台に乗れと誘った。テルは恥ずかしかった
が、乗せてもらうことにした。それから急にテルとノブは親密になっていった。数日後、
またノブは会社からの帰り道、テルと出合い自転車の後ろに乗せた。そしてテルに今度の
日曜日、映画を見に行がねぇげ? とテルを映画館に誘った。テルは同意した。日曜日に
ふたりは矢板の駅で待ち合わせ、駅の近くにある東映の映画館に入り時代劇の映画をみた。
映画がはねてノブはテルと食堂で飯を食った。矢板からの帰り道。テルはノブの自転車の
後ろに乗った。二人乗りの自転車は、山を越えて、沢まで行きそれから豊田への道を帰っ
ていくのだが、ノブは山の中へとテルを誘惑した。ノブはテルの子宮へと射精をした。
テルはその山の中の契りによってノブの子を宿すことになった。テルはノブに結婚を迫
ったが、ノブの家が強烈に反対をした。テルは廣次の家でノブとの子である長男のトモユ
キを産んだ。テルの生存する道はなんとしてもノブと結婚することだった。ノブも家が反
対しているがテルと結婚するしか責任をとる人の道はないと強く思っていた。ふたりは相
談して東京に駆け落ちした。最初はノブが旋盤工として勤めた品川の職場近くのアパート
に住んでいたが、運良く調布にある都営住宅が当たった。ふたりは長男のトモユキを連れ
て調布飛行場がすぐ前にある長屋の都営住宅に引っ越した。そこで次男のヨシヒコと三男
の泥荒が産まれた。
栃木県那須郡野崎村大字豊田五六四番地で、ノブは産まれた。大正十四(一九二五)年
六月だった。父は寛、母はトキだった。ノブは次男だった。寛の家は豊田で豪農の地主だ
った。寛は矢板農学校を卒業した。寛はトキに五人の子供を産ませた。四人が息子で末っ
子が娘だった。寛は廣次の兄だった。次男の廣次には痩せた土地しか与えられなかった。
貧困の廣次は七人の幼子を失ったが、地主の家を継いだ長男の寛は子供を死なせることは
なかった。寛は豊田でも傲慢な男だった。軍隊に行って近衛兵を務めたことが寛の自慢だ
った。軍隊では上官まで出世した。兵役が終了し、村に帰ってくると、寛は軍人癖が抜け
きれず、いつも地主として威張っていた。
矢板町からやってきた共産主義者の農民オルグが、小作人を煽動し、寛の家の庭で騒動
を起こしたが、大田原警察からやってきた警官が鎮圧してくれた。昭和五(一九三〇)年
の豊田小作人騒動事件だった。首謀者は捕まり大田原警察の監獄にぶちこまれた。その後、
小作人を農民運動に組織する栃木県北部の共産主義者は根こそぎ、治安法違反で逮捕され
たので、寛はひとまず安心した。矢板の川崎村からは日本共産党の青年団体である共産主
義青年同盟中央委員会の幹部になった人間が出た。それは寛が出た矢板農学校の同級生の
高橋吉次郎だった。「東京に出て、あいつは赤になったんべよ」という噂が寛の耳にも入
っていた。豊田の地主は寄り合いを持ち、町の大田原、佐久山、野崎、矢板からの赤が豊
田に潜入しする街道を監視する対策を話し合った。見知らぬ男を見かけたら、すぐ沢の駐
在所に通報することにした。
寛の家は、小作人から「あすこはヒト・ゴ(五)ロ(六)シ(四)番地だんべ」と陰口
を叩かれていた。マッカーサーによる農地解放令によって、寛は多くの農地を手放すこと
になった。喜んだのは、それまで寛にいじめられていた小作人だった。寛の家は没落した。
周りの百姓は「いい気味だ」と冷ややかに、寛の家の没落をながめていた。農業では小作
人がいなくなり没落したが、寛は親から譲られた山を持っていた。その私有地の山は豊田
一番だった。寛の家の裏から増録村へと続く広大な山の領地は寛のものだった。増録村と
成田村の境界の山も寛のものだった。成田村のデイアラ神社近くまで寛の山だった。
ノブはおとなしい子供だった。小作人の子供は尋常小学校に入学する頃は、家の手伝い
をしたが、ノブは地主の子供だったので、家の仕事はしなかった。小作人からノブは「ノ
ウちゃん」と呼ばれ、可愛がられた。寛の子供が寛のように尊大に威張る人間にならない
ように、小作人たちは、寛の子供に表面的な愛情を注ぎ込んだ。ノブは関東軍の謀略で満
州事変が勃発した昭和六(一九三一)年、豊田尋常小学校に入学したが勉強は得意ではな
かった。ただ駆け足が得意だった。家ではいつも寛が家長として威張っていたので、いつ
も寛の前ではビクビクしていた。母のトキは優しかった。トキは小柄な女だったが、全面
的な愛情を子供たちに注いだ。矢板農学校を卒業していた寛は、自分たちの子供の成績が
