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(回答先: 日本国憲法について思う事 投稿者 Ddog 日時 2009 年 1 月 31 日 16:28:05)
>Ddogさん どうもです。
>【これは、K殿に対する回答でもあるが、このレスは私の考えを示したもので、貴殿を釈伏させようと思ったものではない。K殿とはどうせ議論が平行線になる可能性が高いことだけは予想されます。もしレスを書かれるなら、そのことを留意したうえでお願いします。】
まあ、改憲に関する認識は、多分に主観の強弁になる可能性が高いので、どちらかが、強弁モードに入ったら、水掛け論・平行線でしょうね。
そうはならないように心掛けたいと思います。
とりあえず、Kは改憲の議論は受けて立つという考え方ですから
>【護憲を叫ぶ人間は憲法議論する事すら、危険だと言って拒む場合が多いが、憲法論議というものは、国民の理想と現実を摺りあわす意味で大いにするべきであると思う。】
には、大いに共感するところです。
以前に
【改憲反対(護憲)派が、これほど思考停止だと負けるぞ。 考察者K】
http://www.asyura2.com/07/kenpo1/msg/419.html
という投稿もしていますし、この憲法板の新設時も、新設を管理人さんにお願いしたのですから、憲法議論はするのが当然と思っています。
>【現憲法は、米国が日本の弱体化、骨抜きにする為に押し付けた憲法である経緯はあるものの、その後60年以上改正せず放置しているのは、もはや日本人の責任である。】
まず、ここの認識は、本当に正当でしょうか?
今回引用させていただいたKのレスを読んでもらえば、分かりますが、日本国憲法が「米軍の押しつけ憲法」と言い切るのは、不当な誘導行為と考えます。
【憲法研究会「憲法草案要綱」 1945年12月26日 | 日本国憲法の誕生】
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052shoshi.html
に大まかな成立課程があるように日本国憲法は、鈴木安蔵氏氏ら憲法研究会の作ったものが草案になっている。
簡単に言えば「国家権力が庶民に押しつける」という従来の憲法ではなく「民間が主体になって、国家権力の暴走を止めるという意図によって作成された、世界に例を見ない庶民の期待が条文化されたもの」であり、一部に当時の米軍の希望も取り入れられている物の決して、アメリカの押しつけ憲法ではなく「日本国権力製」ではなく「日本国民製」であるだけである。
正確には日本国民製が主で、一部にアメリカの希望が取り入れれているが、要は庶民主体の視点で作られた唯一の「庶民製の憲法」ということである。
つまり、【現憲法は、米国が日本の弱体化、骨抜きにする為に押し付けた憲法である経緯はあるものの、その後60年以上改正せず放置しているのは、もはや日本人の責任である。】というのは、論として成立していない。
百歩譲って、アメリカの押しつけの部分が多い比率を占めていたとしても、経年疲労がない場合には無理に見直す必要性もなく、誰が作成者であろうが、良い物は良いのであり、自主憲法でないから改憲などというのは「戯言」でしかない。
それを、無理に変えたいというのは「国家にとって都合の悪い」という権力サイドの都合に他ならず、一部の右翼的国民は国家に洗脳され、良いように踊らされているだけという側面もある。
国民の視点とすれば「国民にとって良い憲法なら、それで良く、戦後60年間も特に問題なく運用されていたのであるから、致命的な欠陥もなかった」のは、60年間改憲されていないことから、すでに実証されているともいえるだろう。
>【特に問題なのは前文だ。
憲法前文の『これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。』この部分が、思考を停止する人間が多い日本人の性癖に悪影響を与えていると考えています。】
民衆にとって、一番の驚異は国家が国家の都合によって引き起こす「民衆を巻き込む戦争」であり、その放棄は、「民衆にとっては、人類普遍の原理に他ならない。」
これに異を唱えるとすると、国家に尻尾振る「国家の犬」かもしれない。
もしかして、Ddogというハンドルネームはその辺に由来するのかな?
そうでなければ、視点は国家権力側ではなく、庶民の視点になるべきである。
>【第九条『正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』とあるが、戦争とは何かを根本的に理解していないか、欺瞞の部分である。そもそも、戦争とは、正義と正義の主張のぶつかり合い意見の相違を最終決着させる最終手段であって、正義の正体が各国の国益であることを、隠蔽するか欺瞞していると思う。正義と秩序を基調とする国際平和などという概念を受け入れること自体、日本の正義(国益)を保てることが困難となるのである。その為拉致問題や、ソマリア沖の海賊退治問題にしても弊害が生じる元凶でもある。】
ここは、色々と問題も生ずる部分であるが、「国家間の戦争(軍隊の行為)」と「無法者に対する秩序の維持活動(警察の行為)」は区別されるべきなので、海賊退治というような事例を引き合いにして、イメージ誘導と行うのはどうなのかと思う。
国家間の戦争ということに限定して、「現実論」としてとらえた時、いったいどこの国が日本に侵略戦争を挑んでくるのか?は非常に重要な意味を持つ、現在の世界では、日本の自衛隊に比べ非常に弱小な軍備しか持っていない国も多く、もはや、侵略戦争と植民地という時代ではなくなっていて、民族独立の流れになっている。
その上で、日本に侵攻してくる国があるとすれば、最も怖いのは「アメリカ」であろう。
仮に、アメリカが攻めてきたら、下手に戦うより、降伏した方が国民のためであり、戦っても、まず絶対に勝利はなく、被害が増えるだけである。
つまり、戦うだけ無駄ということであり、軍備を整備することは、全く、国民の利益にならない。装備時、戦闘時のどちらの場合であってもだ。
ある特定の国が攻めてきた時の場合には全く役に立たない仮定の状況のために「膨大な軍事費を税金から捻出し、国民生活を貧困化させること」に意味はあるのか?
日本のような、人材以外の何ら資源のない国を、世界世論の非難を浴び、経済封鎖等のリスクを覚悟で攻め取ろうという国が、アメリカ以外にあるのか?は多分に主観の入るところであろうが、日本国憲法で、禁止しているのは
【国家が国際紛争を解決するために所有する国権の発動たる武力と軍隊」である。
最近、自衛隊は軍隊だろうという開き直りのような意見を言う人もいるが、もしも、そうであるなら、「今まで、憲法違反を犯してきたことを素直に認め、罪を償ってから」の話になるだろう。国粋右翼は全て、牢屋行きである。
仮に、今までは、憲法違反でないのなら、「現在の、現実に照らし合わせても、現憲法、特に9条を無理に改正する必然性はない。」
どちらから言っても「すでに詰んでいる」
>【第11条『国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。』この基本的人権と『第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』のなかで書かれた、公共の福祉との曖昧な、また矛盾に満ちた関係に関しても、議論すべき点があるのではないかと思う。】
【公共の福祉との曖昧な、また矛盾に満ちた関係】とのことだが、まあ、多少曖昧な表現であることは認めるとして、矛盾に満ちていると言うほどでもないと判断する。
要するに、他人に理不尽な不利益を与えない範囲の、自由と権利は認めます。ということである。ただし、この条文があると、徴兵令は行えず、国家の都合による戦闘行為に国民を駆り出せないので、国家権力とすると都合が悪いというだけの話だろうと思う。
というのが、Kの主張である。