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(回答先: Re: 論証責任を求めてみたかいはありましたか?>まだ、判断するのは早いと思っています。 投稿者 考察者K 日時 2009 年 2 月 01 日 11:26:37)
K殿とは考え方が違うので、不毛な議論はしたくは無い。最初に『K殿とはどうせ議論が平行線になる可能性が高いことだけは予想されます。もしレスを書かれるなら、そのことを留意したうえでお願いします。』としたのですが・・・予想通りの展開ですね。(笑)
K殿は護憲論者のレッテルを自ら貼ったことに後悔しているようだね。どうだ、一度自分自身で護憲論者のレッテルを剥がしてみては?すっきりするぞ!
K殿の自己矛盾は護憲論の立場にありながら、憲法論議を受け入れることにある。改憲論者との対話を一切拒否し思考を停止している空也殿の方が、むしろ自己矛盾を抱えていないであろう。何も思考せずに護憲とすればたいへん楽である。思考した段階で護憲論者は改憲側に一歩近付くことになるからだ。空也殿の思考停止護憲論者の方が護憲とするならば、むしろ賢い。
K殿の主張を分析する限りでは日本国憲法は100年後も一切書き直さない不磨の憲法だとは思ってはいないようですが違いますか?私は時代に応じて改憲すべきであると考えています。
K殿に限らず、改憲論=国家権力の犬と考えるのは朝日新聞をはじめとする、護憲論側の妄想だと私は思っています。
日本国憲法が施行された1947年草案が書かれた1946年という時代は、凄まじい殺戮の時代がやっと終わって、米ソ冷戦が本格化する直前、ほんの一瞬「これからの世界には戦争が無い、平和な時代が訪れるのではないか」と誰もが錯誤した時代であった。特に日本人にとっては「元和偃武」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%92%8C%E5%81%83%E6%AD%A6
の歴史観があり、太平な世の中が訪れると考えた時代であった。
その時代感覚のまま鎖国的感覚でいる日本人に対し、私を含め改憲を思う人間は憂慮を抱いているのである。「国家の犬として尻尾を振る」という発想は、非論理的な中傷でしかない。自衛隊を支持する国民は80%以上だと思うが、一時期50%を越えた改憲支持者が40%台程度まで落ち込んでいることに対して憂慮しているのです。
日本国憲法の成立にあたっては、K殿は日本人が草案を書いた日本人の憲法であって押し付け憲法ではないと言いたいのだろうが、残念ながらGHQの占領方針の表明の性格も有しています。K殿も一度憲法の条文に「〜させる、〜させない」と命令形で読み返すと、日本国憲法が、すっきり読めるので解り易いと思うが試してみたまえ。
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
『第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄させる。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持させない。国の交戦権は、これを認めさせない。』こちらのほうが文章として自然だ。
しかし、その後GHQの出先機関の後身である自民党と、当初現憲法に反対していた左翼が護憲に回る事で、憲法改正が自民党のタカ派と呼ばれるグループを除き、改正へ動く力が無くなってしまった。結果1946年の世界観に基づいた憲法を押し頂く結果となり、60年以上の永きにわたり一文も改正されていない。これは、為政者の問題ではなく国民の問題である。
K殿が問題にしている与党勢力が憲法違反を確信犯として行っていたことを問題視し、牢屋へ入れろと発言する事自体、噴飯ものだ。確信犯であることは間違いないだろう。
しかし、現実論からすれば、憲法違反を認め自衛隊を解散させたことによる国益の消失は計り知れない。むしろ汚名をかぶり詭弁を使いながらも与党は最低限の責任だけははたしたのかもしれない。
いずれにしても、現憲法は現実と乖離していることは揺るがしがたい事実である。
その憲法を守ろうという護憲側の主張は私には理解できない。