あまり良くなったので、トキに「おまえがバカだから、おまえの血を引いんだんべ」と悪
態をついた。豊田ではほとんど同族結婚だった。
長男のマサシは弟のノブを可愛がった。ノブの下に弟のカズ、サブ、マモルが産まれた。
最後に妹のムツコが産まれた。寛とトキの子供は、トキのおだやかな性格の遺伝子を継承
し、いずれもおとなしく人が良い気質があった。しかしその底には、寛の冷たい冷酷な利
己主義の遺伝子が眠っていた。ノブが豊田尋常小学校に入学すると、すぐ番長を決めるケ
ンカが休み時間に校庭で始まった。豊田尋常小学校の伝統だった。おとなしくスローテン
ポだったノブは最初のケンカで敗れた。もともと番長になる野心がなかった。番長にのし
上がったのは小作人の子であるグンジだった。グンジの親父は豊田の小作人騒動の時、大
田原警察の留置所にぶちこまれたので、寛の家には恨みをもっていた。
小学校の生活に慣れた尋常小学三年の六月、ノブは放課後、グンジに呼び出された。
「番長がノブちゃんに用があんだど」そう東豊田のトヨジがノブを校庭の前にある小山の
奉安殿に連れていった。昭和天皇の御真影と教育勅語が厳重に保管されている神社風の奉
安殿の前にグンジが腕を組んで立っていた。グンジはノブを奉安殿の裏に連れていった。
「おめぇのうちは山の主さまと威張っているが、あの山はもともと村のものだったんだん
べ、おめぇ知っていたげ?」
グンジがノブに質問した。
「……」ノブはなんのことか分からなかった。
「おらが教えてやるべ、もともと村のものだった山を、おめぇのじいさまが、山県有朋に
とりいって、自分のものにしてしまったんだんべよ、おめぇのじいさまは悪人だんべ、村
じゃ、みんな知っていっぺ。おらの父ちゃんも、山に入って落ち葉や薪をとって
来るのにも、いちいち、おめぇのいえに、ことわりに行かなくちゃなんねえ、ふざけんな
このやろ!」
ノブはグンジのゲンコで頭を殴られた。そして地面にノブは倒され、ゲンジの尻がノブ
の腹に乗った。グンジはノブのシャッツのえりをつかみ言った。
「いいか!地主だからっと言って、ガッコウでは調子こくんでは、ねえど、わかったがよ、
おらの父ちゃんは、おめげのおかげで留置所にぶちこまれたんだんべよ、おらだって、警
察なんか、おっかなぐねえんだ、この、でれすけやろう!」
ノブは泣きながら、分けもわからず「ワガッタ、ワダッタ、かんべんしてぐれや」とグ
ンジに哀願した。グンジはノブの体から離れ、立ち上がった。ノブは泣きながら起き上が
った。
「いいか、兄貴や親に告げ口したら、どうなるか、わがっていっぺな」
そうグンジは捨てぜりふでノブを恫喝した。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 05時49分50秒
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小説 新昆類 (7) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
その日からノブはグンジの子分になった。世の中で生存するためには、めだたないよう
におとなしくしていること、「金持ち、ケンカせず」これがノブが現実から学んだことだ
った。村の大人社会では寛が小作人をいじめ村を監視していたが、尋常小学校では寛の子
供が小作人の子供たちにいじめられ、監視されていた。大人社会の現実と子供社会の現実
の力関係は逆転していた。ノブは早く尋常小学校を卒業したかった。
ノブが尋常小学五年になったとき、グンジは村からいなくなった。満州開拓団としてグ
ンジの一家は満州に行ったとの噂だった。ノブはグンジがいなくなったので安心した。学
級では、次の番長を決めるケンカが始まった。「おら、にがてだんべ、ケンカはぁ……」
そう言って、ニコニコすることにした。親密な笑顔こそ、学校で生存する唯一の方法であ
ることをノブは学んでいた。
ノブが豊田尋常小学校を卒業し、野崎尋常高等小学校へ入った昭和十二(一九三七)年、
日中戦争が全面的に勃発した。寛は「これから戦争景気がやってくっぺ、お国のために、
一生懸命、働け」と、小作人たちに説教していた。ノブは満州に行ったグンジを「今頃、
どうしていんだんべ」と、縁側から遠くの田んぼを眺めながら思い出していた。
昭和十四(一九三九)年の三月末、ノブは野崎尋常高等小学校を卒業し、同じ五人の卒
