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(回答先: 「価値観」について 投稿者 AAA+ 日時 2007 年 2 月 11 日 12:11:34)
AAA+さんへ
初めまして。
この「価値観」についてのご意見に同意します。
同じ価値観をもてるような社会を目指したいと、私も思います。
価値観というとき、人が考えるこの言葉の概念が千差万別で、なかなか同じ土俵にたっての議論は難しいですが、どうも格差社会、階級社会、個人主義を日本社会に浸透させていくためにあえて使われている、「あいまいな概念」だと感じます。これは、自分らしさ、個性などと同様だと感じます。
名前は忘れましたが ある大学教授(社会学)が、こう言っていました。
「今の若者は、意見が対立すると、何とか分かり合おうとするのではなく、すぐ、それはあなたの意見(価値観)でしょ。」
といって、分かりあおう、共感しあおう、という努力をしない。」と。
私は、この人は違う価値観をもって、それはいいこと、という考え方が簡単に受け入れられてしまうのは、それも特に、格差社会を推進しようと思っていないはずのリベラルといわれている人に受け入れられるのは、戦前の日本政府の思想弾圧の反動だと思いますが、それだけではないと思います。
戦後のアメリカから入ってきた考え方に大きく影響され、日本の文化、例えば、皆で同じ考え方を共有する、なるべく、皆にあわせる、などを否定し、西洋の個人主義をよしとする風潮が強くなったことも原因ではないか、と考えています。
私は、難しい思想のことはわかりませんが、日本人は 皆が同じ価値観を共有している社会に住む素晴らしさ、心地よさを、認識していないのではないか と思いますね。
こどもが友人と遊ぶことひとつとっても、日本では親が基本的に他の親を信用しているため、通常、こどもがクラスで仲良くしている友人の家へ遊びにいくのに、それほど神経質になりません。
こちらでは、普通行かせません。13歳くらいになるまで、子供同士で勝手によその家にいくことはだめですし、さらに、外で自由に友人と会って遊ぶ事も近所どうし以外はありません。
日本では 小学生になれば、一人で歩いて学校に行くし、家へ帰ってから公園などに行って、誰かそこで会った人と遊んだり、友人と約束して遊びますね。
こちらは、そうはいきません。通常家の中で遊ぶ事が多く(庭やプールなど)、12歳くらいまでは、公園にも親がつきそうのが普通です。だから、親が友人どうしでないと、こどもがどんなになかよくなっても 学校以外の時は遊びません。
これは、アメリカやオーストラリアなどでは、社会、経済階級の分離をささえているひとつのものなんだろう、と思います。
価値感が違うということは、信教、文化、生き方、こどもの育て方、の違いを尊重するというのは、聞こえがいいですが、自分が相容れない考え方は拒否するようになり、(拒否していいということになるから)子供時代から 違う価値観を持つ家族との交流自体なくなります。そして多くの場合それは経済階級と結びついており、階級社会維持に貢献しているという一面があるのです。日本人はそういう負の側面をあまり考えないようです。
日本の一億総中流というのは、日本の宗教などに、差別をよしとする考え方がなかったとか、様々な側面があると思いますが、ひとつには、多くの人が同じ価値観を共有してきたからこそと思います。(もちろん、アイヌ、沖縄の人々のことを忘れてはいけませんが)。
豪州やアメリカなどの移民社会では、愛国心が叫ばれていて、国旗掲揚とか、何かというとナショナリズムを高揚しようとします。それは、裏を返せば、価値観が違いすぎて、うまくいかないことが多々あるからです。豪州では、イスラム教と西洋人とアボリジニーらとの価値観が大きく違い、いつも問題が起きています。だから、国旗やら、スポーツやらで、なんとかまとめようとするのです。日本はすでにこんなに価値観が似ているじゃない。
あえて、個人の違いを強調、そう、まるで今の若い人が、他人と同じ考え方になることに恐怖さえ持たせるような風潮は、なぜ、なぜ、と思わざるをえません。
こういう考え方は、「ばかの壁」、「国家の品格」などでも 述べられていますね。
また、小林よしのり氏 なども同様の考えのようです。
下は私が 君が代日の丸問題で、考察者K氏と話をした時の、heartさんへの返事です。
前半は状況を知らないとちょっとわかりにくいですが、後半は、価値観のことが書いてあります。たいしたことはありませんが、ご参考まで。
http://asyura2.com/0610/idletalk21/msg/1512.html