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今日、NHKのラジオニュースで聞いたのだが「薬害エイズ訴訟問題」などで「被害者側に大きな壁として立ち塞がったのは、日本の企業保護体質」と言う事である。
なぜか、例によって「NHKオンラインの方には見当たらない」のだが、簡単に説明すると「薬害エイズの被害者が賠償を受け取る(=裁判に勝って賠償などを受け取る)ため」には「立証責任が被害者側にある」が、これは日本の事で、諸外国では必ずしも「立証責任が被害者側に一方的にあるのではなく、企業側などにも因果関係のない事の立証責任が発生する。」と言う事である。
今日の太田総理の番組でも「年金問題は年金を支払った証明を年金受け取り者が行う」事になっているが「企業などが潰れていたら事実上不可能。」というような意見も言われていたが、別の問題のようでいて、根っ子は「同じ、日本の体質」に起因しているのだろう。
問題の本質は「日本の体質は、組織・企業・団体に甘い」のであろう。
以前にも問題提起したが「組織・企業」対「個人」の裁判が公平では、不公平なのである。
S学会への批判記事に対し、S学会の訴訟攻撃が行われ、S学会は敗訴しても「ほとんどダメージなし」に対し「個人の方は敗訴したら身の破滅」と言う事で、絶対に裁判になっても勝てる内容以外の記事が「書けなくなっている」という事例で問題提起した。
で、その「組織・企業などに甘い体質がモロに出ている」のが「過労死・サービス残業問題」である。NHKオンラインの方にも
【過労死防ぐ対策訴える集会】
http://www3.nhk.or.jp/news/2007/11/23/d20071123000020.html
という記事が載っているが
【昨年度】は【労災認定】されたのは【過去最悪の355人】であるが、【過労で亡くなった人について労災を申請しても3割程度しか認められず、却下の理由は理不尽なものばかり】との事である。
そもそも、労災の申請をするのが「氷山の一角」であろう。
大抵の日本人は「家族が労災で亡くなっても泣き寝入り」せざるを得ない。という習性を持っている。
残された者にも「これから先の生活がある。」ので、集団の中に埋没しようという習性があるので、遺族になっても「自己主張を控える」のである。
「自殺の人数が毎年3万人を超える」というのが一種の社会問題となっているが、その一方で「過労死」の方は「統計として実数の把握は極めて過小なものとなっている」のだろうと思う。
その問題の根本にあるのが「個人の命」より「組織の利益優先」という考え方だろう。
前にも書いたが「立証責任が被害者側にあるのが間違っている」
「最大の被害者はすでに死んでいる」のだし「証言者は同僚や上司など、企業には逆らい難い人々ばかり」だろう。最初から「公平な裁判にはならない」
「過労死が疑われる場面では、遺族の申請を待たず、労働基準監督署などが調査を行い」
「企業が調査の協力に非協力的だったら、その時点で有罪」くらいで良いのである。
「無実の立証責任が過労死を疑われるような被害者を出した企業・組織に発生する。」で十分なのである。
企業献金とか団体献金などに頼る「政党政治」が政治を歪める元凶なのだろうが、団体・組織への依存体質である個人が多い日本人の体質が大元にあったりもする。
「個人のプライバシーとか男女の性差などに生ずるセクハラ問題」などは「考えてみれば、無視して良いとまでは言えないが、小さな問題」なのではないだろうか?
ところが、そんな「どうでも良いような事」には「凄いエネルギーを費やして騒ぎ立てる」のに「過労死・過労自殺というような人の生命にまで達している問題」には「口をつむぐ」
極端に言えば「セクハラ」は「嫌いな異性に何か言われたり、されれば、全てセクハラ」で、一方「好きな異性になら、何をされてもセクハラにはならない」という極めてメンタルな種類の問題で「区別など最初からない」という「これ以上くだらないものはない痴話喧嘩の一種みたいなもの」である可能性もある。
全てが必要ない訳ではなく、性的に暴力的な変質者は存在するが、スキンシップとジョークは必要な場合もある。
とりあえずは、人の命の問題に比べ「優先順位は高い」とは思われない。
「誰かにセクハラされた」と訴える勇気があるのなら「職場の労働実態を訴える方が先だろう。」
話が横に逸れているように感じる人もいるかもしれないが、Kは「セクハラ」という一種の「怒り」も「本来的な怒りが、出しやすいところに吹き出たもの」ではないかと推理している。
世論の情勢から「セクハラ」に訴えるのは一種のトレンドであるが、「企業の理不尽」を訴えるのは「トレンドにはなっていない」と言う事である。
つまり、現在の訴訟社会への流れ、イライラ感の漂う社会の中で「所属集団からの理不尽が、他の個人の恨みに転嫁されて噴き出す。」という部分もあるのではないか?と言う事である。極端に言えば「トバッチリ」の一種で「訴訟になる」
「公務員に八つ当たりする。」とか「店で定員にクレームを付ける」とか「酒場で大声で愚痴を叫ぶ」ようなストレスを抱えているのなら「問題の本質を改善する」という工夫が必要となる。
「ブラック企業は訴える・辞める。」というのを「トレンド」とすれば、それに一歩近づくのではないだろうか?
どうも日本人は「反逆」というのを毛嫌いする。
奴隷根性が抜けないという事だが、上役、上司には絶対服従と「身に染み付いてしまっている」のだろうが、明智光秀の織田信長への謀反を嫌い、赤穂浪士を好む。
少しは「論理的に思考するように心がける」べきだろうと思う。