業生と一緒に、東京大田区大森にある軍需工場へ、旋盤工見習いとして集団就職した。野
崎駅から他の親に混じって母のトキ、兄のマサシ、弟のカズ、サブ、マモル、妹のムツコ
が見送ってくれた。「ノブ、おめぇは頭、よくないが、みんなと同じようにやれば、大丈
夫だんべ……、からだに気をつけるんだど」トキが涙を流しながらノブを励ました。そし
て「これ、電車の中で食え」と新聞紙に包んだ油揚げの寿司をノブに渡した。「ノブ、正
月休みには帰ってこいよ」そう兄のマサシがノブの肩をたたいた。弟のカズ、サブ、マモ
ル、妹のムツコは、ただ羨望のまなざしでノブを見上げていた。ノブはそのとき、家族で
はじめて東京に就職する英雄でもあった。集団就職に付き添ってくれるメガネをかけた国
民服の教師が、見送りに来た家族に「それでは」と深いお辞儀をして、ノブたちを列車に
乗せた。
野崎駅から上野行きの列車が出発した。次の駅である矢板駅からも、東京への集団就職
の少年たちが引率の教師に導かれ乗車してきた。矢板尋常高等小学校の生徒と、野崎尋常
高等小学校はよく箒川にかかる野崎橋の下の河原で石の投げ合いのケンカをした。ノブは
いつも石の補給係だった。
「おめぇも東京へ行くんが、おらもだんべ」
矢板尋常小学校の番長だった斉藤平八郎がノブを車両で見つけ、近寄って言った。
ノブはニコニコしながら、
「ああ、そうげ、おらたちは大森の工場だけんど、おめぇは?」そう質問した。
「おらがぁ、おらは品川の工場だんべよ、東京で会うこともあるがもしんねけなぁ、そう
したら、おめぇ、おらの子分にしてやっぺ、あははは」斉藤平八郎は笑った。
「斉藤、席を離れるんでない」向こうから、矢板尋常高等小学校の引率教師が怒鳴って
注意した。
「またな、これ、おらが就職する工場の住所だがらよ、休みの日に訪ねて来たらよがんべ、
遊ぶべよ」と言って平八朗はノブに紙の切れ端を渡し席に戻っていった。
ノブは故郷を離れることに不安もあったが、帝都東京で働き暮らすことに新鮮な嬉しさ
があった。なによりもいつも家長として威張りくさっている寛から自由になれることが嬉
しかった。寛はいつもノブを「このバカ野郎!」とののしっていたのである。
鬼怒川鉄橋を越え、宇都宮駅を列車が出た頃、引率の教師がノブたちに説教した。
「おまえたちの注意しておくことがある。向こうに付いたら、上の人の教えをよく聞いて、
早く工場の仕事に慣れなさい。寮ではきちんと生活しなさい。だらしがないのは嫌われる。
早寝早起きを守りなさい。野崎尋常高等小学校の後輩が、これからお前たちが働く工場で
も就職できるようにしっかりやってくれよ。それから東京には陰謀を企む共産党という国
賊の赤が、どこにいるかわからないので、変な話にはだまされないこと、いいな」
「ハイ!」とノブたちはかしこまって応えた。
列車はやがて利根川を越え、関東平野を南下し、帝都へと滑り込んでいった。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 05時42分29秒
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小説 新昆類 (8) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
3
昭和五十七(一九八二)年の八月だった。ノブの息子、泥荒は朝からひとりで、下地塗
りのシーラーを塗っていた。仕事はモルタル壁の塗装だった。現場は横浜市戸塚の高台に
ある住宅地だった。住所は横浜市戸塚区戸塚二六七五番地の渡辺寛之邸だった。施工仕様
は、吹き付けではなくローラー工法よる合成樹脂エマルジョン系のアクリル樹脂弾性タイ
ル塗装だった。親方は次の現場の下見に行っていた。
十時になった。施主の若い奥さんが、お茶にしたらと声をかけてくれた。家の主人はNEC
の製造工場に勤めている人とのことだった。泥荒は足場から下に降りていった。玄関口に
奥さんが立っていた。
奥さんが、今日はひとりなの? と声をかけてきたので、親方は午後にはきます、泥荒
は答えた。増録村出身の泥荒は二十八歳になっていた。横浜市戸塚の前田塗装店でペンキ
工として働いていた。
若いのにがんばるわね、あなた、いい仕事をすれば、あたしお友達に紹介してあげるわ、
お茶、玄関のところに用意して置いたから、どうぞ、そう若い奥さんは紅い唇で言った。
甘い声だった。ありがとうございます、そう泥荒は奥さんの後から玄関に向かった。夏の
