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(回答先: 死霊と死相が漂う、日本文壇政治屋 【石原 慎太郎 2,811,486 票】様への回答 新昆類 (3) 投稿者 愚民党 日時 2007 年 4 月 11 日 22:30:01)
http://plaza.rakuten.co.jp/masiroku/diary/?PageId=3&ctgy=11
2006年11月13日
小説 新昆類 (30) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
文字としての漢字、法律としての律令、学問としての儒教、宗教としての仏教、こうし
た体系的シミュレーションによって、日本イメージの基礎は形成され、部族連合を呪術に
おいてまとめる大王は、天皇として改名され、天皇神学の物語が土着化する戦略は、発動
する。騎馬民族はどこの地においても土着化できる適応能力が高度なのである。
他者が長い時間空間から表層に体系化した制度を、徹底的に学習し、おのれの空間と場
所に自己実現させる。これが国家官僚である。七〇一年「大宝律令」の発布。七一〇年
「平城京」建造、七二〇年「日本書紀」編纂。これらの実現はハイ・テクノロジーたるデ
スクワークとしての事務能力つまり行政能力を私的所有する国家官僚機構が存在しなけれ
ば完成しない。国家とは文明同様に官僚機構のことなのである。
高度情報・高度技術を内部に私的所有する日本への亡命者である百済・新羅・高句麗・
中国官僚と学者、それに亡命してきた戦争部族を組織することによって、藤原不比等は世
界の中心たる中華文明を日本に翻訳し移植した。おそらく「平城京」は中国語・朝鮮語日
本語が世界同時性として進行し、土方である民衆からみれば複合としての多言語的表層に
おいて都市が建設されていった。共通語は漢語であった。
土俗としての自然生成的民衆は人工的なデザインと労働集約によって、突然、変貌した
空間と巨大な大仏像の出現にぶったまげ土肝をぬかれたに違いない。日本の都市とは古代
以来、官僚のデザインによって、ある日突然その人工建築が姿をあらわすのである。ゆえ
に長いものにはまかれなくてはならない、順応主義へと飼育されていく。北条鎌倉幕府が
後醍醐天皇によって転覆されたのは官僚機構が末期の病に犯され、新たなる統治能力を持
った官僚新世代の育成に失敗したからである。
平城京建設という実践的・肉体的知覚の全面的発動、他者との具体的コミュニケーショ
ンという共同作業の時間を、同時体験する行為によって、高度情報・高度技術をもつ内部
ある他者は日本語を学習し、日本民衆を異化し対象化する。土着語でありながら、日本語
とは騎馬民族がもちこんだ言語である。ツーグイース系である。そして日本語は朝鮮南端
において騎馬民族が建設した、馬韓たるカヤ文明に依拠している。
平城京建設の土木作業・建設作業とは、もっとも具体的労働であり、多言語であっても
肉体言語がそれをカバーする。わたしは八十年代後半から90年代前半、NECが外国人研
修生としてコンピュータ製造工場に受け入れた、フィリピン人、韓国人、中国人、タイ人、
バングラデッシュ人、パキスタン人、南アメリカの人といっしょに仕事をしたが、他者と
の実践的交流たる感情のコミュニケーションを実現するのは身体言語による共同身体労働
によることを発見した。
たとえばレイプを別にして、男と女のセックスは、身体的知覚たるセンサーを全面展開
する自己遺伝子と模倣子の愛情訓練である。自己遺伝子と模倣子の学習器官、コミュニケ
ーションの共同肉体労働としてある。他民族でありまったく理解できぬ言語を話す他者と
の実践的交流と学習の場は、男と女のセックスであり結婚だ。民族の交差点であるシルク
ロード・中央アジアやインド洋に接するインド・パキスタン・イラン・イラク・トルコへ
のルート、こうしてインド=ヨーロッパ語の民族は他者と交流し学習し混交されていった。
高度情報・高度技術をもつ他者はおのれの内部をそぎ落とし、日本語を話す女と結婚し
日本に土着化する決意を固める。帰るべき国家はすでに消滅したからである。平城京はみ
ごとに完成し次にとりかかるのは日本語を翻訳し、編集し、日本史記を誕生させることで
ある。各地方土俗王権はすでに国譲りとして武装解除していた。
高度情報・高度編集技術をもつ他者は平城京から日本列島の旅に出発する。これが記紀
神話のヤマトタケルである。広大なユーラシア大陸の旅からすれば、日本列島の旅はそれ
ほど困難ではない。彼らは五年間を旅し、各地方・格農村共同体に伝承されている自然生
成的神話を語り部たちあるいはシャーマンや部族の長老から聞き取り調査取材をし、それ
を翻訳し漢字に記述した。
自然生成の四季を内部にもつ民衆的神話・民衆的想像力・民衆的物語はこうして模倣子
に回収されたのである。高度情報・高度編集技術をもつ他者は、こうして五年間をかけて
日本列島の各地方・各農村共同体から民衆的物語を収集すると、平城京に帰り部屋に閉じ
こもった。重要なのはこの時期、ユーラシア大陸からエジプトの神話伝承まで収集する情
報部隊も存在したということである。
当時、唐帝国はローマ帝国とも交流があった超大国としての世界の中心であり、シルク
ロードによって世界の文献は収集され、漢語に翻訳されていた。藤原不比等は、それらの
文献を盗用すべく唐帝国に情報収集部隊を送りこんでいたのである。
律令制度の確立から平城京という首都の建造は、表層空間への人工的支配意志の表出で
ある。ゆえにそれは建築によって体現される。常識的な官僚機構であれば、外延的拡張を
めざす。しかし藤原不比等と高度情報・高度編集技術をもつ官僚機構がめざしたのは内延
である。天皇制八千年継続への打ち固めである。日本自己遺伝子と模倣子の建設という内
部・深層を人工的に形成する神話史記の捏造であった。これに十年間も部屋に閉じこもり
完成させたのである。驚嘆すべき閉ざされた秘密の部屋で、日本は帝王切開によって誕生
した。外部における戦争に勝利し、日本を制覇したどの戦争部族の将軍でさえ、この生き
神たる内部を亡き者にはできなかったのである。日本で勝利できる方法はただひとつ内部
建設をめぐるイデオロギー戦争である。盲目の哲学者これを発見したのである。70年代か
らインターナショナル国際組織に着手したカルト宗教である池田教の創価学会も内部建設
として、壮絶なイデオロギー戦争をしてきた。いまやこれらの団体は陰謀組織として制度
化され、官僚機構に伝染させたウィルスとなり権力党派として上昇したのである。クーデ
ターを起こした現代の藤原鎌足である。
一九八七年国鉄の民営化はそのクーデターとしてあった。最後の労働運動の牙城であっ
た国鉄労働組合は解体され当時二十万人いた組合員は、二万人と後退させられ、陰謀者山
岸と盲目の哲学者よって「連合」が誕生する。当時、野党にいてこれを全面的にバックア
ップしたのがカルト教の党派である公明党である。この時期官僚機構は国家財政の総力を
あげて批判勢力である過激派壊滅作戦を展開させる。
まさに八十年代とは市民社会のトレンドの裏側では、壮絶なイデオロギー戦争の戦国時
代であったのである。しかし八十年代を勝利したかにみえた官僚機構は、その勝利によっ
て内部を九十年代において瓦解させてしまったのである。なぜか? これまでの日本を制
覇した権力機構のように、天皇制に変わる国家理念とあらたなる内部・深層たる日本史記
を建設できなかったからである。それはつまりバブルという外へ外へのそう状態であった
からだ。だれひとりとして十年間部屋に閉じこもる他者になることができなかったからで
ある。この時期、クーデターを起こした官僚機構と陰謀集団のなかで八千年まで構想力の
魔手をのばす内延を建設できる能力ある人間は皆無であった。高度経済成長戦略を建設し
た官僚でさえ三年間、結核治療病棟のなかで構想を内部建設したのである。
文明とは官僚機構が形成する。「失われた十年間としての九十年代日本文明」とは、八
十年代における官僚機構の内部建設の失敗である。八十年代とは大規模巨大工事として人
工的な日本列島改造への疾走であった。それを官僚機構は不沈空母建設と位置づけた。革
新官僚として敗戦を迎えた宮沢喜一と中曽根康弘はUSAの工作員として、将来の総理大
臣を約束され、自民党代議士になったとする異説がある。官僚機構は宮沢喜一と中曽根康
弘に、まんまとしてやられたのである。かれらが日本を防衛する意識などひとかけらもな
いことは自明となるであろう。そしていまUSAの工作員である自民党と小沢一郎は、ま
すます官僚機構を解体しようとしている。イギリス・USAのニ重帝国であるアングロサ
クソンはすでに一九八五年プラザ裏合意において日本官僚機構を全的滅亡にさせることを
決定した。そのとき、同時にソビエト連邦と東ヨーロッパの解体も決定されていたのであ
った。イギリス情報部主導のもとで。これを世紀末において分析した学者がいた。江藤淳
である。江藤淳は日本文明たる官僚機構が全的滅亡をとげることを予言して絶望のなか自
殺した。フランス・ポストモダンの旗手たる哲学者たちが絶望のうえに孤独に自殺したの
もこの時期であった。陰謀史観ではないが二十一世紀初頭は、アングロサクソンによって、
なにかが仕掛けられているのだ。それは文明をめぐる問題である。ゆえにいま洞察しなく
てはならないのは、民衆の文化ではなく官僚機構の文明なのである。日本で律令制度とい
う最初の官僚制度をつくったのは藤原不比等であった。
なにゆえに、藤原不比等らは「日本書紀」の編集に向かったのか? それは騎馬民族王
権内における、すざましい血と血の権力闘争、こうした残酷な情念をもつ内部を捨てたか
ったのかもしれない。王権内・宮廷で殺し合いを続けていけば騎馬民族の王権は、いずれ
他者によって滅ばされてしまう。そしてこの地はわが故郷ユーラシア大陸の草原ではない。
海に囲まれた島である。
圧倒的な豊かな森林と四季、肥えた土地を開墾し、田畑をつくる労働を美徳とするおだ
やかな農耕民族の島となり、海や山から食物を見つける採集民族の縄文人は北へと追いや
った島。こうした島を永遠に支配するためには何が必要なのか? こうして藤原不比等ら
は支配対象としての民衆を発見し、騎馬民族の内部を捨て、おのれ変貌へと自己変革をめ
ざす。すざましい島への土着化である。もはやかえるべき故郷はない。それはアメリカ大
陸を占領したヨーロッパ民族と同様である。そこに日本とUSAの同期性がある。
日本とは官僚機構たる中国文明・朝鮮文明からの亡命者たちによって建設された、アジ
ア最終の人間たちによる極東の島。ゆえにシルクロード最終の場所。中国・朝鮮から軍団
部族が移住し、百万人の縄文人をジェノサイドとして大量虐殺して奪った島。ゆえに日本
文化の基層は人殺し文化と呼ばれている。日本人とは殺しが好きな民族であり、殺しが動
物的本能の自己遺伝子と模倣子に起動している。戦争なき平和な時代とされていたいた戦
後五十五年間においても、新左翼諸党派においては政治空間の占有をめぐって、一九七〇
年から壮絶な戦争に投入し、それは三十年戦争となった。死者・自殺者はあまりにも多い。
天下を制覇する戦国時代が反復し、再起動していたのだ。アンダーグランドの場所におい
て。明治維新においても最終的に革命党派は長州のみとなった。薩摩は明治政権から追放
されていった。最後に残ったのが大久保利通であるがかれも暗殺されていく。制度が瓦解
したとき帝国市民たるわれわれの社会は溶解する。そのとき市民は殺し合いをやるのであ
る。これが二十一世紀初頭の現代世界に現出してきた日本市民どおうしによる人殺し文化
と呼ばれる。縄文人を虐殺した現代人の自己遺伝子と模倣子が、眠りから覚醒したにすぎ
