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(回答先: AgitationとConsiderationの違いを弁えつつ 投稿者 如往 日時 2007 年 10 月 03 日 05:14:31)
>如往さん どうもです。
横レスで申し訳ありませんが、少し気になったので意見を書きます。
自己責任原則が強化される中で人には選べないものがあります。
生まれる場所、時、親の財産(誰から生まれるか)などです。
公平、公正、平等、それらの担保がなされないままに自由競争に駆り立てられているのが現実の世の中でしょう。
本来、政治、政治家、公務員といった人たちは公平、平等といった部分を担保するためにあるべきでしょう。
それが、旨く機能していない。
大部分の者が自分の既得権益の維持強化に奔走しているからです。
如往さんの意見も、如往さん紹介の攝津正氏の意見も「我慢しなさい」もしくは「現状維持」という意見であり、代替え案が欠如している。
すでに生活弱者の者の立場では「現在の状況の延長上には夢も希望も持てない」のにそれを受け入れろと言うのは「その論者自らの既得権益の保護のための意見」にしか聞こえないだろうと思います。
「同意できない」「あなたの意見は間違っている」という意見にも「理(ことわり)」はあるのでしょうが、所詮は「同じ目線に立っていない勝ち組」の「理」でしかありません。
分かっているのは、今を変えなければ、未来永劫、生活弱者は生活弱者であり続けるだろうという事です。
必要なのは単なる反対論ではなく、代替え案の提示であり、対処法の構築なのだろうと考えています。
家なき子の名言「同情するなら金をくれ」ではありませんが、物理的な救済策のない説得では「救済」にはならないのでしょう。