午前中の陽光が奥さんのうしろ姿に反射する。泥荒にはまぶしかった。泥荒は玄関に座っ
た。外は暑いからここの方がいいでしょう、そう言いながら色気が爆発しそうな奥さんは、
泥荒に氷が入った麦茶を泥荒に差し出した。そのグラスを受け取るとき、泥荒は奥さんの
乳房に目を奪われてしまった。泥荒の情感に、奥さんの乳房が侵入してきた。奥さんの乳
首は、つんと今にもTシャッツを破るかのように突き出ていた。奥さんの首の肌にはちい
さな汗の玉があり、玉は窓からの陽光に反射している。きれいな肌だ、泥荒はごくりと唾
液を飲み込んだ。その恥ずかしさを一挙に麦茶ととも飲み込んだ。
ねえ、手相をみてあげる、奥さんは泥荒の右手をつかんだ。その感触は柔らかさに舌に
なめられているようだった。泥荒の指と手のひらをつつんだ奥さんの手は自分の乳房まで
持っていった。泥荒の手を乳房に押しあてる。ノーブラであることが感触でわかった。泥
荒の心臓に熱いものが手のひらから伝わってきた。奥さんの首には細い紫色の血管が見え
た。おんなの乳房は紅い血液が白い乳液になる不思議な器官、柔らかい感触は気持ちがよ
かった。泥荒の脳天はぐらんぐらんしてきた。
つぎに奥さんは泥荒の手をおんなの花園へと導いた。スカートの上から泥荒の手を花園
へと押し当てる。奥さんは、おまんこをやる気だなと泥荒は確信する。恥骨を感じるまで
強く奥さんは泥荒の手を花園に押し当てた。泥荒の指は恥肉の草むらを感じる。柔らかい
肉の洞穴は、どこまでも吸い込む宇宙だった。ここもノーパンだった。泥荒は奥さんの爛
熟した火照りに反応した。奥さんを下から抱きしめ、その紅い唇に自分の唇を押し当てた。
奥さんの唇が開いた。そこに泥荒は紅いあかい舌をべろんべろんとかき回すようにいれる。
奥さんの顔はうしろにだらんとのぞける。おんなのからだはもうどうにでもしてと放心し
ていた。泥荒は奥さんの唇から今度は耳に紅い舌を入れた。そして熱い吐息を吹きかけて
みる。ああんと奥さんが子宮からしぼりだした声をだす。
あなたに塗ってもらいたいところがあるの、どうぞあがってちょうだい、奥さんはく
らくらしながら子宮から言葉を出した。泥荒は作業足袋を脱いで玄関から床に上がった。
奥さんを真正面から抱きしめ勃起した下半身を奥さんの熱い下半身に押し付ける。ぐぐっ
と女の中心に熱い男の中心棒で圧迫していった。泥荒の両腕は奥さんの腰へ、両手は奥さ
んの柔らかい御尻に食い込んでいた。熱いものが放出され内部では女と男の中心軸が交流
電気の火花を散らしていた。奥さんは泥荒の手を強く握りしめ風呂場へと案内した。ここ
の壁を塗ってもらいたいの、いいでしょう、そう言いながら奥さんは泥荒のベルトをはず
し、ズボンを下に降ろした。奥さんは膝をついてパンツの上から泥荒のきんたまを右手で
まさぐる。左腕は泥荒の腰に回している。こんなに大きくなって、たくましい、ねえ、お
休みはいつなのと奥さんは甘い声で聞いてきた。日曜日ですと泥荒は答えた。日曜日、塗
りに来て、主人はゴルフでいないから、ねぇ、お願い、そう言いながら奥さんは泥荒のパ
ンツを降ろす。わ・か・り・ま・し・た、泥荒は一音づつ区切りながら言った。奥さんは
塗れた白いタオルで泥荒のきんたまを拭いた。そして今度は食べるように泥荒の勃起した
肉棒を右手の親指と人差し指でつまむ。そして奥さんは肉棒を口のなかに入れてしゃぶり
だした。しゃばしゃば、くっぱくっぱという激しく連続の音がする。奥さんの左手は泥荒
の尻にまわし、その中指が黄門に侵入してくる。泥荒は、ううと声をあげる。その声を聞
いて奥さんが泥荒の顔を下から見上げる。隣に聞こえるから、大きな声は出さないでね、
そう泥荒に命令する。奥さんの瞳が泥荒には水晶のおまんこに見えた。泥荒は上半身を沈
め奥さんの左の瞳を唇でふさいだ。うううと奥さんが乳房と子宮からしぼりだした声をあ
げる。泥荒は奥さんを湯船に座らせ、Tシャッツをまくりあげ奥さんの左の乳房に吸い付
いた。舌で乳首をころがし唇で強く圧迫する。右の乳房に泥荒の指が食い込む。そして柔
らかくもむ。指と手のひらと唇と舌による強弱の圧迫により奥さんの乳首は勃起してきた。
泥荒は奥さんのTシャッツを脱がした、奥さんの両腕がだらんと上にあがる、Tシャッ
ツは顔を通り抜け髪を引きづりながら奥さんの上半身から抜け、泥荒はそれをバスルーム
のドアに放り投げた。きれいな、いいおっぱいだと泥荒はみとれた。スカートはいじらな