ない。これを無感知の世紀という。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 02時36分51秒
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小説 新昆類 (31) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
おそらく日本はUSAのごとく武装市民社会へと進展するだろう。おのれの身はおのれ
自身が防衛しなくてはならない。それが人殺し文化への対処方法である。USAの銃・ナ
イフといった武器商人の売り込み先はすでに決定している。それは武装に自覚した日本国
民と呼ばれている。暴力団対策法によって、日本警察官僚機構はかれらの市場を奪い、警
察そのものへ暗闇の利潤があがる制度へと転化した。だがその瞬間に警察上部の腐敗が開
始されたのである。もはや人殺し自己遺伝子と模倣子が再起動した市民社会においては、
市民そのものが無差別な暴力団となるので、警察では対処できない。ゆえにUSAの武装
サービス企業は日本に進出しているのである。日本はUSAにつぐ二番目の犯罪武装世界
市場となるであろう。
そしていま、麻薬世界市場も日本を標的にしている。日本の若い主婦が麻薬の快楽を味
わったからである。麻薬はいま、あるスピードをもって市民に浸透している。
おそろしい人間関係がすざましい表層空間において衝突する政治闘争の連続を体験する
ものは、建設の意志がないかぎり、表層空間によって打倒される。ある人間がある表層空
間において敗北するのは、おのれが投企するその空間が見えざる政治空間へと変貌し、お
のれの内部にデーモンの貌を発見できないことによる。政治とは悪魔のごとき陰謀によっ
て、敵の攻撃能力を不能にすることである。どこまでも政治分析をおのれの都合のよいよ
うに解釈するおめでたい人間は、結果のまえに、表層空間からはじき飛ばされ、立場防衛、
自己絶対化、私的所有としての内部に封鎖され、敗北するのである。
つまり人間の政治とは沈黙のうえに進行するG線上のアリアである。沈黙に耐えられな
いお祭り人間は興奮のあとの幻滅を味わうだけである。政治とはおのれがいる場所ではな
くまったく違う場所で、おのれが怜悧に分析されている、まさに商品のように。まないた
に置かれた魚がいま料理人によって、包丁で切断される、おれの自身がその魚であること
を認識できる空間である。政治とはみえない場所とみえない場所における戦争である。
おめでたいお祭り人間は、おのれのとりまく現状に不断に排気している金魚なのだ。ガ
ラス金魚ケースを擬視している、おそろしい人間の存在を忘れている。われわれ帝国主義
市民とは、つねに悪魔のごときアイによって分析されている金魚である。市民とは、おの
れの他はみんな、くたばればいい、という悪意が全面作動している。その悪意は、けして、
おのれの前にあらわれてこない。あたりまえである。どこにおいても影と裏において飲ま
れているからである。こうして行為はいつも影と裏において商品評価されその影と裏に真
実がある、アンダーグランドとなる。ゆえに古代以来、日本とはアンダーグランドにおい
て出来事が立ち上がる。ゆえにおのれの情報をなにひとつとして流さずすでに商品として
死んでいると思わせることができ、十年間部屋に閉じこもり未来を規定する沈黙のイデオ
ロギー戦争を推進できるかどうかである。これこそ情況主義ではない本来の政治である。
アンダーグランドにとって沈黙こそが実践の場所なのである。
政治闘争の勝利者は、政治敗北者によって自己の位置を確認し、自己展開能力の可能性
を拡張する。建設の意志とその実現はおのれの政治存在が抹殺されるか? それとも生き
残ることができるのか? という非日常の日常、動物的本能である自己遺伝子と模倣子の
存亡をかけた危機的事態により、その一点を死守せよ、という瞬間としての場所を設定す
る。その場所を敵を壊滅し占有せねば、おのれは永遠に後退するみじめいまを幻滅として
味わなければならない、こうして戦略は瞬間においてあらわれる。
陰謀集団である創価学会は司法権力を狙った。いまや最高裁判所にまで創価学会のウィ
ルスは浸透している。いくら池田大作教祖を裁判にかけても、「裁判を起こす権利を乱用
している」「裁判を起こすことで相手に負担を与え、池田名誉会長の社会的評価の低下を
意図したと認められる」として、棄却され、いまや誰も創価学会を相手にした裁判も起こ
せないまでに、ウィルスは司法権力までに浸透している。
これらの陰謀集団による官僚機構への浸入のしかたは、ひとつの文明がウィルスによっ
て犯された事実を示している。創価大学から東大から次々とウィルスは官僚機構と権力機
構に送り出されていく。これが文明の終焉過程に突入した一九七〇年以後の日本であった。
ウィルス装置が起動して三十年間がたっている。いかに固定化されているかは理解できる
だろうか? あなたに?
固定化された官僚機構と権力機構は、いまや農耕民族のものとなった。逆転したのであ
る。古代騎馬民族の戦闘精神はアンダーグランドのものとなった。王権はそこにおいて激
しく起動している。日本とは古代以来常識的なヒューマニズムが通用する場所ではないの
だ。いまや、われわれひとりひとりの市民が、アンダーグランドの過激派として変貌する。
誰もが王をめざしている。これが今日の自己中心的にして自己完結的な人間の大衆的出現
である。日本の男も女も世界一、嫉妬する動物となった。これが商品完成以後の商品堆積
である。商品はおのれの過去をしらない。現在、使用されるのか、使用されないのか、だ
けに集中する「もの」としての機能。ゆえに最大幸福を装う家庭はUSAのように自己武
装しなくてはならない、武装社会が誕生する。三十年間にわたる新左翼での党派戦争はつ
いに、こうして前衛から後衛へ伝播する原理として、大衆社会の生活様式として普遍化す
るのである。戦争から平時へと特異進化するのがウィルスの自己遺伝子と模倣子の正体で
あった。ゆえにウィルス原論なのである。二十一世紀初頭の大衆社会とは、ついに大衆ひ
とりひとりが武装するUSAの世界標準となるのだ。またしても。これがグローバリゼー
ションと呼ばれる。王こそはあなただ!まさにレミングであり寺山修司資本論が。救いは
寺山修司想像力論しかないという、場所まで、追い詰められている。
自己遺伝子と模倣子、その動物的本能の動物的本能が弱く武装解除するおめでたい政治
者は自壊し敗退する。なぜなら彼はむきだしの激烈な表層空間を理解できなかったのであ
る。おそるべき人間関係の内部へと回収され、人間の影と裏をみる不信の部屋にどじこめ
られたた政治闘争の敗残者は、もはや肉体的精神的自己崩壊をまつしかない。
ゆえにわれわれ市民が政治闘争のむきだしの空間にまぎれこんではならない。感受性を
もちおのれが王だと自己完結している市民は深傷を負うだろう。われわれ市民は、ひたす
ら生活のみの安定をめざすべきである。くそをして、めしをくって、セックスする、こど
もをそだて、マイホームの最大幸福をめざし、貯金をして、PC文化生活と消費生活向上
のみをめざすべきである。おのれにとって、違う世界は嫌悪すべきである。市民はひたす
ら、影と裏で評論すればいいのである。
われわれ市民とは日常としての肛門との対話で、いそがしいのだから。そしてわれわれ
市民は、こうして資本主義のおかげで、自己中心となった動物へと、おかげさまで、みご
とに進化したのだから、個人によりかかり、個人を食いつぶすば、いい狼へと変貌したの
である。われわれ市民はもはや人間ではない、奇獣へと、同期化したのである。
だから現在、思想が考察すべきは人間ではなく、非人間である。メディア商品によって
消費するものこそ、商品誕生の秘密であり、奇獣なのである。奇獣による全体主義こそ、
現在の民主主義である。そこでは、誰でもおなじように感じ、おなじようにかんがえ、お
なじように行動し、おなじように生活し、おなじ時間をおくる同期化の完成である。ゆえ
に携帯電話は同期順応社会への形態となる。こうして奇獣人間は、もはや同類は不信にと
ってかわり、資本主義以後の資本主義世界たる溶解現象が現出する。もはや人間とは奇獣
人間に愛好玩具とされてしまい、奇獣人間はロボットしか信用しなくなってしまった。
しかし、奇獣人間はおのれを絶対に裏切らないと思いこんでいる、ロボットがウィルス
に侵犯されていることを、認めようとしないのである。ちょうど、最後の人間たる日本人
と呼ばれた人々が、おのれがアジア民衆二千万人を第二次世界大戦で大量虐殺した、人殺
し民族の事実を過去から消却したように。またしてもあのウィルスたる奇獣が日本で誕生
したのは、一九八七年、NTTの民営分割化の時である。まさに電話回線その通信産業か
ら幾人もの奇獣人間が誕生したのである。あのときからすでに十四年が経過した。奇獣人
間の奇獣本能である自己遺伝子と模倣子は、特異的現出により、その遺伝子と模倣子は、
おそらく通信という電話回線によって、書き換えられたのであろう。
その奇獣人間の基幹産業たるNTTと警察上部機構の謀議によって誕生したのが昨年、
国会で成立した盗聴法である。もはや、あなたの電話回線・通信回線は、NTTの奇獣人
間によって盗聴されているのである。この奇獣人間はすでに銀行に誕生した貨幣の奇獣人
間とも謀議している。つまり、あなたの銀行口座は、貨幣奇獣人間と通信奇獣人間の商品
情報となり、USAの世界企業に販売されている。一九九九年にネットワークで流された、
警察庁公安警察の住所録はもちろんUSAにも流れたのだが、実はNTTの奇獣人間より
の警察庁への恫喝であった。盗聴法成立を急いでいたのはNTTの側であったのである。
盗聴法の成立で、NTTは国民個人情報を特異的商品へと完成させたのである。
現在、この個人情報は、さまざまな世界企業に販売されている。これが資本主義の動物
期である。資本主義とは、なんでも商品化することが、商品の商品への商品のための自己
運動である。その最終商品こそ、あなた! 個人はこうして商品となった。あなたの子供
が小学校に入学する時期は、すでにあなたの家庭情報は、教育産業によって買われいるの
で、さまざまな企業から教育商品の販売勧誘が攻勢されてくる。もはや家庭のプライバシ
ーなど存在していない、家庭といえでも商品として資本主義の社会市場となっているので
ある。それをすでにあなたは子供の七五三のお祝いのとき体験したではないか。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 02時29分40秒
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小説 新昆類 (32) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
子供もすでに資本主義の世界市場に存在していたのである。子供は消費の王であり女王
なのである。「あなたは、こどもの向上心を奪ってしまうのですか?」こうして親は販売
企業に日々恫喝され、いつのまにか子供を商品消費の王と女王に押し上げるのである。こ
うして親は子供の奴隷となる。現代資本主義は子供を奇獣とさせる。人間はロボットによ
って代行できるからである。高度成長以前であれば、農家においても労働者であっても、
基本は自給自足であった。資本主義は、人間が、自分で“もの”をつくるという行為その
ものを壊滅する、すべてを商品づけにして借金づけにするのが資本主義の動物的本能であ
る自己遺伝子と模倣子である。人間は「商品生成=消費」の回路であるメディアへと変貌
