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(回答先: 相変わらず幻惑光線を放っておられるのですね。 投稿者 如往 日時 2007 年 10 月 03 日 17:55:34)
>如往さん どうもです。
どうも、初っ端から、考え方が違うようですが、政治を行っているのは政治家であり、我々庶民は政治家に「こうしてほしい」というだけです。
>【交信内容の質確保のためにも少なくとも100冊以上もしくは20,000頁以上の関係資料(文献を含む)を読み込む必要があるのではないかと想っています。そうしたプロセスを経てはじめて対案は対案としての体を成すのではないでしょうか。否、それでも十分であるとは言えないかも知れません。】
これは、技術論まで含めた対案には必要かもしれませんが、方向性として「こうしてほしい」との声を上げるだけに必須とは思えませんね。
我々は「政治家」でも「専門家」でもありません。
間違いのない事は「生存権が確立されていない生活弱者がいる」という事実
「政治を行っている者」は共産、社民まで含め「貧困とは縁のない暮らしをしている」という事
経験のない者に「少しでも現状を分かって貰うには、声を上げなければ駄目」という事です。
「こうしてほしい」という対案が【第三者による拙速な対案の提示などはお門違いを指摘されることにもなり兼ねないのではないか】でも良いのです。どこに問題があって「駄目」なのかの説明責任を為政者が示してくれるなら、その駄目な点を是正する中で完成度が高まっていくでしょう。
一般的に見て「実行できそうな対案」は専門家から見たら拙速に見えるかもしれません。
しかし、出来そうなのに「無視をするなら、庶民から不信感を持たれる」でしょう。
出来るのに「やらない」のなら、その政治家は庶民のための政治家ではないと言う事でしょう。
「やらない」のではなく「やれない」というのなら、そこに「説明責任が発生する」のです。その説明に応じて対案を修正すれば良いでしょう。
まあ、如往さんは「資格がなければ参加するなよ(=ものを言うなよ)」という排除論者のようですから、ここまでにしておきましょう。
「政治的知識のない貧困層の庶民は黙って死んでいくしかない。」という人とは意見のすりあわせはできませんからねぇ〜