いで、自分でやるから、あなたも全部脱いで、奥さんが甘く命令する。ああと泥荒は了解
した。奥さんがスカートを脱ぐ、やはりノーパンだった。泥荒もTシャッツと足にからん
でいた作業ズボンとパンツを脱いだ。軍捉も脱いで裸足になった。泥荒は奥さんの花園へ
飛びついた。
なんともいえない花の雌しべのような匂いがした。おまんこの毛は逆ピラミッドだった。
よく手入れされている芝生だった。泥荒はぺろぺろと花園の草をなめまわした。花園の茶
色い土手を舌が走る。奥さんは湯船に座り股を大きく広げている。ふとももには紫色の血
管の道がある、それがいっそう白い肌を浮き出させている。すでにクリストルはめくれあ
がり勃起していた。泥荒はそこを攻撃的に舌で刺激を試みた。あふうと奥さんのあえぎ声
はからだの奥底からの木霊だった。
花園には濡れた割れ目の洞穴がある。泥荒は割れ目を舌で上下にくりかえし舐めてみる。
舐めてなめて舐め尽くすと、アマテラスの岩戸のように割れ目は開いてくる。泥荒はすぐ
さま舌を入れた。続いて鼻を花園の開いた割れ目に入れかき回してみる。花園は男の最高
の遊び場だった。泥荒の両手の指は奥さんのまろやかなまるい御尻の肉につきささって食
い込んでいく。続いて指は桃割れの路にそって上から下へと上下になぞる。指は肉の彫刻
をなでまわしている。顔を上げると奥さんは自分の両手で左右の乳房を揉んでいた。さら
なる快楽を求め自分で刺激を楽しんでいる。泥荒は右手の中指を奥さんの黄門に入れてみ
た。ううと奥さんは鳥のような声を出した。次にはうふううと低音の息を出した。密室のバス
ルームは不倫に蒼ざめた男と女、桃色吐息、興奮したふたりだけのパーティになった。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 05時36分48秒
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小説 新昆類 (9) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
ねえ、して、と奥さんは泥荒に結合を哀願した。泥荒は湯船に腕をつっこみ水を抜く。
ざざあと勢いよく風呂水が落とされる。その音に誘導され泥荒のきんたまは奥さんのおま
んこのなかに入っていく。手で穴に誘導しなくても自然に肉棒が花園へ入っていくのに泥
荒は驚いた。奥さんの花園は器官が食植物のように獲物をなかに入れたのである。歓迎の
器官運動に泥荒はすごいおまんこだと感激した。風呂水が湯船から落ちる音、ざざあ、ざ
ざあ、男と女の中心が摩擦し圧迫し離れてはまた奥へ入る、花園が奥へ向かえては肉棒が
引かれまた奥へ迎えられる音、ばっこん、ばっこん、ぶっちゅん、ぶっちゅん、ぐっちゅ
ん、ぐっちゅん、奥さんの両腕は泥荒の背中にしがみつき、男と女の腰が求心力と遠心力
の快楽運動の時間、そして音は振動していた。すでに湯船からは水が落ちていたが、奥さ
んと泥荒は激しくもみあっている。そして泥荒は一度きんたまをおまんこから抜いた。
泥荒は女体を湯船のなかに入れた。どうするのと奥さんが息の声で泥荒に聞いた。泥荒
も湯船のなかに入る。うしろからと泥荒は息で答えた。
空のバスのなかんでなんか主人ともしたことがないわ、うふふと奥さんは息で笑う。奥
さんは腕を広げ湯船の壁に手をつき御尻をつきだす。泥荒は奥さん背中から右腕を乳房に
まわし揉みはじめる。左手はきんたまをつかみ奥さんの桃割れの道を往来させる。きんた
まによる中心軸への愛撫は刺激があった。いい感じよ、あなた、と奥さん。はやく、ちょ
うだいと奥さんがせがむ。きんたまは自然におまんこのなかへ迎えいれられる。
燃えろ、いいおんな、泥荒は奥さんの耳へ熱い息声をふきかける。大きな声を出すこと
ができない世間様への禁止事項がかえって奥さんを激しくさせる。あうん、あうん、息の
声は壁を溶かすかのようだった。泥荒のからだはロックを演奏していた。ばっこん、ばっ
こん。奥さんはとうとう立っていることはできず、ずりずりと落ちていく。
麻薬が脳に分泌してきた。泥荒は湯船の底に落ちていった奥さんを今度は風呂場のドア
の方向に向けさせた。奥さんは湯船をつかみ犬の姿になる。突き出した奥さんの桃割れの
御尻を泥荒は両手で支え、またバックからきんたまをおまんこに入れた。ばっこん、ばっ
こん、ぐっちゃん、ぐっちゃん、ぶっしゅん、ぶっしゅん、ぺっちゃん、ぺっちゃん、汗