させるのが、資本主義の商品による商品への自己運動である。そこにおいては、もはや、
親は子供に教育できない。なぜなら、親自身が、すでにこの資本主義システム暴走の労働
力商品であるから、自分の言葉など、忘れてしまったか、職場で生きのびるため、消却し
たのである。
こうして家庭とはつぎなる資本主義を担う兵士を養育する生産工程としての現代的工場
制度に組み込まれる。そして子供は家庭の王と王女であり、親はその奴隷となる。「商品
生成=消費」の矛盾はすべて、国民総背番号で管理情報データー化された固有の家庭が背
負い込む。こうして家庭とは修羅と地獄めぐりの資本主義神曲と変貌する。そこでは、神
と怪獣と奇獣と人間が同期し競合した、ギリシア神話の戦争現場へと転化するのである。
恥かしい地獄生産家庭はけして、おもてにあらわれない。こうして、いつも明るい資本
主義「商品生成=消費」はいつも、安定したシステムとなる。資本主義とはきれいなマン
ション・ビルの回廊に、うんこをしながら、くそ逃げしていく自己運動である。ある朝、
マンションに住む、お父さんが、会社に出かけ、ドアをあけたら、「うんこ」が悪臭をは
なっている。「誰かのいたずらだ!」とお父さんは疑惑に満ちる。
「もしかしたら、会社の競争相手の仕業だ、ちくしょうめ!」
「おまえ、この、うんこ、かたずけておけ!」
と奥さんに怒鳴るのである。こうして、いつも最後に資本主義の処理として掃除をやら
されるのは主婦労働と呼ばれている。
資本主義の原理原則は「商品生成=消費」である。この原理原則が崩れると資本主義国
家そのものが自壊をとげる。ゆえに現在、日本国家は六六〇億兆円の天文学的な借金をし
ても「商品生成=消費」の原理原則を防衛しなくてはならないばかりでなく、国民である
市民ひとりひとりにも借金生活様式を、自分に似た姿で同期化する。いまや学生はひたす
らカード借金をして、消費生活を謳歌している奇獣と再編された。日本発の世界大恐慌を
発動させてはならぬとする、世界資本主義市場の要請だからである。19世紀とは資本主
義の幼年期であったが、二十世紀は動物期であった。21世紀とは資本主義がいよいよギ
リシア神話の神奇獣期として拡張していくであろう。
いまや六十年代から起動した高度経済成長以前の時間は喪失した。ゆえに、あまりに人
間的な人は「日本文明の全的滅亡の絶望」によって殺されてしまう。八十年代、大学と大
学における壮絶な権力闘争が上部機構では利権をめぐって密室の謀議として展開されてい
た。おのれの大学出身者から総理大臣を現出させることは、大学の自己展開能力が飛躍す
る。現代日本は陰謀史観によって規定されている。その陰謀こそは、上部機構を固定化し
た。もはプロレタリアートは制度と階層を固定する階級となった。土地と家・私有財産を
もったプロレタリアートとはすでに、革命の階級ではなく、おのれの私有財産を防衛する
反動階級となる。反動とは変革という流動を許さない保守階級。
これが日本労働運動の最終であり最後の獲得実現であった。プロレタリアートの私有財
産防衛のために、それまでの日本労働運動の司令塔であった総評を、売って、「連合」を
結成した。御茶ノ水にあった、巨大な総評ビルは、陰謀家が、私的所有した、まさに労働
貴族と労働官僚による陰謀による歴史の奪還こそが、一九八七年のクーデーターであった。
山岸とはまさに、いまやネット・ストーカーという奇獣人間を現出しているNTTの労働
組合の会長であった人物で、いまも謀議の中心人物として、再起動している。まさに八十
年代の日本とは上部世界と地下世界であるアンダーグランドにおいて、生きるか死ぬかの
壮絶な戦争が展開されていた。陰謀に敗北した国鉄労働組合の労働者は多くの自殺者をだ
し、ついに現在、政党の介入により屈服されてしまった。その水先案内人こそ一九九五年
の総理大臣であった、旧社会党の親分であった村山である。日本社会党は一九七〇年にお
いて帝国主義社会党へと、すでに変貌していた。上部においても下部においても労働界に
おいてもNTTにおいてもウィルスは起動する。
ウィルスは奇獣人間を現出させながら、現在、ホンダとソニーが商品として発売したロ
ボットへと、侵攻を開始した。コンピュータ・ウィルスからロボット・ウィルスへと、変
貌につぐ変貌があらわれるとき人類史は、いよいよ奇獣史へと転換されるであろう。もは
や人間とは類的存在ではない。類的存在とは19世紀・啓蒙哲学とロマン主義の言葉であ
る。いまや人間とは奇獣なのである。あなたはNTTから誕生したネット・ストーカーで
ある奇獣人間から、おのれ自身を防衛できるだろうか?一九九四年においてはパソコン通
信会社であった、ニフティとNECの会社員IDとパスワードが、NTT奇獣人間によっ
て盗まれたのである。日本電気通信産業が陰謀によって誕生させた奇獣人間の世紀こそ2
1世紀初頭である。
盗聴法と国民総背番号の成立によって、日本電気通信産業は、莫大な国家予算を、分捕
ることに成功したのであり、そのために自民党を飼育しているのである。そして、あなた
の情報は毎日更新され、電話回線から盗まれている、いまですよ。これが二十一世紀初頭
における資本主義、つまり奇獣と盗賊人が全面展開できる、世界市場へと輝かしく発展し
た、グローバリゼーションである。IT革命ではなくIT反革命としてのウィルスこそ、
考察する対象。ウィルス原論が必須として、いま、市民からもとめられている。
「日本書紀」はこうしたわれわれ市民により、編集されたのではない。王権内のゲバル
ト的非日常というおそるべき人間関係としての政治闘争をくぐりぬけ、自己遺伝子と模倣
子の動物的本能という、おそるべき人間関係としての政治闘争をくぐりぬけた建設者によ
って「日本書紀」は誕生した。
表層空間をわがものにするのは建築者と政治闘争者と演劇人である。彼らは自然生成的
感受性を表出するのではない。彼らはおのれの構成力によって表層空間を占有する。演劇
と政治は現在という時間と空間にエネルギーを投入し、身体言語によって他者のイミテー
ションを規定する行為である。
さらに政治は人間の悪意的様相をもっとも現出するきわめて人間的な行為である。すな
わち、いかに敵と競争者を落としこめ、叩きつぶすかに、政治行為者の日常はあり、内部
は不断にゲームのシミュレーションを展開している。空間を構成し流動的な他者の行為を
予測し推論しつつ決定する闘争である。政治とはまさに密室の謀議であり、それゆえに情
報スパイは古代から政治闘争の重要な役割を担っていた。天皇制が古代から今日まで継承
できたのは、情報戦争に勝利してきたからである。
現代では、あなたがご存知のように、警察情報スパイ機構と自衛隊情報スパイ機構を統
合しているのは、内閣調査室である。あなたが毎日コンビニで支払っている税金から、内
閣機密費として、毎年五六億円の予算がくんである。公安警察が革命家を情報スパイへと
誘導し、やがて中央委員会に送り出し、警察の都合のよい革命方針を中央委員会指令とし
て発動させるのである。一番犠牲になるのは、いつも末端で真剣にまじめに活動する民衆
活動家であった。戦前の公安警察もほとんどスパイによって運営されていた中央委員会に
よる銀行襲撃方針により、民衆支持基盤を壊滅することにより、日本共産党を壊滅したの
である。本当は当時の公安警察としては、国家予算の獲得のために日本共産党中央委員会
を保存しておきたかったのだが、宮本顕治による死力を尽くした中央委員会スパイ摘発に
より、やむなく、壊滅としたのである。このときのスパイ査問で、スパイは恐怖におびえ、
おのれ自身による心臓発作で死亡した。スパイ摘発こそ日本革命運動の革命的伝統である。
六十年代後半から七十年代前半、日本共産党に指導された日本民主青年同盟は全国二十
万人いたが、いまや二万人である。この減少はまさに公安警察による。関西・愛知・関東
と、県委員長クラスが公安警察スパイへと誘導されてしまったからである。まさに内閣機
密費である五十六億円の効用であろう。外務省機密費とこの内閣機密費の存在をリークし
たのは、USA・CIAである。九七年橋本政権時、日本内閣と外務省の電話がCIAに
よって盗聴されていた事実は有名である。そのときすでに、CIAはこの機密費の存在を
しり、どうスキャンダル・ニュースにするか計画していた。二十世紀から二十一世紀初頭
とは、映画007でも有名なイギリス情報部とCIAが暗躍できるアングロサクソンの世
紀である。帝国はおのれの姿にあわせて世界を構築する、それが世界標準化である。現在、
天皇制が苦しいのは、イギリスもUSAも、もう、王朝はイギリス王朝だけ残せばいいの
ではないか、と検討していることである。世界標準化のために、天皇制は淘汰されなくて
はならい、と。二十一世紀初頭は日本による侵略戦争犯罪が世界的問題となるであろう。
中国においても七二年日本に対する「戦争賠償金請求放棄」の是非をめぐって、現在紅衛
兵世代によって検討されている。あの香港をイギリスから百年かけて取り戻した中国とは
五千年以来の原理・原則の中華思想による国家なのである。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 02時19分40秒
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小説 新昆類 (33) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
六四五年の「大化の改新」から七二〇年「日本書紀」までの表層としての政治空間は不
均衡であり、流動化する危機的情況が連続的に動いている。王権内ゲバルト闘争と7世紀、
東アジアの衝突。古代以来、東アジアの中心はユーラシア大陸中華としての広大な中国の
政治闘争であり、この中華動物的本能である自己遺伝子と模倣子から独自的政治l空間を
防衛し、主体を形成せんとする周辺王権の政治闘争によって流動化してきた。
ベトナム自己遺伝子と模倣子、朝鮮自己遺伝子と模倣子、日本自己遺伝子と模倣子は中
華に規定されながらも、これにくらいつくされるのではなく、反発し、独自的な自己遺伝
子と模倣子を建設の意志として形成してきた。ゆえに強いのである。ある学者によれば資
本主義生産様式と歴史的生産蓄積から言えば、いずれUSAと日本は時期がづれるにせよ、
戦争をしたであろうと定性されている。朝鮮戦争においてもUSAは勝利することができ
ず、中途で戦略を停止して、マッカーサー将軍をその責任をとる形で解任したのである。
ベトナムにおいては、USA侵略軍は完全に敗北した。その歴史的生産蓄積こそ古代以来
の中国との対峙である。ベトナム・朝鮮という場所は一時的後退があろうと、帝国が植民
地できる場所でないことを、帝国軍創設者山県有朋は甘くみた。そして伊藤博文の上昇す
る人生は朝鮮において地獄へとたたきおとされた。
朝鮮・韓自己遺伝子と模倣子の場合は、中華自己遺伝子と模倣子、そして日本自己遺伝
子と模倣子におびやかされることにより、おのれの主体を意識せざるえない情熱的な自己
遺伝子と模倣子として形成される。たとえば現在、韓国の国旗である太極旗は、ある時間
の極が到来すると逆転するというパラムの円環である。それは他の自己遺伝子と模倣子に
よって、ある時間が支配されたとしても、その時間が極に達すると逆転し、おのれの自己
遺伝子と模倣子の道が開けるとする風の思想である。そこに草原から発声した騎馬民族の
においがする。遊牧騎馬民族のシンボルは古代ローマ帝国にしても、中世モンゴル帝国に
しても、近代オスマン・トルコ帝国にしてもシンボルは狼である。狼とはつまり風の思想。
