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(回答先: Re: 罰則によって真理を捻じ曲げ悦に入る権力者たち(Kさん、しっかり)。 投稿者 そのまんま西 日時 2007 年 5 月 03 日 10:38:01)
>そのまんま西さん どうもです。
今一、ご意見の真意を測りかねていますが、どうも「Kの主張のコア」が伝わっていないような気がします。
高野連の体質は「一つの例の表れ」でしかありません。
高野連の行った事は「そのまま、日本の社会システムの歪みなのです。」
権力構造があり、権力構造の主観によって「文字列としての規則」が作られ
その規則が「実用に耐えうるものか?」は問題にされずに
不完全な規則の被害を受けるのは「常に一般庶民達」であり、権力側ではない。
裁量権を持つ者と、持たざる者ものがいて、責任は持たざる者の方が取らされる。
ここに問題の本質があります。
例として適切かどうかは分かりませんが「皆が60キロで走っている道路で制限時速は40キロの道路があったとして、皆に迷惑を掛ける事を承知で40キロ制限を守るのが良いのか?流れに合わせるのが良いのか?」という命題があるとします。
これ、多分、結論は出ないでしょう。主観と価値観で判断するしかないのですが、実は「制限時速を決めた者」が一番問題なのだろうと思います。
守れない規則は「見直す事も必要」なのでしょう。
それを、逆に「連帯責任」というような「自分ひとりの責任では済まない」というような制度を更に課す事によって、「無理な命題を無理に解かせよう」とするような事をして「権力は権力の誇示と維持を図りつつ、責任逃れ」をもするのです。
トカゲの尻尾切りのごとく、現場の弱者に責任の還元をして始末を付けるのです。
欧米型の文化は個人主義・能力主義です。
個人の能力は様々、個人は得意分野にて、立身出世を目指します。
しかし、集団主義の日本文明では「全てを平等」にし「学生段階では金銭に清く」というのを美徳というイメージを「植えつけようとしています。」
実は、これは偽善でしょう。
社会人になれば「資本主義の社会を勝ち抜けなければ負け組み」です。
そのような「社会を形成し、維持している権力構造が、自ら作り上げた社会を学生には見せないために特待生制度を否定している。」
日本には、様々に「このようなシステムが存在する」のでしょう。
ここに異を唱え、叩き潰していきませんと、世の中は良くならないと思います。