だらけの裸体の摩擦と結合の肉音のみが風呂場に反響するのは麻薬の分泌を増幅させ加速
させた。泥荒も奥さんもからだの深部がくらくらになった。外は夏だった。ぎらついた陽
光がバスルームに窓からさしこんでいる。太陽は昼間の頂点に到来しよとしていた。
あうん、あうん、もっと、もっとついてえ、こわしてえと奥さんは御尻をゆさぶり突き
出す。奥さんは泥荒のピストン運動と連動して腰を激しく動かしている。泥荒は腰を回転
させながら円運動とピストン運動で突きまくる。奥さんは、崩れながら、なかに出さない
でと息声で哀願する。うううきたあ、と泥荒はきんたまをおまんこから抜いた。奥さんは
身震いしながら湯船の底に落ちていった。泥荒は奥さんの乱れた黒髪、脳天に真上から精
液を発射した。乳のような白い精液の玉は黒髪に吸い込まれ、頭皮に浸透していった。奥
さんは麻薬中毒患者のように身震いしていた。そして虚脱の奥底へ沈んでいる。はあはあ
とふたりのからだは呼吸を整えようとしていた。からだはパーティから日常に戻ろうとし
ていた。奥さんと泥荒の汗のしずくはぽたぽたと湯船の底に落ちて、風呂場には祭りの終
焉の音が反響していた。外からは道路で遊ぶ夏休みのこどもたちの声が聞こえてくる。
奥さんは舐めてと哀願した。泥荒は奥さんを起こし、湯船に座らせた。奥さんはまた両
足を開いていった。自分のきんたま入れかき混ぜたおまんこを泥荒は舌で舐めた。それは
祭りの後、女の花園を男がテッシュで拭いてやる行為にも似て、祭典の閉会宣言でもあっ
た。奥さんはうっとりとからだを開いていた。泥荒はただで塗ってやるよと言った。あり
がとう、これでバスルームもきれいになるわ、奥さんが甘ずんだ息の声で言った。外から
また、こどもたちの声が聞こえてきた。くらくらした頭で泥荒は、親方がそろそろ現場に
戻ってくる時間だと危惧した。
脱ぎ捨てたパンツをはき作業ズボンに足を通す、Tシャッツに腕を通す、そして泥荒は
急いで外に出た。再び足場に上った。奥さんは黒髪を指ですいている。指にべっとりとか
らんだ男の乳色の精液を小瓶の口にからませ、底に落としていた。彼女は声を出さず笑い
収集家のように満足していた。泥荒の精液は「新昆類」のエサとなる。その家の二階の小
部屋には、大きなガラスの槽があり、そこには茶色のゴキブリが蠢いていた。彼女は主人
の命令で、若い男の精液を収集していたのである。そこは人間の精液をエサとしてゴキブ
リに食べさせ、新世代を誕生させていく「新昆類」の実験場でもあった。家の主人の名前
は渡辺寛之、彼の職業はコンピュータ開発技術者だった。そして彼は秘密結社に属し、密
かに生物情報体を研究していた。渡辺寛之は、大和朝廷に滅ぼされ、その復讐として平城
京で藤原不比等を暗殺し、下野北部箒川の豊田で坂上田村麻呂将軍を暗殺した鬼怒一族の
末裔だった。ゴキブリが蠢くガラス槽は「新昆類」概念の展開だった。足場に戻った泥荒
は仕事に力が入らず、ペンキとローラーが入った容器を屋根に置き、住宅地を見下ろして
いた。真夏の太陽に肌を焼かれ、ひたすら風を求めていた。
──親方にバレたら、おれは首だろう……
渡辺寛之の妻、真知子は裸体のまま、二階にあがり、白い小皿に、先ほど収集した泥荒
の精液を小瓶から移すと、ゴキブリの棲家であるガラス槽の底に置いた。
「さあ、おまえたちのご飯だよ、人間のエキスをしっかりとお食べ」
真知子は小声で「新昆類」にささやいた。
それから一階に降り、バスルームでシャワーを浴びた。男のエキスと女のエキスが摩擦
で混合され独自の匂いを発するセックス祭りの後の臭覚を洗い流した。バスタオルで水滴
を肌からふき取ると、真知子は寝室の桐タンスの引き出しを開け、洗濯されたパンティと
ブラを身に付けた。彼女は白いTシャッツを着て、薄布の夏用ロングスカートをはいた。
真知子は自家用車のキーをハンドバックに入れ、玄関から外に出た。
「出かけますので、あと、よろしくお願いしますね、冷たい麦茶を魔法瓶に入れ濡縁に置
いときましたから」
サングラスをかけた真知子は何事もなかったように足場に上がっている泥荒に声をかけ
た。泥荒は真知子を恥ずかしそうに見下ろし、ただうなづいた。真知子の胸とくびれた腰
まわりが悩ましく真夏の太陽に反射している。真知子は車庫にあったホンダシビックに乗
り高台の住宅地を降りていった。車が視界から消えるまで見ていた泥荒は、親方に仕事が
遅いと注意されるを怖れ、塗装前の下地つくりのシーラーを壁塗りしていった。