六〇〇年代という七世紀の東アジアの表層空間に激突する部族の政治闘争こそが、総体
としての韓・朝鮮自己遺伝子と模倣子、総体としての日本自己遺伝子と模倣子を誕生せし
めた。特に最大要因は、朝鮮半島南部を戦場とした、唐・新羅連合軍と百済・日本連合軍
との海上・陸上にわたる全面戦争である。そして、高句麗・新羅・百済によるどの自己遺
伝子と模倣子が未来に継承できるかをめぐる壮絶な戦争は、そのまま、日本にも、波及す
る。百済と同期化を図った曽我一族執権の転覆は百済王権内の権力闘争が日本で勃発した
「大化の改新」である。このとき現出したのがやがて藤原執権王朝の祖である、藤原鎌足
である。かれは騎馬民族のシャーマンである神官であった。百済王権の内紛を弱点として、
攻めたのが唐帝国と同盟を結んだ新羅であった。
六六〇年日本の王権は百済に援軍を派兵することに決定する。もともと日本とは馬韓か
ら誕生し、馬韓は百済へと統合されたのだから、この時の百済と日本は同期上に存立して
いた。翌年六六一年には、司令部もかねる政治の中心地を北九州の朝倉宮に移す。総力を
あげての戦時体制である。しかし六六三年に百済・日本連合軍は白村江戦において大敗す
る。こうして百済は消滅した。百済の全官僚機構は日本へ亡命する。
六六七年北九州から近江へ政治の中心を移動させる。敗戦処理である。「日本書紀」に
はこの白村江戦敗走から近江遷都までの4年間、全く記録されていない。論理と物語はす
ざましい表層空間の激突、それによるおそるべき人間関係がもたらす敗北の地獄編を記述
することができず、沈黙する。内部と深層とするためには言語化されなくてはならないの
だが、表層空間の激突とは人間の想像力を不断に超越するからである。人間は対象化でき
ぬ出来事は言語水準によって記述できない。わたしが、現在、一九七〇年を記述できるの
は三十年間、表層空間の激突で鍛えられたからである。論理と物語が沈黙した表層の出来
事は、その後の時代をウィルスとして内部と深層に侵入する。出来事とはウィルスである。
民衆存在が記述されるのは古代から決定されている。生産力と労働力としてのみ、台帳
に記述される記号である。民衆の物語と時間は民衆から詩人が誕生しないかぎり記述され
ない。現在としての表層空間に登場する人物こそが、自己遺伝子と模倣子である。「偶然
はあまりに必然だった」これが模倣子。表層空間との関係項としての模倣子の存在はいず
れあきらかになるであろう。いまは、七世紀にもどろうではないか。
戦争とは終戦から開始されると言われている。つまり表層空間の激突は内部・深層へと
はいりこむ。そこから戦争の経験は起動するのである。それが第二次世界大戦後の五十五
年間の内容であろう。ゆえに出来事はなんらかの形態として戦争との関係項にある。神田
の古本屋で「日本戦争論」を買って読んだ。侵略戦争時に発行された本で、ほとんど、エ
ンゲルスとクラウゼヴィッツの自己解釈であった。戦争とはおのれの一点をいかに防御し、
敵の戦闘力を壊滅するかにある、この原点が思想として把握されていない。中国戦線にお
いて毛沢東持久戦によって日本陸軍はゆえに敗北したのである。七十年代新左翼の党派戦
争によってクラウゼヴィッツ「戦争論」は、実践と現場において対象化された。
わたしは七十年代から八十年代「戦争論」は何回も読了した。あの岩波文庫は、赤線、
緑線青線、黒線とアンダーライインがかさなって引いてある、それほど主体化しなければ、
八十年代は生きてこれなかった。二十一世紀初頭とは二十世紀崩壊の表土喪失が内部・深
層に入り込んだ、アンダーグランド展開として侵攻する。アンダーグランドこそ、明るい
「商品生成=消費」が消却した、記述されなかった時間・実践と場所である。
表層空間と人間関係の激突は空間の不均衡をもたらす。政治者はこの激流にのまれまい
と抗する。その場合、二通りのタイプが現出する。建築の意志と強靭な精神力を政治空間
の激流によって、わが面を洗いおのれの骨格を目的意志的に形成せんとする政治者のタイ
プ。もうひとつのタイプは自然生成的タイプである。この場合、政治空間の激流は不断に
おのれの都合によって解釈され、表層はおのれの内部の延長と錯覚する。表層が均衡し安
定している場合は、この種の自然生成的タイプの政治者は生き延びることができるが、表
層が不均衡で政治空間が激流化しているときは敗北する。
表層とはあらゆる人間の内部が行為として、表出する空間である。建築の意志を強靭な
精神力で支える政治者は、こうした動きを予測しシミュレーションする。推論構築力と想
像力が武器となる。囲碁・将棋とはシミュレーション・ゲームであり、相手の戦法の動き
と精神的諸力のゆらは、重要な推察対象となり、読む行為とは解釈のためでは
なく、おのれが打つ次の手のためにある。
総力をあげて戦った白村江戦争の敗戦は、ときの王権基盤を動揺させたに違いない。こ
の戦争計画決定者であった天智政権は、対馬、九州北部の砦を強化しながら、内部を建設
していった。戦争とは攻撃よりも防御である。防御とは戦争を通して、戦争を遂行できる
組織建設。ゆえに野球でも守りが重要となる。いかに敵の攻撃を封じ込めるかが武装の第
一条件となる。その機構を推進したのは百済官僚機構であった。強力な「唐帝国」という
他者を、彼らは肉体・身体的知覚ににって、敗戦から学習した。
万葉集にあらわれる、よみ人知らず防人の歌の表層空間とは、一方においてユーラシア
大陸をみすえる非日常としての日常があり、他方においてこの非日常から喪失した故郷の
日常を思うおのれがいる。詩人とは情を深め歌を発生させる。重要なのはおのれの感受性
を文字に表記する行為は、中華文明から漢字の移植なしには成立しなかったということで
ある。文字をわがものとすることによって、われわれは詩と物語を誕生させることが可能
となる。だがすでに私的所有としての内部になった以上、おのれの喪失した過去は、この
島では沈黙し永遠に掘り返されることがない、深層へと埋められなくてならない。
自然生成的な音声文字は、空間に交差する人間関係の出来事、あるいは神と人間との関
係として、空間の音が内部となる。それに対し形象文字はある対象の形とイメージが内部
となる。きわめて人間の人工的構成の建築的な情念がすでに歴史として漢字の内部にはあ
る。漢字には文字をつくる職人が存在していた。それゆえに形象文字なのだ。モンタージ
ュ言語としての漢字は、それまでの王朝の私的所有であったが、7世紀の日本にある一定
のスピードをもって浸透していったと思われる。高度情報・高度技術を持った他者の参入
によって。
「白村江敗戦後」天智政権は、近江の遷都をはたし、日本最初の課税の台帳と、人民の
身分を確定する氏姓の台帳づくりとしての戸籍制度を導入する。人民支配の基礎を確定せ
んとしたのである。
対外戦争の敗北から、天智政権が学習したことは、強力な内部形成としての内政であろ
う。それまでの自然生成的人民支配から、台帳記入によって人民の表層空間としての生活
を支配する革命的な方法は、もちろん高度情報・高度技術をもつ官僚の存在なしににはあ
りえない。百済からの政治亡命者と王権参入と、軍団部族による地方への国造り部として
の東部開拓によって、台帳記入人民支配方法は可能になったと思える。USAは西部開拓
であり、南北戦争であったが、それと同期としてある、日本は東部東北開拓であり、西日
本と東日本の戦争である。USAの北部と南部の風土が違うように、日本は西と東の風土
は違う。朝鮮・韓国においても、高句麗・新羅・百済の風土は今日まで差異として継承さ
れている。
すでに前世紀から、中国・エジプト・ギリシア・ローマ、そして朝鮮三国はこのような
台帳記入による人民支配を確立し、国家を形成していた。国家の基礎とは課税の台帳記入
であり、支配する人民の氏姓と家族、および奴隷の数を明らかにする台帳記入である。そ
れを担う官僚は生成する。七世紀の日本は中国と二千年の落差があった。他者によっ
て、その落差を学習した天智政権は、国家政治の中心としての首都を形成し、次にその首
都から全国に命令を下す基礎としての人民台帳をつくった。律令制度への胎動。行政官僚
機構の誕生。国家宗教である仏教の各地に建設した国分寺。それらの参謀こそが藤原鎌足
であった。官僚機構による日本文明はこうして誕生した。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 02時12分52秒
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小説 新昆類 (34−1) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
推古女王・聖徳太子時代の執権であった曽我一族によって百済仏教は急激に取り入れら
れ、上からの革命を推進したの曽我入鹿であったが、天智と鎌足によるクーデータで、曽
我一族は抹殺されるのだが、曽我一族の政策は「大化の改新」としてより貫徹されたこと
は、明治維新が徳川幕府末期の「開国」政策を貫徹したのと同期である。
天智大王が六七一年に死亡すると、翌年すぐさま「壬甲乱」とよぶ、内戦が現出した。
王位継承をめぐる内戦である。王の兄弟や王の息子たちが、王位継承をぐって、王権内
権力闘争を現出するのは、ヨーロッパ史をみても同期している。ある王朝内部の権力闘争
こそが、その王朝の臣下にすぎない部族長を学習させ、その王朝内部権力の弱体をねらっ
て、王を殺す。王を殺した部族長はその王朝の血統を切断し、まったく異質な王として多
部族におのれを認めさせおのれの王朝をひらく。これが権力政治闘争の常識なのだ。ただ
しこの常識は血統が重要となる父権王朝の場合であるが、血の戦いが臨界点に達し極度の
不均衡になると女王が誕生する。それが天武大王死後の六九〇年、持統天皇である。持統
天皇女王の執権が、天武大王の魔手から、シャーマンたちに命を守られた鎌足の子、藤原
不比等であった。藤原とは藤が国土に広がるという意味であり、藤原一族は平城京から平
安京への支配貴族へとのし上がっていく。不比等とは不死鳥の意味。その一族は昭和の近
衛内閣であり、九三年の細川内閣まで、血統は継承してきた。まさに天皇制と同期してき
た。
「壬甲乱」の内戦において、新羅の王子であった大海人王子は、天智大王の息子である
大友王子を敗北させる。大海人王子は東へ開拓団として移住した戦闘部族を組織した。勝
利した彼は六七三年「天武」として大王の地位を剥奪する。天智大王が学習したことは、
王位継承をめぐる血のすざましい内部権力闘争を続けていけば、いずれわが王朝は滅亡す
るという危機意識である。彼は朝鮮半島における、唐・新羅同盟軍と百済・日本連合軍と
の総力戦を戦争指揮し、その敗北による打撃を経験した。その敗戦から、内部たる国家建
設に尽力し、おれの息子へ継承しようとしたが、天武によって転覆されてしまった。この
七世紀は、謎の四世紀、魏志倭人伝にある記述、壮絶な倭人による内戦を反復した。まさ
に騎馬民族部族による大王をめぐる内戦であった。天智大王は、これら血の闘争の歴史で
あった「倭」(やまと)の過去を消却し、あらたな「日本」を対外的に誕生させる方向感
覚に向かった。日本とは戦国時代が周期的に反復し、そこから女王が安定させていくので
ある。徳川家康は戦国の女たちの願いから誕生した。
ある政治共同体はおのれが参入し投企した政治闘争や戦争の、敗北・敗走の処理と総括
をめぐって分裂する。その反対に勝利した軍の政治共同体はより一層団結する。なぜなら
敵の敗北という表層空間によって、おのれの強い内部を力として確認でき、おのれの可能
としての空間が拡大するからである。しかし勝利した側のシステムが衰退期に没入してい
