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(回答先: 「価値観」について 投稿者 AAA+ 日時 2007 年 2 月 11 日 12:11:34)
haru さん、パルタさん、東京音頭さん、前レス読んでくれた皆さん 、こんにちは。
>「夫婦」「家族」「地域」の後に「国家」ということを考えたときに、「価値観の共有」を図れば、新たなナショナリズムになるのではないか、ということです。
貼り付け元 <http://www.asyura2.com/07/idletalk22/msg/492.html>
>「価値観」について、その「共有」までは考えたんですが、「価値観の共有」を拡大すれば「ナショナリズム」に行き着くのではないかと疑問に思っています。
そのへんの「理論的整合性」をどう「展開」できるか悩んでいます。
貼り付け元 <http://www.asyura2.com/07/idletalk22/msg/527.html>
解決しました
ここで「国家」としたため、思考の方向が「国家権力」になってしまった。
「国家」の定義について、理解が不十分なことも原因のひとつだろうと反省している。
とりあえず「国民」と置き換えて考えを進めてみることにした。
「国家権力」が「日本国の『起源』(日本書紀)」「日本の伝統文化」を基に「価値観の共有」を「国民の合意」として求めることはあるとおもう。
「日の丸・君が代」「教育基本法」「憲法『改正』」など、目先の現象にとらわれ「反動勢力」の力を過大に評価したため、「社会の発展法則」を忘れたうえに、平和と民主主義を求める大勢の国民の存在を見失っていた。
そのため、「価値観の共有」=「ナショナリズムの形成」と短絡してしまった。
「平和と民主主義」を愛し、世界に誇れる「日本国憲法」を、「反動=改憲勢力」から守るという「価値観の共有」は、当然であり、「論理的矛盾」と考えたのは誤りであったと思う。
「価値観の共有」についての「論理的矛盾」を解決した上で、改めて「価値観の共有」の拡大を主張する。
ありがとうございました。