真知子のホンダシビックは新横浜国道を藤沢方面に向かっている。真知子は遊行寺の坂
を降り、藤沢橋交差点を直進して茅ヶ崎方面に車を走らせた。道路は正月二日にいつも行
われる大学駅伝のコースだった。開けた窓から乾いた潮風が踊りこんでくる。海は近かっ
た。真知子は湘南海岸通りに出て、江ノ島方向へと左折した。やがてレストランの「すか
いらーく」の看板が見えてきた。真知子は「すかいらーく」の駐車場入り口に車を進めた。
車を駐車場に止め、外に出ると、海岸道路の歩道には、海水浴の水着姿で若い男女の群れ
が歩いている。鵠沼海岸は太陽の季節だった。真知子は「すかいらーく」の店内に入って
いた。そして待ち合わせている知人を探した。奥に目当ての老人と若い女がいた。老人の
名前は有留源一郎、若い女は彼の弟の娘で十九歳の有留めぐみだった。有留源一郎に育て
られた有留めぐみは、源一郎を、おじいちゃんとよんでいた。
真知子はふたりの前に座り、やってきた店員にアイスティを注文した。店は昼の食事時で
にぎわっていた。有留源一郎はあごヒゲを右手で撫ぜながら、左手でパイプ煙草を持ち、
ゆったりと煙を口から吐き出していた。有留めぐみは海をみていた。真知子は源一郎の娘
だった。有留一族の故郷は広島県広島市安佐北区白木町大字有留、鎌倉寺山の麓にある村
だった。真知子は、有留一族と鬼怒一族との古来からの同盟永続、世代間継承の証として、
鬼怒一族の渡辺寛之と結婚した。有留一族と鬼怒一族は秘密結社として、もうひとつの現
代史に棲息していた。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 05時25分23秒
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小説 新昆類 (10) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
親方は昼前に帰ってきた。足場に上がってきた親方は、泥荒の仕事の進み具合に何も言
わなかったが、顔を不機嫌にしかめた。それを察して泥荒は、すいません、親方、今日は
体の調子が少し悪いもんでと謝った。
「おめぇ、おまんこの匂いがするぞ、昨日の夜、やったな」
親方はしょうがねぇな若いのはという表情で苦笑い顔で言った。泥荒はどきっとして一
瞬凍った。
昼時になって、濡縁で弁当を食っていると、神奈川リフォームの営業マンである、関塚
茂がアイスコヒー缶をふたつもってやってきた。塗り替え外装工事をしている渡辺寛之邸
は、訪問営業による関塚茂が契約したのだった。営業マンは工事管理もしていた。毎日現
場に顔を出し、施主にあいさつをする、施主とのコミュニケーションをうまくやらないと、
必ずクレームやトラブルが発生し、工事終了後に待っている工事代回収がうまくいかなか
った。
「親方、お世話になっています。次の現場、見てもらいましたか?」
「さっき、見てきたよ」親方が関塚に応じた。
「木部が多い現場ですが、よろしくお願いします。奥さん、いらしゃいますか?」
関塚が小指をたて、親方に聞いた。
「さっき、車で出かけたよ、なぁ」親方は泥荒にふった。
「はい」
泥荒は下を向いて弁当を食いながら答えた。親方である前田塗装店にペンキ工として職
を紹介してくれたのは、同じ矢板の出身である関塚茂だった。昼前の出来事が知れると、
大変な問題に発展してしまうと泥荒はびくびくしていた。
「おめぇ、今日、調子が悪そうだな、顔が青いぞ……」
関塚が泥荒に声をかけた。
「昨日、女とやったんだってよ、あんまり寝てねぇんじゃ、ねえか、あっははは」
親方が笑いながら言った。
「チッ、おめぇ、女もいいけどよ、仕事にさしつかえるまでやるなよ」
関塚も笑いながら泥荒に注意した。泥荒は苦笑いをしながら頭をペコペコした。
「それじゃ親方、よろしくお願いします」
関塚は親方に頭を下げると、カバンを持って訪問営業へと歩いていった。
翌日の朝、大雨が降っていた。有留めぐみが住むアパートは小田急線片瀬江ノ島駅から
鵠沼海岸駅方向に歩いていく裏道沿いにあった。それは江ノ島が見える大きな海岸通りの、
ひとつ裏の道だった。車は一車両しか通れなかった。海岸通りにある「すかいらーく」の
裏、住所は藤沢市片瀬海岸三丁目十三番地になる。有留めぐみはアパートのドアを開けた。
隣の部屋に住む関塚茂も丁度、雨の様子を見ようとドアを開けたとこだった。一階の一○
