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(回答先: Re: “寄生”の方行 投稿者 日 日時 2009 年 1 月 08 日 01:08:14)
日さん、こんにちは、レスをありがとうございます。
どうやら私は日さんのことを買い被っていたのかも知れない、そんな自省を込めてのレスになりました。
>【我々自身の存在様態に潜む真実を受け容れること】の中身がよく判明しません。
>日なりの解釈で答えれば、「それは連帯の前に存在する様態。故に真の自立の範疇に連帯は含まれない。」としか答えられません。
私はこれまで意識的に直接的な表現を避けて来ましたが、今回はかなり具体的な話をしていますし、それは現時点での私の世界認識の中核を成しているものです。必ずしも認識で一致することを望むものではありません。しかし、何らかの連帯を期待する相手には自分がどんな世界観を懐いているのかに関して、興味もしくは理解を求めたいとは思っています。
>よく彼岸桜さんは、何々する為には、何々が条件と仰られるのですが、そこが日には分らないのです。
>その条件を充たそうとしても力及ばずに今日があります。それを求められてもそこが日の力量の精一杯の限界を現すものです。
もし、私の想像が間違っていなければ、如何に日さん自身が使命感に駈られたものであっても日さんがなされようしていることは概観的には“敢えて為す”ことの範疇に入るものだと理解しています。そして、私は“敢えて為す”ことを組織化していく場合、熱情を頼りに事を為そうとすることには危うさを感じますし、寧ろ諦観(=覚り=ニヒリズム)を基軸にすることの方が信じるに値すると考えています。
>非公開の部分がある理由も精一杯皆さんにはお伝えして来ました。それは此処に集う方ならば充分にご理解いただける事由であるはず。
>日が今求めている人材。それは核となるべき人材です。それですらも実際にお会いするまではやはり未知の方になります。
非公開は経営戦略上の現状の選択として是認できる範囲のものと見ていますので、固より問題にはしていません。ただし、“礼儀と熱意”と云った基準からはそれに当て嵌まるような核となるべき人材の理想像が容易には浮かんで来ないのです。
>人を判断する時、日は減点法です。その人の外見や地位や背景で判断する色眼鏡を外し、最初は満点の人物として迎え、建前であろうと偽りであろうと、言った事、その行動を密かに言質します。そして訣別に値する破綻となるまでは密かに減点するのみです。
>そうでないと連帯は誰とも出来ないのではないでしょうか。
上記のことは組織論では極々常識的な評価法であり、上下関係を築くためにはよいのかも知れません。しかし、それがオープンソースな人材採用に合致するものとは思えませんし、果してそれによってフラットな関係(=連帯)を構築することなど可能なのか、疑念を禁じ得ません。
>加点法で人を見れば、その人の未知の最大長所を発見する前に、己の一定の基準に満たぬ者として、最初から篩い落とすしかありませんから。
>確かに日は最初に礼と熱意を「最低条件」としたハードルを設けました。これは誤解される前に言うと、上記の「その人の外見や地位や背景」ではありません。
加点法は新卒者や新人を採用する場合の最終段階での判断方法ですから、日さんのケースには適合しないのは明白です。今回の場合は、勿論「その人の外見や地位や背景」ではなく、“礼と熱意”は多少なりとも付帯的な条項になり得るものの、本筋は日さんの世界認識(=思想性)との折り合い(=共認の形成)が枢要なポイントであることには変わりありません。そして、これはインフォーマルな組織の創設者が中核となるメンバーを構成する場合に心得ておくべき要諦なのです。
Auf Wiedersehen.