るのであれば、逆にその勝利によっておのれを自身を喪失してしまい、システムは固定化
していく。その結果、やがて政治共同体の内部は自壊し、現在から漂流していく。
七世紀の日本とは、まさに朝鮮半島の高句麗・新羅・百済による国家消滅をかけた三国
戦争に規定された戦国時代であった。ここから八世紀初頭に日本は誕生したのである。そ
れが「古事記」であり「日本書紀」である。官僚機構による日本文明と日本歴史の誕生で
ある。千二百年がたち、時間は千支臨界点である。ゆえに天皇制の時間は終わろうとし
ているのである。あらたなる日本文明と歴史が誕生するのかどうか、それが、二〇〇一年
に死者たちから問われている内容である。この革命たる維新に失敗すれば、日本はもはや
国家消滅という百済・新羅・高句麗の運命をたどることは間違いない。ゆえに民衆の文化
ではなく官僚機構の文明こそが、総括される必要があり、制度疲労として官僚機構の腐敗
が元文明の衰退として現出しているのである。
ヨーロッパに学ぶのは、近代の罪悪としての進歩制度ではなく、ウィルスなのである。
ウィルスとの死闘こそ学ぶ必要がある。それは近代人間を現出したルネサンスではなくル
ネサンスを準備したヨーロッパ中世におけるウィルスとの死闘からである。そこから人間
とは生き物であることが再度、あたらしい人間像として定性される。
そして、アメリカ合衆国USAは、その誕生から検討されなくてはならない。その解明
による自壊によって、おのれはUSAから離脱でき、世界イメージの再構築が可能的現在
となるのである。理論は制度によっておのれの内部と深層に刷り込まれ書きこまれた映像
と表層を自壊するためにある。理論はおのれを不自由に縛る奴隷の足かせを切断すること
にある。これが場所と実践である。理論とは時間の経験である。
現在の言説とは、宇宙に飛び立った人間が宇宙船内で、データー記録として、呼び出す
ことができる内容であるか、ということである。本物の力を内在した記録は、生き残るこ
とができるだろう。わたしは、そのために昨年の十二月末からタイピングしてきた。テキ
ストは一九九二年に手書きでファクス原稿用紙にかいたものである。さすがに、遅々とし
てすすまなっかた。それは手書きテキストがエネルギーがあったからである。九二年当時
はいつか、印刷して発行しようと思って書いたのだが、こうして、八年後に鬼怒一族と有
留一族のインターネット秘密サイト「ディアラ・原光景」に掲載になるとは予想していな
かった。これがテキストの力である。
最終更新日 2006年11月14日 02時07分01秒
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小説 新昆類 (34−2) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
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うわさによれば、天皇(孝明天皇)は天然痘にかかって死んだということだが、
数年後、その間の消息によく通じているある日本人がわたしに確言したところによれば、
天皇は毒殺されたのだという。
この天皇は、外国人にたいしていかなる譲歩をおこなうことにも、断固として反対して
きた。そこで、来るべき幕府の崩壊によって朝廷がいやおうなしに西欧諸国と直接の関
係に入らざるをえなくなることを予見したひとびとによって、片付けられたというので
ある。
-------------------アーネスト・サトウ 【一外交官が見た明治維新】上
兵庫開港の攻防をめぐって、孝明天皇は暗殺されたのではないかと自分は思う。
イギリスが突きつけていたのは、日本列島の総開港であり市場開放であった。
資本主義の交易のためには、日本の幕藩体制は破壊される必要があった。
アーネスト・サトウは横浜で発行されていた英字新聞(ジャパン・タイムズ)に
幕府を廃棄し天皇を中心とした政治体制のシステム革命論を発表する。
これは日本語に訳され、日本の書店で売られていく。
イギリスは明治維新政治体制構想力に関わっている。
戦争とは交通関係でもある。
イギリスは薩摩と長州の戦争を通じて、薩摩人と長州人が好きなった。
世襲制度の末期にあった徳川幕府の政治家よりも、薩摩人と長州人に期待を寄せた。
イギリス人は魚を食べ、何でも食べるから世界帝国になった。
アーネスト・サトウも日本食を食べ日本酒を呑み、日本の作法を徹底的に実践で習得
する。各藩の人間と宴会をやり芸者を呼び、徹底して交流していく。芝居小屋にもい
く。
イギリスが幕府に突きつける要求は、現在日本が、米国政府から「年度要望改革書」で
突きつけられている情況と同じだ。
-------------------------------------------------------------------
日本の下層階級は支配されることを大いに好み、機能をもって臨む者には相手がだれで
あろうと容易に服従する。ことにその背後に武力がありそうに思われる場合は、それが
著しいのである。伊藤(伊藤博文)には、英語を話せるという大きな利点があった。こ
れは当時の日本人、ことに政治運動に関係している人間の場合には、きわめてまれにし
か見られなかった教養であった。もしも両刀階級(武士)の者をこの日本から追い払う
ことができたら、この国の人民には服従の習慣があるのであるから、外国人でも日本の
統治はさして困難ではなかったろう。
だが外国人が日本を統治するとなれば、外国人はみな日本語を話し、また日本語を書か
なくてはならぬ。
------------------アーネスト・サトウ 【一外交官が見た明治維新】下
アーネスト・サトウ
【一外交官が見た明治維新】【上・下】 訳/ 坂田精一 岩波文庫 1960年発行
二十一世紀現在の日本と明治維新はリンクしている。アーネスト・サトウはイギリス
帝国の情報機関工作員であった。アーネスト・サトウがつくりあげた日本近代のWINDOWS
OS、基本プログラムによって、クーデター明治維新の革命は成就した。アーネスト・
サトウこそ恐るべきアングロサクソンの他者学習能力の具現プログラム起動を体現して
いる。アヘン戦争によって中国はイギリスの半植民地となった。日本はプログラムによ
ってイギリス帝国の代理機関、東アジア侵略戦争立国へと変貌していった。その代償は、
アングロサクソン二重帝国、アメリカよりの、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下だった。
わたしは、七十年代、八十年代、九十年代、現在の上部機構システム成員による、現場
歴史たる事実の消却を、けしてうのみにはしない。そう、わたしたちはアンダーグランド
の蝦夷なのだ。鬼怒一族は古代、大和朝廷軍によって高原山を追われて以来、各地の地下
人として生存してきた。水田稲作造作の奴隷として西国に流された鬼怒一族は、北条鎌倉
幕府炎上後、勃発した後醍醐天皇と足利尊氏の内戦、朝廷が分裂した南北朝時代、流民と
なって、故郷である高原山をめざした。選び抜かれた者のみを山の民として高原山に送り、
多くの者は、箒川西側にある豊田村へ住み着き、水田稲作開墾をしていった。豊田村には
わが一族が誇る、大和朝廷蝦夷侵略軍将軍坂上田村麻呂を暗殺した所がある。わが一族は
そこを坂上田村麻呂が宿泊した将軍塚として偽装保存することに成功した。坂上田村麻呂
が創建したという木幡神社も実は鬼怒一族が建てた社だった。そしてわが聖地高原山は、
今でも、生命を誕生させた古代地球のエネルギーをそのまま温存しているかのような神秘
に満ちた山である。
寺山修司寺は古来、役小角(えんのおづね)の教えを継承した修験道の聖地寺だった。
「野に伏し、山に伏し、我、役小角とともに在り」修行を司る根拠地こそ寺山修司寺だっ
た。山岳の高原山で修行し、修験で得た「実修実証の世界」である霊応と験力は「たとえ
親、兄弟といえども、一切他言をしてはならない」ことが掟とされた。それゆえ高原山の
修験道は綱領なき密教となった。さらに高原山の修験道と蝦夷の聖地である青森県の恐山
は通低していた。言語なき身体の歴史こそ野と山に山岳密教にあった。
幕末、孝明天皇と睦仁皇太子を暗殺したのが、長州のテロリスト伊藤博文と山県有朋だ
った。伊藤博文と山県有朋は長州の大室寅之祐を明治天皇にすり替えたのである。伊藤博
文と山県有朋はイギリスの工作員として、同じく、イギリスの工作員であった坂本龍馬と
ともに徳川幕藩体制を転覆した。
いにしえの日本を破壊することこそ西欧侵略軍の代理機関明治維新政府の役割だった。
明治元年に出された「神仏分離令」は、山岳修験道を弾圧し、山岳密教を崩壊させ変質さ
せていった。
寺山修司寺は真言宗智山派に所属することにより、明治維新政府の日本破壊、宗教弾圧
の暗黒時代を生き延びることができた。古来からの神社も明治政府の強権弾圧によって、
四割が消滅させられていった。なにもかも大室寅之祐明治天皇を神とするためだった。
最後に塩田純一氏の論文「異界の人──日本のアウトサイダー」から抜粋引用したい。
-------------------------
古来、日本人にとって「狂気」とは、社会的規範からの免脱として排除される一方で、
超自然的存在の憑依によって生じる聖なるものとして崇められるという両義性を有する
ものだった。精神に異常をきたした者は日常の生活空間とは異なる「異界」へと入って
いく。この「異界」は、日本の民俗信仰では超越的、観念的な世界ではなく、現実に存
在する【女比】(ハハ)の国として海や山であり、実際に日常世界=里を捨て、「異界」
=山に入っていく人々、おそらくは精神病者の例は、「神隠し」の伝承などとして柳田
国男ら民俗学者によって報告されている。
しかも、注目すべきは、異界と現世の交通が双方向性であり、里への突然の帰還がし
ばしば伝えられている点である。こうした連続性、可逆性を有する異界=外部と現世=
内部との関係は、アウトサイダー/インサイダーという空間的な位置関係を明確に示す
概念とは微妙にニュアンスが異なる。その意味では、「アウトサイダー」という用語を
敢(あ)えて日本語に置き換えるなら、むしろ民俗学的色彩を込めた、たとえば「異界
の人」といった言葉こそふさわしいかもしれない。
日本における前近代的な「狂気」の様態として特徴的なのは、「動物憑依」である。
ヨーロッパ中世においても、精神病は悪魔が取りついたものと信じられていたが、日本
ではそれはしばしば狐、狸、犬神、蛇、猿、天狗などの動物、ないしは妖怪が憑依する
ことによって引き起こされるものと考えられた。そして祈祷、その他の方法によってこ
れらの憑きものを追い出すことで治療は可能とされ、共同体が再びその人物を迎え入れ
ることもよくあることだった。
<略>
今日、私たち日本人にとって「外部」と「内部」の関係は再び揺らいでいる。「外部」
を構成するのはかつてのように欧米=近代という単一の価値基準ではない。アジア、アフ
リカ、さらに伝統的な「日本」ですら、私たちの眼に「外部」として映り始めている。
「外部」が多様な価値を提示する一方で、「内部」は依然として主体性を欠いたままであ
る。これは一面では危険な状態だ。何ら明確なクリテリアを持たないまま「外部」=異
文化のいたずらな消費に陥ってしまうからである。私たちの課題は、確固たる「内部」を
構築し、「外部」とのふさわしい関係を見出すことである。その意味で、打ち棄てて来た
周縁、「異界の人」の造形表現に眼を向けることは、真の「内部」を構築する契機となる
はずだ。
【異界の人──日本のアウトサイダー】 塩田純一 (美術批評家)
---------------------------------------