一号室にめぐみ、一○二号室に茂が住んでいた。アパートは二階建て四世帯のセキスイプ
レハブ住宅だった。ふたりは顔を見合わせた。おはようございますと茂が言った。その
声を聞いてからめぐみは、おはようございますと挨拶をした。めぐみはビニールゴミ袋、
ふたつを手に持ち、雨傘を開いた。
「田舎から、おじいちゃんが来ているので、ふたり分のゴミが出ちゃいました、エヘヘ」
可愛い笑顔でめぐみは茂に言った。そして近所のゴミ集積所まで歩いていった。
雨傘をさした群青のジーンズ、めぐみのうしろ姿を見ながら茂は、いいけつしているな
と欲情した。ああいう女学生と一発やれたら、最高だんべよ、バックでガンガン突きまく
るイメージに茂は朝から勃起した。あぁ、仕事なんぞせず、こういう雨の日は朝からおま
んこをやりたいもんだと茂は思った。泥荒もいいもんだな、寝ないで女とやれるなんてよ
と昨日の現場での会話を思い出した。
そうだ、おれもゴミを出さねば・・・だいぶたまってしまったからな、今日は燃えるゴ
ミの日か、茂は部屋に戻った。どうせ今日は一日中雨だから仕事にもならない、そう茂は
ずる休みをする決意をするのだが気持ちの奥底では迷った。雨の日に休むと根性無しと認
定されてしまうのが怖かった。雨の日はお客さんが玄関の外に出てこない。それで営業マ
ンは車の中や公共施設のなかで昼寝をしているのがおちであった。みんな朝に顔を出し、
大声で気合の合唱をしてら訪問営業に飛び出すのだが、雨の日は夕方まで時間をつぶすし
かなかった。
ゴミ袋を持って外に出ると、ちょうどめぐみが帰ってきたところだった。だいぶ、降っ
てきましたね、そう茂はめぐみに声をかけてみた。えぇ、雨の日は憂鬱だわ、そうめぐみ
は茂に笑顔で答えてみた。
「もしよかったら今度飲みに行きませんか? 鵠沼海岸駅通りに『ラ・メール』という面
白い店があるんですよ」
茂はそれとなく、めぐみを誘ってみた。
「あ! その店ならわたし一度、行ったことがあります。素敵な店ですね」
「飲みに来る店のお客さんが面白い人ばっかりなんですよ。今晩どうですか?」
茂は会話のかけひきに押してみた。
「そうですね、行きますか」
めぐみが承諾した。
「じゃあ、夜八時、鵠沼海岸駅での待ち合わせでどうですか?」
茂は約束を取り付けようとした。
「わかりました。行きます。じゃあ、そこで」
あっさりとめぐみが約束に乗ったので、茂は歓喜したが表情には出さなかった。めぐみ
は茂に頭をちょこんと下げ、自分の部屋の玄関に入り、そしてドアを閉めた。
めぐみの表情とからだには十九歳とは思えない色気と人をひきつけてやまないオーラー
があった。いいおんなだ、今日はいい日だと茂は雨のなかを濡れ踊るようにゴミ出しに歩
いていった。憂鬱なずる休みの誘惑などすでに消えていた。茂の体には今日も仕事でがん
ばるぞ、契約をとってみせるぞという気合が生まれていた。夜が楽しみだった。
「おじいちゃん、誘惑に成功したじゃけんね」
めぐみは部屋の中央に座っている有留源一郎に報告した。源一郎は満足そうにうなづい
た。有留一族の目的は「新昆類」のエサとなる男の精液エキスの収集だった。八十年代か
らの世代交配の反復により、二十一世紀には、新たなる新世代のゴキブリが誕生するはず
だった。「新昆類」昆虫情報体である。その開発とは広島がアメリカに原爆を落とされた
怨霊のなせる業でもあった。もうひとつの日本に有留一族は息を潜めて、ひたすら「新昆
類」昆虫情報体の新世代開発に勤しむ長期戦略があった。それはもうひとつの日本で潜水
している進行でもあった。出来事は二十一世紀ゼロ年代の中頃、日本列島各地にある在日
アメリカ軍に向けて、「新昆類」昆虫情報体が放されるはずである。原爆投下への復讐だ
った。秘密結社の棟梁、源一郎はめぐみの部屋で、タンスの上のガラス槽を見ながらゆっ
くりとパイプ煙草をふかしていた。そして彼はお茶をすすった。ガラス槽には、夜、活動
する茶色い昆虫が眠っている。彼にとってそれは沈黙の生物兵器だった。昭和五十七年、
夏の雨、広島原爆記念日はとうに過ぎ、晩夏の匂いがする朝だった。めぐみもアルバイト
に出かけひとり有留源一郎は、海岸通りにある「すかいらーく」裏のアパートで、二十一
世紀を夢想していた。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 05時16分01秒
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