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(回答先: 高野連のやり方は「権力の誇示」と「支配権の確認」そして「責任逃れ」なのです。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 5 月 03 日 20:34:09)
>Kさん、ありがとうございます。
【個人では受け止められない「連帯責任」と云う罰則によって「真理を捻じ曲げても権力を誇示し維持したい」という権力者の考え方が存在するのである。】
【権力側は罰を与えるだけ、強化するだけで、自らに責任が来ないように「制度を決定するだけ」でリスクのない支配をしようとするだけなのである。】
【全ては権力構造の主観と都合で「気分次第で決定される」のである。】
【資本主義競争社会を否定しない上での高野連のやり方は「偽善」でしかない。】
【高野連の行った事は「そのまま、日本の社会システムの歪みなのです。】
【権力構造があり、権力構造の主観によって「文字列としての規則」が作られ
その規則が「実用に耐えうるものか?」は問題にされずに
不完全な規則の被害を受けるのは「常に一般庶民達」であり、権力側ではない。】
【裁量権を持つ者と、持たざる者ものがいて、責任は持たざる者の方が取らされる。】
【「連帯責任」というような「自分ひとりの責任では済まない」というような制度を更に課す事によって、「無理な命題を無理に解かせよう」とするような事をして「権力は権力の誇示と維持を図りつつ、責任逃れ」をもするのです。】
【トカゲの尻尾切りのごとく、現場の弱者に責任の還元をして始末を付けるのです。】
仰る様に、これらの「封建的かつ恣意的な意思決定システム」を用いることにより、
「権力の誇示」及び「支配権の確認」をし、何か問題が発生すれば「責任逃れ」をする
「官僚式意思決定システム」が(おそらく江戸時代あたりから)今までの日本における
”一般的な組織の在り方”ではあったかと思います。
【日本には、様々に「このようなシステムが存在する」のでしょう。
ここに異を唱え、叩き潰していきませんと、世の中は良くならないと思います。】
究極としては、「封建的官僚制度の否定」ということになるのでしょうか?