──ウィルス・イデオロギー・完──
渡辺寛之
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月14日 02時03分57秒
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2006年11月12日
小説 新昆類 (35−1) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
渡辺寛之は昭和二十八年一月十七日、雪が深夜にかけて降った朝、高原山の寺山修司
寺本堂扉の前に置かれていた捨て子だった。寺の住職である渡辺日義が赤ん坊の泣き声
を聞き本堂に行ってみると綿入れのはんてんに囲まれていた男の子の赤ん坊が置かれて
いた。住職はすぐ捨て子であることに気づいた。住職は妻の恭子と相談し、まだ子供がいな
かったので育てることにした。名前を渡辺寛之と命名し日義の長男として出生登録をして戸
籍に入れた。四年後、住職の妻、恭子に女の子が産まれた。恵子と名づけた。
渡辺日義は寺山修司寺の住職をしながら泉中学校の教師でもあった。そして塩原町に接
する矢板市泉地域社会福祉などの相談役でもあった。寛之と妹の恵子は寺山修司寺で日義
と恭子の愛情に守られ仲良く育った。その後、日義と恭子には子供ができなかった。
東京オリンピックの翌年、渡辺寛之は泉中学校に通い一年生になり十二月末の冬休みに
なった。妹の恵子は小学三年生だった。恵子と寛之が寺の境内で石蹴りをして遊んでいる
と、下から山門の石段を登ってくる中年の男が見えた。ネクタイをして黒いコートを着た
男は、境内までやってきて、じっと寛之を見ていた。
「お坊さんはいらっしゃいますか?」と男は寛之に聞いた。
寛之は母屋の玄関を指差した。ありがとう、そう言って男は母屋の玄関前にたち、ごめ
んくださいと中に声をかけた。母屋の台所からエプロンで手を拭きながら恭子が、はいと
答えながら男の前に立った。
「住職にご相談があってまいりました。有留源一郎と云う者です」
男は名刺と塩原饅頭の菓子箱を恭子に渡した。名刺には有限会社有留鉄工取締役の肩書
きがあり、住所は広島県広島市安佐北区白木町大字有留125番地と印刷されていた。
「まぁ、わざわざ広島から」と恭子は名刺を見て驚いた。そして有留源一郎を土間に入れ、
どうぞと囲炉裏に腰をかけさせた。そして奥座敷で仕事をしていた渡辺日義の所に行った。
「あなた、広島からお客様です」恭子は名刺を日義に渡しながら、何の用かしらと不安な
顔をした。日義は恭子の不安を「きっと寺の歴史を聞きにやってきた人だよ」と打ち消し
た。
有留源一郎の名刺を持ち作務衣を着た日義が土間の囲炉裏に姿を現すと、源一郎はてい
ねいにおじぎをした。源一郎は最初自分が住んでいる有留村の鎌倉寺山は高原山の寺山修
司寺と縁があるのかもしれないなどと話をしていたが、この寺に捨てられていた寛之のこ
とで相談があると切り出した。日義は子供たち聞かれてはまずいと、源一郎を奥座敷に上
がらせた。恭子は湯を沸かすとお茶を奥座敷に持っていった。そして土間に戻ると外に出
て、境内で遊んでいる寛之と恵子を確認した。寛之と恵子に、お客様が来ているので、外
で遊んでいるようにと言った。そして恭子は有留源一郎の話を聞きに奥座敷に入った。
有留源一郎の話によると、寛之が産まれたのは、高原山の北側だった。高原山の北側は
塩原町である。高原山の中腹で、寛之の親は炭焼きを職業とし、炭焼き小屋で暮らしてい
た。寛之が産まれたのは昭和二十七(一九五二)年十二月だったが、寛之の両親は悪い病
気にかかり小屋で死んでしまった。寛之の両親を弔った炭焼きの仲間は貧しさゆえ、寛之
を育てることができない、それで寺山修司寺なら育ててくれるだろうと判断し、この寺の
本堂に翌年の一月十七日に、捨て子として置いていったとのことだった。
有留源一郎と寛之の両親は遠い親戚であったが、交流はほとんどなく、高原山の炭焼き
の連中からも寛之の両親が死んだことは知らせてもらえなかった。塩原温泉に旅行で来た
ので、昨日、親戚である寛之の両親の炭焼き小屋を訪ねたら、廃屋になっていた。高原山
で炭焼きをしている人の小屋を探して、寛之の両親のことを聞いたら、すでに死んだとの
ことだった。高原山の炭焼き人から寛之の行方を聞いたの内容を有留源一郎は日義と恭
子に話した。
高原山の山の民サンカが住民登録をしたのは昭和二十七年であった。それまで山の民サ
ンカは日本国民として戸籍に編入されていない。子供たちも義務教育を受けていず山の民
サンカは日本国民とは別の独自な世界で暮らしていた。有留源一郎は自分のところに寛之
の両親が死んだ知らせがこないのも理解できると話した。
日義はありそうな話だ、うーんと唸った。でも寛之がその死んだ炭焼きの子供だという
証拠は……疑問を恭子は有留源一郎に投げかけた。右太股にやけどの跡があると炭焼き仲
間の人が話していましたが……有留源一郎は答えた。確かに……恭子がつぶやいた。寛之
の右太股にはやけどの跡があった。
「親戚の義務として、私のところで育てたいのですが……」
有留源一郎は本題を切り出した。日義も恭子も将来は恵子が真言宗智山派総本山で修行
した僧を婿としてもらい、寺を継いでもらいたかった。寛之は高校までめんどうをみて、
東京に就職させるつもりでいた。
「いきなりそう言われましても……」
日義は妻とよく相談をするから結論は待ってくれと有留源一郎に言った。
「もちろんです。今日、どうのこうのという話ではありません。私はただあの子の親が誰
であったかを知らせにまいり、私があの子の親戚であることをお伝えにきたのです。今ま
で育てていただき誠にありがとうございました。私の怠慢ゆえ、今まで来られなかったこ
とをどうかお許しください」
有留源一郎は畳に額をこすりつけ謝り、日義と恭子に詫びた。
「突然来て、いきなりあの子をこちらで預かるなどと無礼な願いを言いまして……
そちらさまのお気持ちも考えず誠に申し訳ございません」
有留源一郎の声と詫びる身体には真剣に裏打ちされた迫力がみなぎり、日義と恭子は圧倒
されていた。そのとき日義も恭子もこの人に寛之を託すしかないと判断した。
その日、有留源一郎は深々と土間の玄関で頭を下げ、寺から去っていった。日義と恭子
の夫婦は寛之にどう説明していいかという重い課題を背負った。何よりも寛之を兄として
したっている恵子の反応が心配だった。兄と妹の関係を引き裂くことになる運命、しかし
子供たちは耐えるしかないだろうと日義は思った。
昭和四十一(一九六六)年三月二十八日、寛之は有留源一郎に連れられ、寺山修司寺か
ら有留源一郎が住む鎌倉寺山、広島県広島市安佐北区白木町大字有留へと旅立つことにな
った。運命に翻弄され寺の山門を降りる寛之の中学生服姿は痛々しかった。肩から中学生
の布カバンをかけ、左手には旅行カバンを持っていた。有留源一郎も旅行カバンを持って
いた。寛之のこれまでの衣服や私物、勉強道具やこれまでの教科書、本類は、後から日本
通運で広島県へ、送る段取りとなった。山門の石段の両側は高い杉並だった。見送る日義
と恭子、恵子はお兄ちゃんと叫びながら山門を駆け下り、寛之の右腕を行かないでとつか
んだ。寛之は立ち止まった。寛之も肩をふるわせ泣いている。有留源一郎はそのまま山門
の階段を下りたところで待っていた。寛之は泣き叫ぶ恵子のしがみつく手を離しながら、
云った。
「恵子、しかたがないんだ。しかたがないんだ。これがおれたちの運命なんだ」
寛之は自分にも必死に言い聞かせていた。
恭子は山門の上から下に降りてきて、恵子を抱きしまた。
「恵子、お兄ちゃんとの別れはつらいけど、耐えるのよ。しっかりとお兄ちゃんの旅たち
を見送ってあげるのよ、寛之、つらくなったらいつでも帰ってきなさい。ごめんさい、寛
之、お母さんは、何もしてあげられなくて……」
そして恭子は嗚咽をあげた。
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最終更新日 2006年11月13日 00時25分25秒
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小説 新昆類 (35−2) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
寛之に身体の底から慟哭が突き上げてきた。これ以上、恵子と恭子の前に立ち尽くすこ
とはできなかった。
「恵子、これを読め、おれがいなくなった後は、本を読むんだ。負けないで生きるんだ」
寛之は中学用の布カバンからト壺井栄「二十四の瞳」を取り出し、恵子の手に渡した。
恵子はその本を動物的に強く握った。自分がいなくなった後の恵子が心配だった。
寛之は涙を右腕を拭きながら、黙って山門を駆け下りた。四十八段ある山門の石段、
その第一段目に寛之の足が下りたのを見届け、有留源一郎は、山門の上で見守る寺山修
司寺住職渡辺日義に深々と頭を下げた。そして山門階段の真ん中で泣いている恵子を抱
きしめながら嗚咽を上げている恭子にていねいに頭を下げた。右手は拝礼し顔の下にあ
った。
「さあ、行くけんね」
有留源一郎は、優しさの中に断固した意思と決意を寛之に波動させながら広島弁で云っ
た。
「寛之お兄ちゃーーーーーん、帰ってきてーーーーえ」
そのとき、恵子のかん高い叫び声が、寺山修司寺を囲む山の空気に裂け目をつくった。
恵子の叫び声に鳥が一斉に空に飛び立つ。その羽音はさらに裂け目を増幅させていった。
有留源一郎は驚き樹木の枝に囲まれた空を見上げる。枝と枝の間を何匹の黒いむささびが
飛んでいる。有留源一郎は鳥肌がたった。動物としての危険信号を空気に感じた。身体よ
りの危機感と防衛本能を作動させながら、有留源一郎は山を降りていく。寛之は有留源一
郎の後に続き、寺山を降りていく。寺山修司寺が遠くになっていく、寺山に入る山道の入
り口まで来たときだった。猿の群れがふたりを待っていた。まだその場所は高原山の中腹
だった。周囲はひたすら山の森と林だった。
有留源一郎は立ち止まった。寛之は源一郎の背中の後ろにいた。猿の群れの前にいる
大きな躯体をした猿王が一歩二歩と源一郎に近づいた。有留源一郎と猿王はしばらく動
かず相対していた。目線を相手からはずしたら終わりだと、源一郎はまっすぐに猿王の
眼を見ていた。
「おれは高原山の猿王トネリ。お前はその子をどこへ連れて行く」
有留源一郎の意識下の意識に声が聞こえた。
「我は、広島、鎌倉寺山の有留一族の棟梁、源一郎なり。この子、寛之はわが有留一族の
古来よりの同盟軍、鬼怒一族の最後の人間なり。我は、高原山の鬼怒一族を再建せよとい
う先祖の霊声を鎌倉寺山で聞き、寛之を立派に鎌倉寺山で育てるために、ここにやってき
た」
有留源一郎は意識下の意識、阿頼耶識で猿王トネリに返答した。
「その子は高原山にとって必要な者、返してもらわねばならぬ。その子を遠くへ連れて行
くことは、我ら高原山ばかりでなく、八溝山の怨霊、岩獄丸も許さぬと云っている。その
子をただちに返してもらうことは、高原山と八溝山の総意なり」
「返す、必ず高原山に返す。我は、この子、寛之を修行のために鎌倉寺山に預かっていく。
山県有朋一族に支配された高原山を奪い返すためには、この子の修行が必要なのだ」
阿頼耶識で高原山猿王トネリと有留源一郎は真剣勝負の応答をしていた。
そのとき、猿王トネリと有留源一郎の直線軸に対して、三角錐の地点に、新たなる猿が高
い木から降り立った。
「我は鎌倉寺山の猿王ウガンセンなり。有留一族の源一郎は必ず約束を守る。有留源一郎に
襲い掛かることは、鎌倉寺山の猿が許さぬ」
ウガンセンの顔は幼少時にくらった、ヒロシマ原爆投下放射能の被爆風によって、頬の肉
