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(回答先: お互いのことですが、人はそう容易くは変われないものですね。 投稿者 彼岸楼 日時 2009 年 1 月 08 日 05:45:53)
>お互いのことですが、人はそう容易くは変われないものですね。
そうですね
> どうやら私は日さんのことを買い被っていたのかも知れない、そんな自省を込めてのレスになりました。
逆にこちらは彼岸桜さんへの尊敬の念が増しております。ではもう少しで現実的な釣り合いが取れそうですね(笑)
> 私はこれまで意識的に直接的な表現を避けて来ましたが、今回はかなり具体的な話をしていますし、それは現時点での私の世界認識の中核を成しているものです。必ずしも認識で一致することを望むものではありません。
分りません。In the Year 2525の夢想した未来から彼岸桜さんが何を言わんとしたのかが。それがより切実で現実的な話にどう繋がるのかが。
>しかし、何らかの連帯を期待する相手には自分がどんな世界観を懐いているのかに関して、興味もしくは理解を求めたいとは思っています。
連帯を前に互いにどのような世界観を懐いているのか、それは古参投稿者の方々ならかなり明確に読み取れるのではないでしょうか。
それが【建前であろうと偽りであろうと、言った事、その行動を密かに言質し、そして訣別に値する破綻となるまでは密かに減点する。】日にとっては相手が発した言葉と行動のバランスを見る方法として、あとは実際にお会いして確認すれば良いだけです。
日にとって彼岸桜さんは此処でも稀有な熱望する対象となっています。無論もっと理解すべきであろうけれど、連帯するに当っての不安要素は既に充分なだけ解消する位は読ませていただきました。これ以上はあえて色眼鏡を外すべき個人の背景の範疇であるだろうとも思っていました。
> もし、私の想像が間違っていなければ、如何に日さん自身が使命感に駈られたものであっても日さんがなされようしていることは概観的には“敢えて為す”ことの範疇に入るものだと理解しています。そして、私は“敢えて為す”ことを組織化していく場合、熱情を頼りに事を為そうとすることには危うさを感じますし、寧ろ諦観(=覚り=ニヒリズム)を基軸にすることの方が信じるに値すると考えています。
その意味ではそうした諦観の上での行動です。
なので人選に妥協して先に進む必要も無く集まらねば消え去るのみであり、片や諦めることなく敢えて為すのでもあります。幼き闇雲な熱情ではありません。
> 非公開は経営戦略上の現状の選択として是認できる範囲のものと見ていますので、固より問題にはしていません。ただし、“礼儀と熱意”と云った基準からはそれに当て嵌まるような核となるべき人材の理想像が容易には浮かんで来ないのです。
礼と熱意は最低要件です。それがあれば真剣な対話が可能です。知識や技術は後から幾らでも血肉にする事が出来るでしょう。
逆に知識や技術が幾らあろうとも、それに欠けている者とは全く意志の疎通は不可能となります。
あなたはその全てをお持ちです。
> >人を判断する時、日は減点法です。その人の外見や地位や背景で判断する色眼鏡を外し、最初は満点の人物として迎え、建前であろうと偽りであろうと、言った事、その行動を密かに言質します。そして訣別に値する破綻となるまでは密かに減点するのみです。
> >そうでないと連帯は誰とも出来ないのではないでしょうか。
> 上記のことは組織論では極々常識的な評価法であり、上下関係を築くためにはよいのかも知れません。しかし、それがオープンソースな人材採用に合致するものとは思えませんし、果してそれによってフラットな関係(=連帯)を構築することなど可能なのか、疑念を禁じ得ません。
そうでしょうか。そこに上下を生じないように【言った事、その行動を密かに言質し、そして訣別に値する破綻となるまでは密かに減点するのみ】なのであり、構築も訣別も激昂せず分別を持って行ないたいが為の手法なのですが。
> 加点法は新卒者や新人を採用する場合の最終段階での判断方法ですから、日さんのケースには適合しないのは明白です。今回の場合は、勿論「その人の外見や地位や背景」ではなく、“礼と熱意”は多少なりとも付帯的な条項になり得るものの、本筋は日さんの世界認識(=思想性)との折り合い(=共認の形成)が枢要なポイントであることには変わりありません。そして、これはインフォーマルな組織の創設者が中核となるメンバーを構成する場合に心得ておくべき要諦なのです。
それこそは非公開の場かお会いして語り合う事が必要でしょう。そこでしか何も決めて行く事は出来ません。