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(回答先: 「ATMの操作」という事例ではなく、方向性を問題視しています。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 9 月 23 日 21:28:03)
Kさん、どうもです。
「コンビニとかスーパーが近くにない」ことまでは、正直言って、そこまでは面倒見切れないのは当然でしょう。
住んでる人が少ないんだから、店なんか、少なくて当たり前です。
このスレッドでは、郵政民営化について書いているのでしょう?
話が飛躍し過ぎです。特に、50歳過ぎて、運転免許証を取る人の話なんて、何の関係があるのでしょう。
簡易郵便局が民営化によって、消滅が早まるという側面は、よくわかりましたが、
いずれにしても、早晩、後継者難によって、行き詰まるのなら、大勢に影響ないでしょう。
>どうも、誤解があるようですが、Kは「働かない者」には「教育・啓蒙が必要」で、それでも駄目なら
>「治療が必要」という意見です。決して、見捨てて良いとは思ってはいませんよ。
>「治療」という行為は「見捨てる」のではなく「対処の責任が国にある」と言うことで
>「税金を投入してでも国が対処すべき」と言うことです。
わたしも見捨てて良いなんて言っていませんから、意見は同じですね。
ただし、「働かない者」「努力しない者」にまで、過剰な行政サービス・給付金を与えるべきではないとは思っています。
これは、「マイナスの所得税」議論で、Kさんも言っていたことです。
程度問題では見解の相違があると思いますが、基本哲学は、同じでしょう?
わたしは、ATM程度の機械操作すら忌避する人々まで、救うべきという考えは持っていないというだけのことです。
今の時代、自分で、電話がかけられないという人は、ほとんどいないでしょう。
それぐらい簡単なことだと、わたしは、思っています。
だから、そこまで配慮するのは、”過剰な配慮”なんだと、わたしは思っています。