が崩れ骨が見えていた。広島市安佐の鎌倉寺山に暮らしていた猿族は原爆投下によって、多
くの仲間が死んでいった。ウガンセンの姿態は高原山の猿に恐怖をもたらした。
周りを囲む高い樹木の枝に、広島県の鎌倉寺山からやってきた猿の群れがいた。一斉に高
原山の猿は防衛体制に入った。一気誘発の緊張が森に波動する。
「鬼怒一族と有留一族の合言葉を言え」
高原山猿王トネリは有留源一郎に迫った。
「ひえだみくりや、ひえだみくりや」
有留源一郎は目を閉じ、両手で結界を験し、合言葉の呪文を唱えた。
「これにて疑いは晴れた。我ら、その子の高原山帰還を、ひたすら待っている」
有留源一郎が指の結界と呪文をとき、眼を開いたとき、猿の群れは目の前から消えていた。
樹木の枝からも猿の群れは消えていた。山の空気は穏やかな静寂な森林へと転換されていた。
寛之は有留源一郎の後ろ、いつのまにか、草の上で眠っていた。有留源一郎は眠ったまま
の寛之を背におぶり、後ろに回した両手で、寛之の体を支えながら、高原山を降りていっ
た。道は寺山修司寺に登ってきた山道といつのまにか違っていた。迷ったのかもしれない。
寛之を背負う後ろの両手には、自分の旅行カバンと寛之の旅行カバンを持っていた。力が必
要だった。額と全身から汗が流れる。有留源一郎の背骨を感じ、眠っている寛之の肩には中
学生の布カバンが掛かっている。南方向に下界が見えてきた。矢板の町だった。有留源一郎
は高原山の麓の里、矢板市と塩原町の境界にある伊佐野村まで降りてくると、菓子屋の店先
にある公衆電話から、矢板駅前にあるタクシー会社に電話をかけ、タクシーを呼んだ。
寛之は眠りから目覚め意識を回復させていた。覚えていたのは、有留源一郎の前に猿がい
たことだけだった。ふたりが矢板駅から上野行きの列車に乗ったのは、午後四時半だった。
広島県までは列車の旅だった。
恵子は小学四年生へ、寛之は中学二年生へと進む矢先の出来事だった。早春の兄と妹の別れだった。
高原山の猿と鎌倉寺山の猿は、これを機に固い同盟を結んだ。トネリの娘デイアは、同盟
契りの証として、ウガンセンの嫁となることになった。トネリは鎌倉寺山の猿が、原爆投下
による放射能によって、遺伝子が破壊され、子供が産まれてもすぐ死んでしまうことを、ウ
ガンセンから聞き、高原山と八溝山から選ばれた娘猿を十猿、ウガンセンに託すことにした。
鎌倉寺山の猿は子孫生存のため新しい血が必要だった。
「すまぬ、おれたち一族は何のお返しもできぬ」
ウガンセンがトネリに恐縮してわびた。
「いや、あの子を、鬼怒一族の最後の人間を、鎌倉寺山にて守ってくれればそれでいい」
トネリがウガンセンの心に応えた。
「我ら、トネリ殿のデイア姫と高原山と八溝山の娘猿を守り、無事、広島の鎌倉寺山に帰還
した後、鬼怒一族の最後の人間を守り、山県有朋一族から高原山を奪還するトネリ一族の悲
願達成を終生援軍するであろう」
ウガンセンは鎌倉寺山の猿と高原山の猿、同盟軍の前で誓った。
鎌倉寺山の猿はトネリの好意により、高原山裏、奥塩原の湯につかり、さらにそのルート
から奥那須の湯まで案内してもらい、原爆病にやられた遺伝子躯体を温泉で癒した。しばら
く高原山と那須山にウガンセン一族は逗留し、そしてディア、娘猿を守りながら鎌倉寺山へ
と帰還した。一年後、ウガンセンとデイアの息子ラフォーが産まれた。鎌倉寺山からのラフ
ォー誕生の報告を聞き、トネリは同盟契りの証に喜んだ。ラフォーは鎌倉寺山猿族の頭とな
るべくこの世に誕生した。ラフォーは青年になり、同盟契りの証として、高原山の娘猿アマ
テを嫁にもらった。アマテはラフォーの息子を産んだ。ラフォーは息子をディアラフォーと
名づけた。
ディアラフォーが産まれた年の冬、ウガンセンは原爆の猿としてこの世から去った。死ぬ
前にラフォーに言った。
「鎌倉寺山の猿、原爆による生存継承の危機は、高原山の猿によって救われた。高原山から
来た女猿がわれらの子を産んでくれた。高原山との同盟契りは永遠に守るべし。我ら、後鳥
羽上皇、後醍醐天皇が隠岐に流されたとき、帝を密かにお守りした猿の一族なり、その誇り
をけして絶やしてはならぬ。我らの神は猿田彦なり。高原山が山県有朋によって支配された
ように、ここ鎌倉寺山は明治の大帝へと成り上がった長州の大室寅之祐王朝によって絶対強
権によって支配された。そして広島に原爆が投下された。それを大室寅之祐王朝昭和ヒロヒ
トは、是認した。我ら鎌倉寺山猿の怨念はしかたがなかったではすまされぬ。我が亡き後、
かならず原爆を投下したアメリカに復讐するのだ。そのためには高原山の猿、トネリ一族の
協力を仰ぐのだ。わが遺言、トネリ殿に伝えよ。わが一族の復讐、必ず理解してくれるはず
だ」
ウガンセンは日本猿として死んでいった。ウガンセンのなきがらを鎌倉寺山に埋めると、
たたちにラフォーは、妻アマテと産まれたばかりのディアラフォーを連れ、高原山へと向か
った。トネリはウガンセンの遺言をラフォーから聞き、「ウガンセン殿の無念、何代かかろ
うが、晴らそうぞ」と言った。人間離れした日本猿の復讐こそに、日本の神々、猿田彦の系
譜、後鳥羽上皇と後醍醐天皇の御心があった。ラフォーは同盟誓いの証として、わが子ディ
アラフォーをトネリにさしだした。
ディアラフォーはトネリの元で修行し、やがて高原山猿の棟梁になる運命となった。その
猿徳は八溝山にまで波及した。
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最終更新日 2006年11月13日 00時10分06秒
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2006年11月11日
小説 新昆類 (36−1) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
5
昭和四十二(一九六七)年四月、関塚茂は矢板中学校の三年生になった。三年になって
急にクラス替えがあった。一年、二年と同じクラス、友達も多かったので、それがバラバ
ラになってしまい茂は淋しかった。それほど前のクラスは居心地がよかった。クラス替え
になってさっそく茂は背が小さかったので、川崎村の二人組みから目をつけられた。
ひとりは親分格の斉藤武とその子分格の山口一郎だった。妙な話だが背が一番小さいの
が茂で次に一郎そして三番目が武だった。校庭での朝礼は、学級委員を先頭に、次に縦に
並ぶのが茂、次に一郎、次に武だった。武は左目の網膜に白いものがあり、川崎小学校で
は、「メッカチ」と言われいじめられていた。矢板中学校に来てからは暴力でクラスメー
トを威嚇するようになった。武は茂を自分の子分にしようとしていた。茂は、休み時間に
なると、武と一郎に呼び出された。
「話があるから、ちょっと、いくべ」
子分の一郎が茂に伝え、茂は武と一郎に挟まれながら廊下を歩き、校舎のはずれにある
物置小部屋に入った。
「おらの子分になれ、ならなげれば、殴るぞ!」
武が恫喝した。
「おらは、そういうのは嫌いだ、殴りたければ殴ったらよがんべ」
茂は決然と応えた。調子こくんでねぇ、このやろうと武と一郎に茂は、二発、頬を殴
られた。それから休み時間のたびに武と一郎につきまとわれた。1年、2年の時のクラス
に暴力的な人間はいなかったので、茂の新しい環境は暗くなった。耐えるしかなかった。
茂は中学校よりも朝刊夕刊の新聞配達の方にやりがいを持っていた。
茂は全国紙の毎日新聞を配達していた。受け持ちは国道四号線沿いの本通り商店街だっ
た。朝はいつもスポーツ紙に掲載されていた富島健男のすけべな連載小説を読みながら配
達するのが楽しみだった。茂は貸本屋から借りてきた富島健夫のクラスノートという高校
生が卒業するときの恋愛小説を読んでいたので、富島健夫の純愛小説とエロ小説との落差
がわからなかった。早朝の街で、読売新聞の配達をしている泥荒に出会った。泥荒は末広
町方面を配達していた。中学校で泥荒とは別のクラスだったが、行き会うたびにオッスと
あいさつをした。あいつも家は貧乏で苦労していんだんべと茂は泥荒に強い仲間意識をも
った。ある朝、校長が校庭での朝礼で、新聞配達をしている生徒がある家に配達された牛
乳を盗んで飲んでいるという通報があった、そうゆうことをしてはいけないと、全生徒の
前で訓示をたれた。茂はそのとき、歯をくいじばりながら、校長を真正面からにらみつけ
た。下を向いたら敗北でおれは終わりだと思った。もしかしたら泥荒かもしれないと思い
三組の列に並んでいる泥荒を見た。泥荒も歯をくいしばり眼光に燃え、校長を真正面から
見つめていた。あいつじゃない、あいつもおれと同じ、新聞配達少年が校長に侮辱された
と、たぎる怒りに胸は煮えくり返っている。何が市民からの通報だ、ちくしょう、暇なク
ソジイイの嫌がらせだ。そのとき、泥荒が茂を見た。ふたりは、眼光で「オッス」と挨拶
をした。負けてたまるか! とふたりは同時に顔をうなずき無言で、新聞配達少年の闘志
を確認した。
矢板中学校の生徒は、毎朝、暇なクソジイイに監視されていた。登校する朝の定刻には
「君が代」が校舎のスピーカーから大音響のうなりを上げる。生徒は登校途中であっても
道路に止まり、「君が代」の大音響が聞こえたら、歩きを制止し、あるいは自転車から降
り、直立不動になり校舎の国家国旗掲揚に向かい拝礼するのだ。山県有朋一族に支配され
てきた矢板中学校の伝統だった。朝の「君が代」拝礼のとき、会話したり姿勢が崩れてい
る生徒がいたならば、山県有朋一族を敬服する「汚れ勢力」の暇なクソジイイが校長に毎
朝、電話で通報するシステムが完成していた。そして校長が、今朝の「君が代」拝礼には
きちんとやっていなかった生徒がいたと、朝礼で全生徒の前で訓示をたれる監視恫喝制度
が起動していた。さすが、長州テロリスト山県有朋支配地の伝統だった。山県有朋は、同
じく長州テロリスト伊藤博文とともに、幕末の孝明天皇と睦仁皇太子を暗殺し、長州の大
室寅之祐を明治天皇として祀り上げた人間であった。大室寅之祐明治天皇を神として貫徹
するために明治維新政府は強権となって、さまざまなものを壊滅した。日本近代は欺瞞に
よって成立した。大室寅之祐王朝の欺瞞と戦争による民衆虐殺の伝統こそ、明治、大正、
昭和の強権だった。その基礎をつくりあげたのがテロリスト山県有朋だった。日本の近代
とは、欺瞞と「嘘の神」の貫徹史でもあった。ゆえに「君が代」は大音響でうなりを上げ
る。
中学校では相変わらず、武と一郎が、休み時間になるとしつこく、つきまとってきたの
で、武と決闘をして、現状を打開しようと茂は決意した。決闘は土曜日の放課後、中学校
から荒井村にいく道沿いにある牛馬市場ということになった。そこは牛と馬が売られる日
以外は誰もいない広い場所だった。クラスメート二人が立会人でついてきた。
茂と武は取っ組み合いのケンカをしたが、ふたりとも背も力も同じ位なので、なかなか
決着がつかなかった。立会人が一息入れろと中断した。ふたりはひと時ケンカをやめた。
茂が立会人とこれからどうずるか、最後までやるのか話していたところ、武が茂の肩を手
で話があると後ろからチョンチョンとたたいた。茂がなんだと振り返った時、武のパンチ
が茂の左目に入った。このやろう、汚い手をつかいやがってと茂は動物のようなでかい
声を出し、猛然と武に向かっていった。武はヨロヨロとうろたえた。茂は何発も武の胸と
腹にパンチを浴びせ、ぶちのめした。自分でもこれほど暴力が発動できる人間であること
を、瞬間に茂は自分自身を発見していた。そのとき立会人が危険を感じ、やめろそこまで
だと仲裁に入った。ケンカはここまでだと立会人がふたりに言った。じゃぁ、おれは帰る
ぞ、夕刊の新聞配達があるかならと茂は肩掛け布製のカバンを拾い、牛馬市場の建物を後
