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(回答先: Re: 判断するのは「司法権を委ねられた」裁判所でしょう。 投稿者 赤と黒 日時 2007 年 12 月 02 日 21:25:31)
>赤と黒さん どうもです。
どうでも良いですが、解説抜きで「割り込みレス」を行い。
>【これ、いったい誰が判断するのでしょう?(主語が抜けています。)】
なる難癖的レスを付けたのは「赤と黒さん」です。
赤と黒さんは
>【以上の判断は、神様でもない限り、人間には100%断言することは出来ないと思います。】
とも書いていますが、これを逆に問えば
「今後、とてつもない偏屈者(死刑廃止論者の偏屈者)を除く、大多数の国民が、こいつだけは極刑たる死刑にするしかないと思うような事例の犯罪が起こらない」という判断も【神様でもない限り、人間には100%断言することは出来ないと思います。】もまた真と言えるでしょう。
適用するかどうかは、司法が決める訳で、運用次第では「使用しなければ良い」だけでしょう。
人間は「不完全な司法しか運用できない」という部分は認める必要がありますが、現在ある選択肢を「放棄する」というのは「バカ」の意見です。
「封印」に近い措置はあっても良いかもしれませんが、「廃止」するのは「綺麗事」であり、「人が人を裁いて死刑を言う名の殺人を行う」という行為に「嫌悪感」を抱いているだけの感情論でしょう。
「死刑というのは究極の見せしめ刑によって、最大の抑止力を発揮させる」という「人間の知恵」が「生み出した手法」の一つです。昔の中国では「九族滅殺」という見せしめ刑もあったと言われていますが「流石に、罪を犯した本人以外の罪を問うて、死刑」は行き過ぎでしょうが、それも「知恵が生み出した文化」です。
「封印」ならば、とんでもない「レアケース」の場合には「開封して対処」も可能ですが、「廃止」では「文化の放棄」であり「ある選択肢を失うだけの退化」とも言えます。
あえて「退化」を選ぶのは「知恵ある人間の放棄」です。
アホと言う事でしょう。
>【そのための国民世論の喚起が死刑反対論者の使命かと思います。】
Kは死刑廃止反対論者ですから、こんな使命を持ち出されて「Kにレスという形で付けられても困ります。」
このようなレスは「如往さんと同様にワヤクチャさんに付けて下さい」
Kに付けるなら「議論する気で、堂々と死刑を廃止する論理を唱えて下さい」
ディベートのような「屁理屈」を付けるなら「Kも屁理屈で返すでしょう。」
「屁理屈は、穴があるから屁理屈なのです。」
時間の無駄にしかなりません。