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「価値観」について
近年、「価値観」という言葉が多く使用されるようになったと思う。
個人の「価値観」を大切にする・尊重するという、「民主主義」の定着・高揚に起因するのかもしれない。
個人の「価値観」を大切にする・尊重するということは、「民主主義」を口にするものにとって何人も否定することは出来ないであろう。
私は、これを大前提にした上で、敢て「疑問」を呈したいと思う。
「価値観」は多くの場合、「価値観の多様性」「価値観の違い」など、個の持つ「価値観」を他との「価値観」に対比してその違いを際立たせるために使われているように感じている。
そもそも「価値観」は、生い立ち、環境、経験、趣味など個々の生活体験によって「千差万別」なのは当然のことであろう。
だが、「価値観」を多用する人たちは「違い」を強調するときに用い、また、「議論」の「終着点」或いは「逃げ道」にしている感が強い。
違いがあるから議論を重ね「価値観の共有」を図る必要があるのだと思う。
「夫婦」「家族」「地域」など、それぞれの場で出来るだけ「価値観」を共有していく必要があるのだと思う。
「価値観」の意味は、個々の持つ、或いは求める、様々な物事の「価値」のどこ(れ)に重きを置くのか、ということだと思う。
しかし、多くは「価値観」を殊更重大に扱い「哲学・思想・信条」までをも範疇に入れて使ってはいないだろうか。
テレビや新聞のニュースや解説で、よく「価値観の多様化」等と使われているが、その本来の目的は、大衆の「意見」を分断し権力の支配を容易にするためではないかとさえ思われる。
更なる「価値観」の共有を!