にした。後ろから、逃げるか、このやろうと武が声を出したが茂は相手にしなかった。一
郎は最初から最後まで黙って見ていた。
月曜、茂は眼帯をして登校した。後ろから武に殴られた左目が腫上がっていたが、それ
はケンカの勲章でもあった。おれはケンカができる人間だと茂は自信に満ちていた。その
日から武と一郎は、茂に休み時間まとわりつくのを止めた。一郎も武から距離を置くよう
になった。武のケンカゲーム相手は、他の人間に向かった。授業が終わった掃除の時間、
武は、川崎村の隣にある木幡村から登校している成績が良い山田秀雄を挑発し、ぶちのめ
した。クラスメートは誰も止めに入らなかった。茂も黙って見ていた。中学一年、二年の
時と違って、新しい環境は殺伐としていた。それとも三年になり大人になったのだろうか
と茂は思った。掃除が終わり、毎日のクラス討論の反省会が始まる時、秀雄は机に両手で
頭をふせ泣いていた。周りの女子もそれを見ないようにしていた。男子は沈黙のなか、暴
力で調子に乗り、威張っている武をいつかぶちのめすと暗黙の了解を空気のなかで感じて
いた。すでに中学三年になると、表ざたにせず、隠しながら進行する政治的人間になって
いた。
六月のある日、雨が降っていた。保健体育の授業は体育館だった。九人制のバレーボー
ルの試合を男子と女子、二組づつに分かれてやる事になった。最初に男子が二組に分かれ
て試合をやり、女子はコートの周りを囲んで観戦することになった。茂は選手からはずれ
観戦となった。選手となり得意げに武はコートの後方にいた。武の対戦組のサーブとな
った。ボールを打つのはバレーボール部に所属している岡田純一だった。岡田は強いサー
ブを武めがけて打った。武は取れなかった。次のサーブも武めがけて打つ。ふたたび武は
受けたが後ろにはじき返した。武が対戦する相手の組の全員が武をめがけて打った。武こ
そがチームの弱点であることが女子生徒の前でクラス全員の前でさらされた。武は蒼ざめ
た顔になり、ますます身体は羞恥と恐怖に硬直していった。その日から武はクラスで目立
たない人間へと変貌した。集団の暗黙による政治的報復を恐れる人間となった。十五の季
節を迎える少年少女たちは、陰部に陰毛が生えて、隠すことを知り、体が大人へと脱皮を
とげていく過程の思春期にあり、それは距離をとるというニヒリズムへの知覚が芽ばえる
季節でもあった。
茂は武の挑発から解放されて、クラスの中で友達をつくっていった。最初の友達は牛乳
配達をしている石田実だった。石田に誘われたのは七月はじめの土曜日だった。土曜日は
半ドンで、昼1時前には学校が終了していた。
「今日、冒険に行くべよ、汚れてもいいズボンと上着を持ってこいよ、あと新聞紙ももっ
てこい」
待ち合わせは矢板駅だった。茂は夕刊の新聞配達もしていたので、遊べるのは土曜の午
後の夕刊配達するまでの時刻と、夕刊配達がない日曜だった。茂の家族住むアパートから
駅までは歩いて十分ほどだった。新聞紙の束を布製の手提げに入れて駅に行くと、すでに
紙袋を腕にかかえた石田が待っていた。石田は目が三角で、ねじれた印象がある男だった。
よし、いくべ、ついてこいと石田は駅の公衆トイレに向かった。茂は石田の後からついて
いった。公衆トイレは男女共有だった。水洗式ではなく汲み取り式便所だった。
トイレの入り口に入ると、左側が小便用便器が三個あり、右側に大便用男女共用個室ト
イレが二っつあった。ベニヤのドアには薄緑色のペンキが塗ってある。石田と茂は端のト
イレに入った。木の板壁にはのぞき見るためのちいさな穴があり、そこに紙がねじこまれ
ている。石田はそれを取ると、ここからとなりが見えるべ、のぞいて見ろと茂を促した。
そして石田はドアを少し開け、誰も来ないことを確認すると、隣のドアに入り、隣のトイ
レの穴からもねじ込まれていたチューインガムを取った。
茂はしゃがんでその穴を見ると、となりのトイレが見えた。石田が隣トイレから帰って
きた。
「この穴をみて、女かどうか確認するんだっぺ」
石田はドアにあるちいさな二つの穴を指差して言った。茂は立ち上がってドアの穴をみ
るとトイレ入り口方向の外が確認できた。
最終更新日 2006年11月12日 01時41分40秒
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小説 新昆類 (36−2) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】 [ 小説 新昆類 ]
「きっと、高校生がのぞきにつくった穴だんべな」
石田はそう言うと、紙袋から新聞紙を出し、白い陶器製の便器を拭き始めた。何故、そ
んなことをするのか茂にはわかならなかった。どうやら便器に体を潜りこませ便溜め槽に
まで降りるらしい。石田は紙袋から古い長袖シャッツを取り出し、半袖シャッツの上に着
た。おまえも着替えろと石田が指示をしたので茂も紙袋から汚れた長袖シャッツを取り出
し、それを着た。ていねいに石田は便器を新聞紙でふき取ると、さらにボロ布で便器をき
れいにした。石田は紙袋から軍手二組を出すと、一組を茂に、これをはめろと渡した。
隣からトイレドアが開き閉まる音がした。誰か入ったなと石田が小声で言った、そして
しゃがんで、左目を強く閉じながら右目をぱかっと開き、のぞき穴を見る。おんなだと石
田は小声で言った。よし、おれは潜るからなと、軍手をはめ、両足を便器に入れ、徐々に
体を沈ませていく。石田の両足はやがてコンクリートで出来ている便槽についた。そして
便器から手を離し、便槽へと潜り込んだ。だいじょうぶかと茂は声をかけた。下からニヤ
っと笑う石田の顔が見えた。
茂ははじめての体験に興奮していた。茂がのぞき穴から見ると女子高校生がパンツを下
げているところだった。陰部から恥骨へと毛が生えているのが見えた。やがて女子高校生
は腰を下ろし、用を足していった。のぞき穴からは女子高校生の髪が下に垂れているのが
見える。やがて女子高校生は顔を上げた、そして不思議そうに目の前のちいさな穴を見て
いる。好奇心で女子高校生はその穴に瞳を近づけてきた。茂はあわてた。ここで穴から目
をはなせばバレてしまうと思い、そのまま見続けた。光が女子高校生の瞳に遮られ、穴は
真っ暗になった。やがて女子高校生は穴から目を離して、光が見えてきた。女子高校生は
立ち上がってパンツをはきはじめた。用を足した女子高校生はトイレのドアを閉め出て行
った。美人だったと茂は思った。
石田が便器に手をかけ、顔を出し肩から上半身を出し、はいずり上がってきた。
「いまのおんなが捨てたモノだっぺ」と石田は紐がついた茶色の生理用具を茂にみせた。
そして便槽へと落とした。
「ション便をへっていたよ、今度はおめえが中にもぐれ、足、滑らないように気をつけろ
よ」
ドアの穴から外を見ていた石田が、来たっぺ、おんなだ、潜れと小声で指示した。茂は
両足を便器に入れ、両腕で体を支えた。腰まで便器に入れ、両足の着地点をまさぐった。
やがて左足の運動靴が便槽に着いた。その左足を基点に今度は右足を着き、便槽を大きく
開脚した両足でまたぐ格好になる。足が滑れば便槽の底まで落ちるはめになる。両足を踏
ん張りながら、茂は肩から顔を便器の下に沈めた。上から石田が、隣はきれいな女子高校
生だんべ、下からよくおがめよと真剣な顔でいった。石田の眼は危険な遊びの情熱に燃え
そして炎は歪んでいた。その石田の眼を便器の下から見ながら茂はうなづいた。
「あまり近くまで行くとバレるから、気をつけろよ」
石田が小声で注意した。
便槽の中の便溜めには蛆虫が蠢いていた。紙、そして糞、ション便の匂いに圧倒された。
両足で踏ん張っているコンクリートの便槽壁は農茶色でぬるぬるしている。茂は軍手をは
めた右手を便槽の壁を押し指に力を入れた。これで体を支える三点が確保されたことにな
る。向こうの便器から光が差してくる。茂は慎重に前進していった。濃紺のスカートそし
て女子高校生の両足が見えた。女子高校生は、ゆっくりと白いパンツを下ろし、やがて下
半身を丸出しにしてしゃがんだ。茂は便槽の下から女子高校生の中心を仰ぎ見た。暗くて
性器はよく見えなかった。茶色い生物体のようだった。やがてその生物体の口からション
便が発射された。次に大便が爆弾のように茶色の生物体の黄門から落とされてきた。茂は
あわてて体を後退させた。女子高校生のション便と糞爆弾投下が終了し、今度はチリ紙が
ひらひらと落ちてきた。茂は初めておんなのおまんこを仰ぎ見たことになるのだが、それ
は憧れの美しいおまんこというより、茶色いシワと溝がある怪物の排泄生物体だった。茂
にとっては革命的な出来事になってしまった。暗い便槽の世界で、茂の少年期は終焉した。
茂は便器に手をかけ、顔から肩そして腰を便器の外に出していった。はぁはぁと新鮮な空
気を吸った。小声で静かにしろと石田が真剣な顔で注意した。
「なにか下のほうで見えた、気持ち悪かったよ」
トイレから出た女子高校生が外で待っていた女子高校生に話す声が聞こえた。
月曜日、茂は中学校へ登校したが、すでに、おれは恥ずかしい事をしたという罪悪感を
心の底に内包していた。クラスメートの女子中学生や女教師がスカートの下に怪物のよう
な生物体を宿していることが信じられなかった。その日から茂は赤面恐怖症になってしま
った。授業で教師に指され椅子から立ち上げると顔は真っ赤になっていた。またいくか?
と石田は土曜日に誘ったが、用があるからと茂は断った。
「おめぇ、おっかなぐなってしまたんだんべ」
石田は歪んだ眼で笑った。
夏休みになった。茂は朝の朝刊配達が終わると、箒川へ自転車で水浴びに行ったりして
過ごした。夕方になると夕刊配達をした。勉強はしなかった。夜はマンガを描いたり、テ
レビをみて過ごした。お盆が過ぎると宿題の絵を長屋の前にある大きな木を描くことに決
め、昼間から木の前で絵を描いて過ごした。その木は長屋の前の道路の向こう側にあった。
砂利が敷かれた空き地だった。茂はひとりで絵を描いているときが一番幸せだった。夏休
みが終わりその絵は体育館に張り出され銀賞をとった。茂は嬉しかった。
二学期になると、高校進学の模擬テストがあった。そして黒板の横の机には就職案内の
パンフレットが置かれるようになった。クラスメートはひとりひとりが進路を問われるよ
うになった。授業が終わると高校進学のための課外授業が行われるようになった。茂は夕
刊配達があるので、課外授業の申し込みをしなかった。自然に茂は高校進学しないグルー
プとより付き合うようになった。高校進学しないグループはほとんど氏家町にある職業訓
練所へ入るつもりでいた。茂は那須工業高校の土木科を希望していた。自分の進路を選択
していくという社会の重みをクラスメートの誰もが感じていた。天真爛漫だった中学一年
や二年の時と違って、それぞれが内向化していった。未来への不安と心を隠し秘密を持っ
た茂はインキンタムシに犯されてしまった。体を動かすたびにきんたまが痛かった。つい
に茂は、きんたまを圧迫できる水泳パンツを履いて登校した。後ろの女子生徒に水泳パン
ツの線を見られるのが怖かった。茂は夢精をするようになっていた。夢の相手は長屋の二
軒隣のおばさんだった。夢の中で茂は発射した。起きるとパンツが精液で水濡れしていた。
先行し大人になっていく体の革新に、意識は置きざれにされ不安と動揺の日々だった。
家ではテレビを見ながら国語辞書を開き、性に関する語句を読み、ひとり興奮していた。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】
最終更新日 2006年11月12日 01時37分46秒
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